スローでいこうよ

キャンプレポートやキャンプに関わるお気に入りの品の紹介をメインにしてます。

おっぱい出しはGooブログ的にNGでした。

2021-10-27 19:41:00 | その他
先ほど気付いたのですが先日アップしましたStephenson’s Warmliteのテント紹介記事について、どなたかから通報があったのでしょうか、事務局から公序良俗に反するとして前触れ無く強制的に削除されてしまいました。これはブログを開始して700ほどこれまで記事を書いてきた中で初めての経験です。


(今回検閲でダメ出しを受け削除せざる終えなかった写真を掲載したアウトドア用品カタログですが、PDFで閲覧することができます。拝見されたい方は“Warmlite 1974”でググッてみてください。)

想像するにどうやら冒頭の水着写真の後に続いたおっぱい丸出しでテント内にいる様子の写真を掲載したことが、公序良俗に反すると捉えられたのでしょう。

こうした印象はハラスメントと同じく受け手の感情いかんによるもので、気を悪くされた方には申し訳なく思います。


試しに“gooブログ ヌード”で画像検索しましたところ、どうやら女性のおっぱい丸出しがあかんかったのかな? 女性のヌードらしい画が一切出てきません。かの北の国の検閲ばりなガードですね。
でもルノアールの裸婦画とかはいいのかな? 

もしかしたらAIロボが巡回し、特定ワードをピックしているのかもしれません。そうならまたこの記事の“ヌード”に反応しているかも🤭

いずれにしても検閲はやる側の基準によるもので、タダでgooブログスペースを借りている以上、無条件で大家の価値観には従わないといけないですね。嫌なら出ていけです。


これを機会に久しぶりに「サド裁判」を読み返したくなりました。
澁澤龍彦氏が翻訳したマルキ・ド・サド著「悪徳の栄え」の内容が芸術ではなくワイセツ、公序良俗に反するとして販売差し押さえされたことに対し裁判になった話しです。

私個人はサドは芸術家というより超現実的な思想家、とても勇敢な無神論者であったと捉えています。何せ彼が生きた1789年フランス革命前後の王政時代に無神論、共和主義を唱えるのは命取りになりかねないものでした。実際、過激思想の持ち主としてかの有名なバスティーユ監獄に収監されてもなお執筆は続けました。
彼の過激なSM的表現はそうした思想を直接的ではなくオブラートに包み検閲の目をそらす手段として用いられたのではないか? 故にサド=ワイセツと捉えられた場合、彼の思惑通りともいえるでしょう。ルノアールの裸婦画にムラムラ来る輩はいるものです。
サドがあらわすしつこいほどのSM表現の中に一貫して流れるブレの無いリベラル思想、これを炙り出せるか、それともムラムラとした感情が先に来るか。世間がサドと聞いて想像するステレオタイプにはエロがほとんどではないでしょうか。

検閲回避のため黒塗りしてます。
こうした誤解を解く上で手っ取り早く彼の思想に触れることができる著作として「閨房の哲学」(佐藤晴夫訳)があります。そこの中盤に書かれている“フランス人よ、共和主義者になりたければ、あと一息だ”を読まれるとよいでしょう。そこには彼の著書としては珍しく全くエロな表現がなく、すらすらとダイレクトに彼が読者に伝えたいことが集約されています。今読み返しても新鮮です。


裁判では名だたる識者らが訳者の澁澤氏を弁護をしましたが結果は有罪でした。時代が時代ですから猥褻の捉え方も異なり、今なら違う判決になるのではと勝手に思ってます。

個人的には内容に嫌悪感があるならわざわざ買ってまで読まなければいいのに、とこれを読んだ学生時代は思ったものですが、

今はネットを通じ記事が読み手を選ぶことなくオープンに公開されるために、サド裁判の時のような読みたい人だけが自身の意志でもって購入し目にするというわけにはいかないわけで、偶然にクリックしたらそこに見たくないものがあれば地雷を踏んだような気持ちになることでしょう。

そんな状況下では自身の価値観の主張は居酒屋での談義に留めておいて、ネットでの公開記事にはあらためて細心の注意を払い、What ifスタディを頭の中で繰り返し行い、AIロボにも読み手の皆様全ての方々からも問題無いとお墨付きをいただけるような記事を書くよう精進して参ります。
引き続きどうぞよろしくお願いします。

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2 コメント

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Unknown (ORION)
2021-10-27 20:35:50
こんばんは。
被告の方もですが、特別弁護陣がそうそうたる顔ぶれです。
紙面の右下にもありますがチャタレイ裁判もありましたね。
これ、大学の時の美術史の教授の講義で
というかまともな美術史の講義がなくて
こういう表現に関する裁判とか
趣味のオーディオや北欧神話の話ばかりでして
越境して聞きに行っていた心理学とともに
心に残った講義でした。
私は前回ブログを読めたことと
ダウンロードができたので満足です。
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Unknown (いーさん)
2021-10-28 08:49:05
ORIONさん、コメントありがとうございます。
チャタレイとかありましたね〜 
検閲はいつの時代もありますが程度や質は時代に合わせて変化してゆきますよね。
この裁判の元となった翻訳の初出は1958年ですから、まだミニスカートが日本に来る10年も前の話しです。
膝を露出するだけで大騒ぎになるわけですからサド文学は刺激が強すぎたのでしょうね。

サドの著書は確かにワイセツな内容がほとんどを占めますが、それらを通じてあぶり出されるリベラルな思想は今でも色褪せることはないですね。
彼が生きたフランス革命の時代、無神論を唱えるだけで死刑になりかねないわけで、ワイセツのやりとりでオブラートに包みながら間接的に伝えたい思想を世に伝えようとした。
結局は検閲にひっかかり発禁、貴族であったことから死刑は免れたもののバスティーユ監獄に投獄され、そこでバスティーユ襲撃、フランス革命を経験する。。と日本なら大河ドラマになるような人生です。

私自身、今思うと自分がミニマリズム、機能美に傾倒してしまう元はサドのリベラル思想に感化されたことによるものが少なからずあるとか思います。
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