連休は広島の瀬戸内海に浮かぶ大久野島(おおくのしま)へ。
一方で戦時中は軍の毒ガス製造所があり秘匿のため地図から一時期消えていたというなんとも物騒な暗い歴史をもつ島らしく、野うさぎと毒ガス、なんともこの極端な明と暗のギャップをどう解釈し受け止めればよいのだろうか?そんな複雑な気持ちを抱えながら向かいます。
港を出て穏やかな瀬戸内海を疾走すること20分かからないくらい
朝8時に上陸。まだ涼しくて朝日と島風のミックスが心地いい。
と、いきなりウサギさんらがお出迎え。船の到着を待っていたようです。
そこら中にうさぎがいます。
人参は細くスティック状にしておくと食べやすそうです。もぐもぐしている様子に癒される。
子ウサギもやってきました。
次から次へと茂みからウサギが出てきてキリがありません。人馴れしていて撫でても抵抗が無い。目が潰れているウサギがちらほら。閉ざされた島内での近親交配からくるものかな?
うさぎのエサやりを中断して、島の最高地点にある展望台を目指すことに。意外に普通に登山道があってテンション上がります。
稜線からは瀬戸内の島々を眺めることができる。あれだけいたウサギらもこの標高高いところでは出くわしませんでした。坂が苦手なのかな?
下ってきて島の北側にある軍の施設。うさぎに気を取られていましたが、ここは昔、要塞として利用されてたのですね。砲台や弾薬庫の跡が散在しています。さながらラピュタの様子。
第一次大戦時に造られたそうで、ロシア製のレンガが使われているとのこと。
トンネルの向こうにも朽ちた施設が。発電所跡だそうで。
毒ガス製造に必要な電気をここで発電していたらしい。また女学生らにより風船爆弾の和紙風船もここで作られ修復もされていたとのこと。
宿泊施設利用者以外に定住者がいない半無人島なこの島は可愛らしい野うさぎ達に触れ合える島としても知られていて、ずっとブックマークしていたところでした。
一方で戦時中は軍の毒ガス製造所があり秘匿のため地図から一時期消えていたというなんとも物騒な暗い歴史をもつ島らしく、野うさぎと毒ガス、なんともこの極端な明と暗のギャップをどう解釈し受け止めればよいのだろうか?そんな複雑な気持ちを抱えながら向かいます。
大久野島へは最寄りの忠海港から朝一番7:40発の小型フェリーで。
乗ったことないのになんか見覚えあるなぁと思ったら知床のKAZU1にそっくりな構造をしています。
定員100名らしいですが、そんなに乗るのだろうか?というほど小さな船です。
連休で混雑するかと思いきや30人くらいでソーシャルディスタンスを保つことができました。
港を出て穏やかな瀬戸内海を疾走すること20分かからないくらい
朝8時に上陸。まだ涼しくて朝日と島風のミックスが心地いい。
一周3キロほどなので徒歩で時計周りに散策することに。
と、いきなりウサギさんらがお出迎え。船の到着を待っていたようです。
人参🥕をあげたら奪い合うようにして食べてました。
そこら中にうさぎがいます。
探さなくても、向こうからぴょんぴょんと駆け寄ってきます。
人参は細くスティック状にしておくと食べやすそうです。もぐもぐしている様子に癒される。
子ウサギもやってきました。
常に一緒に行動している様子が可愛らしい。
次から次へと茂みからウサギが出てきてキリがありません。人馴れしていて撫でても抵抗が無い。目が潰れているウサギがちらほら。閉ざされた島内での近親交配からくるものかな?
桟橋から10分ほど歩いたところにある休暇村の施設。ワシントン椰子に囲まれた南国情緒あるたたずまい。ここは日本か?
うさぎのエサやりを中断して、島の最高地点にある展望台を目指すことに。意外に普通に登山道があってテンション上がります。
登り始めて10分もしないうちに開けた稜線に。なんちゅうコンパクトな島でしょうか、10分ごとに景色、イベントが変わる。この島は全く飽きません。
稜線からは瀬戸内の島々を眺めることができる。あれだけいたウサギらもこの標高高いところでは出くわしませんでした。坂が苦手なのかな?
下ってきて島の北側にある軍の施設。うさぎに気を取られていましたが、ここは昔、要塞として利用されてたのですね。砲台や弾薬庫の跡が散在しています。さながらラピュタの様子。
第一次大戦時に造られたそうで、ロシア製のレンガが使われているとのこと。
トンネルの向こうにも朽ちた施設が。発電所跡だそうで。
毒ガス製造に必要な電気をここで発電していたらしい。また女学生らにより風船爆弾の和紙風船もここで作られ修復もされていたとのこと。
老若男女問わず一億総出で戦争に関わっていた時代でした。
毒ガス製造に用いられた陶器製配管
戦時中製造された毒ガス弾の8割がここ大久野島製とは驚きです。そして作られた毒ガス弾は大量に中国の戦地で使用され、敗戦色が濃厚になったら埋めて遺棄。これが戦後になってもたまに中国で掘り出されて被害があるようで、、今の今まで全く知りませんでした。
毎夏には2発の原爆による悲惨な被害ばかり詳しく報道され、国民皆が先の大戦では被害者だった、という風にも思える情報ばかりですが、併せて日本人がその前にアジア諸国でやってきた非道の数々も報道しないのはどうしてなのだろう。
ここで作った毒ガス弾で何名が醜く命を落としたのか。
被害者プロパガンダ上、都合が悪いのだろうか?
資料館の説明ではアメリカにより2度も毒ガス製造の事実をキャッチされ製造停止勧告を再三受けてもなお作り続け中国で使用し続けた。かの国とよく似ていますね。そして最後には埋めて遺棄って、、
個人的には、8月15日は[終戦日]のような他人事からの解放日というより自らが非道の限りを尽くした戦争の[敗戦日]として自戒する日ではないか、と思うほうがしっくりいくかも。
原爆での被害者数や大統領の広島来訪と謝罪意思の有無についてハイライトするのなら、併せて日本軍はアジア諸国で何人殺戮したのか、どうやって殺したのか、遺族の家族や子孫らはどう思っているのか?も知りたい。
どうしてそうした加害側としての報道が極端に少ないのだろう? 戦争は喧嘩両成敗みたいな国際ルールがあるのだろうか?
話しがかなり重くなりました。
島内をうさぎ〜戦争遺構〜うさぎ〜戦争遺構とサブミナルのように繰り返すうちに頭がモヤモヤとしてきました。長々とすみません。
気を取り直して第一桟橋から時計周りに歩いた終点にあたるところには休暇村が運営するキャンプ場が。
瀬戸内海を見渡せる絶好のロケーションですね。
キャンプ場を見るだけで気持ちがポジティブになれます。
海岸沿いなので釣り糸を垂らしているキャンパーの方もいらっしゃいました。
サイトはうさぎ浸入防止柵に囲まれているようです。
この島には定住者はいなく夜は休暇村施設に滞在する人だけになるのだそう。
キャンプ場のすぐそばには海水浴場。夏キャンに来ないわけがない。
スーパーが無いので買い出しはしっかりしておく必要がありますね。
以上、ウサギに誘われながらいつのまにか軍施設や毒ガス製造施設の遺構を巡ることができて、更に自然豊かなトレッキングもありと、想像以上にイベントづくしの密の濃い3時間でした。
しかしどうしてこの島にうさぎが繁殖しているのか?諸説あるようですが、途中立ち寄った毒ガス資料館内にある日本語表記しかない説明には、毒ガスの効果確認に人間と良く似た症状を呈するうさぎを用いたとのこと。とするとその生き残りの子孫ということも考えられるでしょう。
もしそうだとしたら悲しいストーリーですね。次から次へと道標のようにやってくるうさぎ達に道案内されながら施設巡りができたのも何かの縁かもしれません。
お昼は三原市内のてっちゃんで広島焼きをいただきました。ここは2度目の利用。美味い!でも2人で3枚は多すぎた!
大久野島、次はキャンプで再訪させていただきたいと思います。
おすすめは朝一番のフェリーです。人がいないしうさぎ達も腹すかしてるようで沢山寄ってきます。昼過ぎるとさすがに腹一杯になって鈍くなるのではと思います。
日本の何とか部隊とか、アジア近隣国に行ったこと。
出回るのは台湾の人が日本軍が来て教育をしてくれた、日本の軍人はいい人だった、という話が多いように思います。
一方K国ががベトナムで行ったこと(事実認定されているそうです)、
C国の侵略のことなどなど。
被害者であり加害者でもあるならば、それを直視し認め、反省し償う行動をする。
そんな精神的に熟成した国は少ないのでしょうか。
さて、
このうさぎ島はしまなみ海道を走った際、候補にあがっていたのですが
が時間の都合が付かず割愛してしまいました。
いーさんのブログを読んで次回に組み込むことにしました。
ありがとうございます。