桓武天皇が交野ケ原にて最初の郊天祭祀をとり行ったという記録があるらしいです。現在の大阪府交野市私市だという説もあります。
桓武天皇は日本で初めて郊天祭祀を交野ヶ原で行っている。もともと, この郊祀とは古代中国において都の郊外で行われた祭祀で, 円丘を築き冬至の日に「天の神」を祀るものであった(54)。(略)従来の研究によると候補地としては枚方市の片埜神社, 杉ヶ本神社, 交野天神社などが上げられている(図8)(58)。 民間伝承の地域的特性に関する歴史地理学的研究-交野ヶ原における天体伝承を事例に 中村好恵,京都学園大学
交野ケ原の史跡と冬至の日に太陽が上る方角を調べてみると、上記三か所(片埜神社, 杉ヶ本神社, 交野天神社)は何も無いのですが、七夕伝説で有名になっている中山観音寺跡の牽牛石を基準にすると、複数の史跡を通過します。
標高約45mの丘上に立地し、現枚方観音山公園がその地という。創建は白鳳・奈良期とされ(その期の瓦を出土)、 平安期に最盛期を迎え室町期頃まで存続していたとされる。付近には三法院、奥の坊、阿闍梨坊などの地名があると云う。 (河内金剛寺蔵「胎蔵界大灌頂次第」奥書に「交野郡観音寺」との記録があると云い、これは当寺を指すとされる。) 河内交野(河内中山観音寺跡、河内岩倉開元寺跡、河内小松廃寺)
冬至の日の出 河内中山観音寺跡、天田神社、歓禅院、星川八幡神社
冬至の日の出 河内中山観音寺跡から眺めるちょうど直線の真上 →天田神社(饒速日命)・川東神社(八幡大神)→獅子窟寺の獅子窟岩・王の墓(百重ガ原・月の輪滝)→興福寺別院鶯滝宝光山 歓禅院(梵鐘(国宝)神亀4年(727)・鶯の滝)→赤目星川八幡神社(八幡大神・星川不動滝)
冬至の日の出-新宮山八幡宮-東大寺大仏殿
冬至の日の出の方角から考えると、石清水八幡宮の別院があった河内国旧星田村の新宮山八幡宮も、現在の東大寺大仏殿の上をラインが通過することから有力な候補かもしれません。新宮山八幡宮も牽牛石も、とても面白い位置取りをしていますが、それは次の記事にて。
冬至の日の出:星の森-磐船岩-神功皇后陵
交野ケ原の降星伝説の1つ星の森から冬至の日の出を見ると、磐船神社-神功皇后陵の直線を描きます。八幡大神の戦闘神的性質への祈りの場所なのでしょうか?この施設は人工的に整備され過ぎていてよくわからない場所です。発掘調査なども聴いたことがありません。