スローでいこうよ

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震災30年前の記憶

2025-01-18 20:18:00 | その他
阪神淡路大震災の時のことを健忘録も兼ねて初めて書いておこうと思う。

あの日、自分は京都に住んでいて被災を免れたけど、それでも震度5の揺れがあった。

揺れが終わってすぐに関東大震災の余波に違いないと思い、京都でこんなに揺れるということは、友人らが沢山いる東京は今頃大変なことになってるのではと心配したのを覚えている。
というのも当時、関西ではさしたる地震は無く、関東大震災がそろそろ周期的に起こる可能性が高いとメディアで再三言われたこともあってだと思う。それが、テレビをつけたらヘリコプターから山と海に挟まれた馴染みのある街並みの映像が流れ、え〜!これ神戸やん!?と飛び起きた。すぐに神戸に住む親友の安否確認で電話を試みるも繋がらなかった。


彼は被災が大きかったJR六甲道から山手に上がったところに住んでいた。
連絡がとれないのですぐに安否確認に行こうと準備にかかっていたら向こうから電話があった。どうやら無事らしい。まずはホッとした。彼のマンションは耐えたようで助かったらしい。でもJRの駅舎は完全に潰れたらしく今日は会社に行かないって、、そりゃそうだろうよ。今はそれどころではない。


震災翌日には大阪梅田のヒルトンホテルが臨時オフィスになり、私ら新人は3階にずらっと並べられた電話の受話器を片手にひたすら社員名簿の端から順に安否確認の電話をした。当時まだ携帯やネットは普及しておらず、家の固定電話以外、確認方法が無かった。


週末、被災地に何かできないかと、ザックにホットケーキの素を確か10箱くらいに、ポカリスエットの粉を詰められるだけ詰めて、同じく京都住みの同期と向かうことにした。

どうして救援物資にホットケーキの素かというと、当時自身の流行りというか槍から奥穂へ縦走を終え空腹で疲労困憊している時に食ったホットケーキがあまりにも美味しく、そして短時間で回復したことの経験からだった。
きっと被災している方へのエネルギー補給の足しになるだろう、喜んでいただけるという考えだった。でも、この考えは後で浅はかだったのがわかる。作るにも被災地には水が無かったのである。


まだ今のような近代的では無かった先代のJR京都駅から電車に乗り、最終目的地の六甲アイランドに向かうも、尼崎から先は線路がぐにゃぐゃで寸断。そこからは徒歩で向かうことにした。



途中、高速道路が倒れているところに差し掛かった。倒れた橋桁の中のコンクリの様子から手抜き工事だと当時のニュースで頻繁に報道されていた。鉄筋に海水で練ったコンクリを使っているというだけでも衝撃だったが、更にはコンクリのカサ増しのために発泡スチロールや木片が入っていたらしい。
どうであれ、施工業者からしても想定外だったのだろう。


会社は神戸の六甲アイランドという埋め立て人工島にあったのだけど、そこに渡る六甲ライナーが被災し寸断してしまい、かろうじて徒歩では渡ることはできた。

島に踏み入れてまず驚いたのが、地面に敷いてある岩畳が乱雑に隆起し隙間という隙間からヘドロが溢れるように出てきてて、見たことがない現象に島はこのまま水没するのではとも思った。これがいわゆる液状化現象というのだったのを後で知った。

社屋に到着したところ外観上は問題なく、1階ホールの大きなガラスに割れもなく、一見大丈夫そうだったのだけど、中はぐちゃぐちゃで天井パネルはところどころ落ち、当時まだCRTモニターとデスクトップPCが主流だったオフィスはスプリンクラー作動して水浸しで使い物にならない状態だった。

この辺りで救援物資を託してこようとしたけど、どうゆうわけかひとっこひとりいなく生活音もせず静寂だった。

仕方なく島を後にして向かい側の住吉あたりを海沿いに歩いていたら遠くで騒がしい音が聞こえる。
音のある方へ行ってみたら小学校の校庭に大勢の被災者方々が避難されていた。

避難所のリーダーらしき方に、救援物資としてホットケーキとポカリを持ってきました、どうぞ!と渡そうとしたら、『兄ちゃんありがとうな!でもこれ作る水が無いねん。。』と残念そうな顔をされていたのを見てハッとした。被災者が必要なものを、勝手な想像で決めていたのを恥じた。

この経験は、後の福島でのボランティアで生かすことができた。

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神戸は30年で見違えるほどに復興した。でもまだ街のところどころで、震災で壊れたまま放置され家屋や異人館があるのが寂しい。


南海トラフ地震は阪神淡路より規模が大きいと聞く。30年前の震災に耐えたお隣りさんは、先週から耐震補強工事に入った。
まず重い瓦を全部取り払って軽量なものに変える施工をするそうだ。今でもこのような工事が街中そこかしでやられているのは大震災を経験した神戸らしい風景かも。

備えあって憂いなし。電気はソーラー蓄電池でどうにか凌げるだろうとして、やはり断水が喫緊の課題か。震災時、井戸のある家に行列ができたらしい。

世の中にはこんな↓井戸をDIYでつくれる簡易キットがあるらしい。
矢太郎Pro | プロの井戸屋が使う本格打込み井戸 | ホウワ

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井戸掘りを生業としているプロの井戸屋が迷わず選ぶ本格的な打込み井戸セットです。失敗が許されない専門家ならではのこだわりが詰まった井戸セットで、DIYで使うにはあまり...

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直管を地面に刺して手でポンプを動作させる仕組みらしいけど、1振りの上下動作で700mlもの水が得られるらしい。ただ一つ気になるのが、地中に埋まった直管のメンテナンスをどうするのか? 10年は持つだろうけど、経年劣化に加えて凍って破裂したり、地中の連結部が錆びたりして染み出した場合、地盤を緩くしないのかな?
この辺、解決するにはやっぱ岩組みの井戸なのかな。







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