前の記事で阿弖利為(アテルイ)が没した場所を調べてみましたが、ひとつひとつみていきます。
阿弖利為阿弖流為が没した場所の記録
六国史の1つ「日本後記」延暦二十一年八月の記事に没した場所が記されています。それを写したものが日本紀略、類聚日本後紀です。
- 日本後記
「夷大墓公阿弖利爲盤具公母礼(禮)……河内国榲(搵)山」日本後記,明和元年(1764)
- 類聚日本後紀
「夷大墓公阿弖利為盤貝公母禮等……河内国椙山」類聚日本後紀,第五巻,徳川義直(編),近世中後期転写
- 日本紀略
「夷大墓公阿弖利爲盤具公母礼……河内国木?山(きへんに空白)」98番目,日本紀略,,,
- 日本紀略(誤写?
「久邇宮文庫本の「植」字のくずし字を「杜」に読み誤ったことであった。」アテルイの処刑地について
)「河内國植山」387頁,日本紀略,国史大系第5巻,経済雑誌社編,合名会社経済雑誌社,1897-1901
写本の誤り?
日本後記(榲山)→類聚日本後紀(椙山)のルートと、
日本後記(榲山)→日本紀略(植山)→(きへんに空白)→(杜山)というのは単純でしょうか?
漢字の意味から考える
榲(=榅、㮧)を大元と考えてみました。渡来人も住む古代の河内国では判読可能であった榲の文字は時代を経て使用されなくなり、榲の多義な意味の中から述べたい意味を限定した漢字へと書く際に混乱が生じたのかもしれません。榲は杜、柱、杉、柱、木の盛んな様、ひつぎのような「はこ」の意味があるようです。
- 椙(すぎ) 和製漢字
- 榲の多義から杉を抜き出したくて「杉=椙」と写本した
- 榲="榅"(根・草木繁盛・棺)と書こうとして間違えて「椙」と写本した
- 杜
- 榲の多義から杜(阻塞、やまなし・野梨・杜梨・甘棠・棠梨・赤棠)を抜き出したく「杜」と写本した(果物の資料)。
- 植
- 榲の多義から榅(草木繁盛)という意味を抜き出したく「植」と写本した
榲 15277
- 1.ヲツ ヲチ〔集韻〕烏沒切
- 2.ウン〔集韻〕紆問切
- 3.ヲン〔集韻〕烏昆切
- 4.ヰン〔集韻〕委隕切
489頁,大漢和辭典尺版六巻,大修館書店,昭和35年
- 1.
- 一.果樹の名。榲桲 ( ※マルメロ=オツボツ=信州のカリン。江戸時代の外来種)(一)を見よ。
- 二.或は㮧(6-15247)に作る。〔集韻〕榲、或从烏。
- 2
- 一.やまなし。〔正韻〕榲、杜也。
- 二.はしら。〔集韻〕榲、柱也。
- 3
- 一.すぎ。〔集韻〕榲、杉也。
- 二.ね。〔集韻〕榲、根也。
- 4.
- 一.木の盛なさま。〔集韻〕榲、木盛皃。
- 二.はこ。〔集韻〕榲、一曰、櫝(※ひつぎ)
榲康熙字典,頁544第21(孫引き)
- 《唐韻》《集韻》𠀤烏沒切,音膃。榲桲,果似𣙁也。
- 《魏王花木記》榲桲,棃別種。
- 《本草圖經》生北土,似𣙁而小。
- 又《正韻》於問切,音醞。杜也。《正字通》榲桲,俗呼杜棃。
- 又《集韻》烏昆切,音溫。杉也。又根也。
- 又《集韻》委隕切,音惲。木盛貌。
- 又《集韻》紆問切,音醞。柱也。
杜 14477
- ト ヅ……
150頁,大漢和辭典尺版六巻,大修館書店,昭和35年
- 1.やまなし。こりんご。あかなし。山野に自生する果樹の一。……棠梨。甘棠。……
- 2.とぢる。ふさぐ。とざす。……
- 3.たつ。杜、絶也。……
杜 ……《說文》甘棠也。牡曰棠,牝曰杜。樊光曰:赤者爲杜,白者爲棠。 漢典
棠 ……《說文》牡曰棠。牝曰杜 ……。今之海棠皆華而不實。葢所謂牡者曰棠也。从木。尚聲。徒郎切。十部。 漢典
烏(山海経の太陽の烏のような?)が没し棺と共に大地に還り、大地から植物の茂る死生観でしょうか?
杜棠には実がなり海棠には食せる実ならず。それとも暴れん坊を閉じ込める(杜絶)山という意味でしょうか。ひつぎの山という意味でしょうか。
山の意名前から考える
杉村の山?
椙山すぎやま=河内国交野郡杉村の山が該当地であれば、河内国交野郡杉と記載されたことでしょう。では、どこでしょうか?
男山は沢山の名前を持っている
石清水八幡宮がある男山は複数ピークがある低山です。牡山、雄徳山、鳩ヶ峰、鳩嶺、鴿嶺、香爐峰、香爐山と様々な呼ばれ方をしています。
なし-杜と棠と牡と牝
棠と杜の説文解字に「牡曰棠。牝曰杜。」とありましたが、棠が牡山なら杜の杜山は牝山になるのかもしれません。複数ピークのどれかが当時牡山と呼ばれていて、牝山(杜山)もあったのかもしれません。それが八幡市の男山と対なのか他の地域かはわかりません。
「雄德山 在八幡町上方 一名鴿(※ハト)嶺又名香爐峰又八幡山北臨京師東連甘南備山」山城国綴喜郡,五畿内志. 上巻並河永 著,日本古典全集刊行会,昭和4-5
地理と距離-平安京ではなく河内国で処刑の不合理さ
明確に処刑場所を書き記さなかったのは助命を願った漢系渡来人を祖とする坂上田村麻呂と百済系渡来人を祖とする桓武天皇が阿弖利為阿弖流為を渡来人が沢山住む河内国へ逃がす作戦だったのかもしれません。
桜と似ている陸奥山梨、秋子梨、日本山梨。北支豆梨とイヌナシの花-Pyrus ussuriensis とPyrus pyrifolia var. pyrifolia
実がならないのは牡と牝があるからではないのですよと、梨の自家不和合性かけて、異民族の人的交流と文化の豊かさをアピールしたのでしょうか。渡来系の祖先を持つ桓武天皇と坂上田村麻呂。そして大和へ併合される陸奥の阿弖利為阿弖流為。
今日の枚方牧野公園 2016年4月15日
長岡京や平安京内にも処刑場はあったはずなのに遠く郊外の-桓武天皇は記録にのこる範囲内では2回の郊天祭祀をおこない、頻繁に狩りや管弦に訪れていた-河内国で処刑をした理由とは、処罰を希望する宮中の眼から彼等を隠すためだったのではないでしょうか。それとも桓武天皇の遊び場でもある遠方の河内国へ陸奥から来た阿弖利為阿弖流為を運んで処罰する理由が何かあったのでしょうか?処刑はナシよだったりして。
マメナシの花