Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

日本の神話時代:日本と最初に言ったのは誰?

2017年02月22日 00時55分02秒 | 神話・伝承・民話

日本と最初に言ったのは誰?

郷土史資料を読んでいた最中、ふと 「日本」という名前を一番はじめに述べたのは誰ということになっているのだろうという点が気になり始めました。
河内国には日本神話に出てくる哮峰であるという場所が二カ所あり、一番最初に日本と呼称された場所はそこですよ、というお話を聴いたことがあります。

全く門外漢ながら、日本書紀(720年)や古事記(712年)をざっくりと調べてみました。

古事記の世界観

古事記の中で陸地側は「倭」「大八嶋國」「秋津島」「虚空」「芦原中国」と色々な名前で呼称されています。

倭は出雲に対してと指定する地方の地名のようです。
倭を告げた最初の存在は大国主命の元からスクナヒコナが常世国へ去った後、海からやってきて倭の御諸山へ自分を祀るよう告げた光る神です。

大八嶋國という名称は伊邪那岐命と伊邪那美命が国生みで造られた8つの島を指すので、今の日本の範囲よりもかなり狭い範囲しか指しません。
秋津島という名称も「大倭秋津島(虚空(天御虚空秋津根別)(本州)」を産んだよ、とさらりと語られていて、後世の呼び名なのか造った神様がその時からそう呼んでいたのかも解りません。

「葦原中国」は黄泉比良坂で伊邪那岐命が桃へ告げています。しかし日本国というよりもより広い地上を意味するようにも感じます。

古事記では「葦原中国」は伊邪那美命との黄泉比良坂での物語りの中で伊邪那岐命が告げたことが描かれていますが、他の名称は告げたものなのか名付けたものなのか、はじまりがよくわかりませんでした。しかし日本書紀では色々なことがわかります。

日本書紀の世界観

日本書紀では
天神が伊弉諾尊・伊弉冉尊へ「豐葦原千五百秋瑞穗之地」と国産みするように誘い告げます。
また、後に神武天皇がはじめての国見の際に「秋津島」(蜻蛉が繋がっているような)と呼称します。

日本国

神光照海

少名毘古那(スクナヒコナ)が常世国へ去った後、素戔嗚尊の息子大己貴神が出会う神光日本国と告げていますが、その光は大己貴神の幸魂・奇魂、すなわち大己貴神自身であり、「吾欲住於日本國之三諸山。」(日本国の三諸山に住むぞ)と告げているのでその時点では既に日本国の三諸山が何処を指すのかは定義済みであるようなので、これが最初の日本国ではなさそうです。

虚空見日本国

神武天皇が目指した「東の美し国」へ饒速日命は「虚空日本国」と虚から見て天磐船で天孫降臨します。神話の中ではこれが最初の日本国である説は妥当であるようです。
先代旧事本紀によると高皇産霊尊の子・饒速日命は弟の瓊々杵尊より早くに河内国・河上の哮峯へ降臨し、大倭国の鳥見の白庭山へ行ったとあるようです。( http://mononobe.webcrow.jp/kujihongi/yaku/tenjin.html )

虚空という表現は古事記においても見られます(大倭豊秋津嶋(本州)の名前である天御虚空秋津根別)。日本国の始原に仏語の虚空があるなら、神道の世界においては日本の根本に仏もまたあるを意味するのかもしれません。記紀が献げられた天皇・元明天皇と元正天皇は母と娘の女帝ですが、日本神話の礎が女帝の時代に築かれたというのは、とても興味深いです。

冬至夏至の日、饒速日命が天孫降臨された河内国・河上の哮峯のすぐ近くの 星田新池上流の地獄谷の 茄子石の滝(聖滝) から虚空蔵山へ沈む夕日が眺められます。

茄子石・夏至の日の入り妙見山・虚空蔵山・竜王山


引用資料

古事記

倭:伊邪那岐命・伊邪那美命 (大倭豐秋津嶋)、光が大國主神に言う(倭之青垣東山上)
秋津嶋:伊邪那岐命・伊邪那美命  大倭豐秋津嶋、天御虛空豐秋津
虛空:伊邪那岐命・伊邪那美命 天御虛空豐秋津
葦原中國:伊邪那岐命が桃へ言う。 天照大御神之命(豐葦原之千秋長五百秋之水穗國)

古事記 上巻-2/神代七代

1.「(伊邪那岐命・伊邪那美命)次生大豐秋津嶋、亦名謂天御虛空豐秋津根別。故、因此八嶋先所生、謂大八嶋國。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_02.html

「次に大豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ=本州)を生みました。この名前を天御虚空豊秋津根別(アマツミソラトヨアキツネワケ)といいます。 」
http://nihonsinwa.com/page/185.html

創世編

2.「猶追、到黃泉比良此二之坂本時、取在其坂本桃子三箇待擊者、悉逃迯也。爾伊邪那岐命、告其桃子「汝、如助吾、於葦原中國所有宇都志伎此四字以音青人草之落苦瀬而患惚時、可助。」告、賜名號、意富加牟豆美命。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_02.html

「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に至ったときに、桃の実3個を投げると、軍勢は退散しました。 イザナギはその桃に 「お前は私を助けてくれたように、人民が苦しいときには助けてくれ」と言い、意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)という名前を与えました。」
http://nihonsinwa.com/page/200.html

3.「故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_03.html

「スサノオの悪さを見た天照大御神(アマテラスオオミカミ)は恐ろしくなって、天の岩屋(=天の岩戸)の中に籠ってしまいました。すると、高天原は暗くなり、葦原中国(地上)も暗闇となり、朝が来ない永遠の夜となったのです。」
http://nihonsinwa.com/page/227.html

古事記の大國主神

4.「又其神之嫡后、須勢理毘賣命、甚爲嫉妬、故其日子遲神、和備弖三字以音、自出雲將上坐倭國而、束裝立時、片御手者、繋御馬之鞍、片御足、蹈入其御鐙而、歌曰、」

「八千矛神(ヤチホコ神=オオクニヌシ)の正妻の須勢理毘売(スセリヒメ)はとても嫉妬深い女神でした。そのために、八千矛神は当惑してしまい、出雲から大和へと移動しようと、旅支度をしました。」
http://nihonsinwa.com/page/288.html

5.(神皇産霊神の子小名毘古那神登場退出の後)
「是時有光海依來之神、其神言「能治我前者、吾能共與相作成。若不然者、國難成。」爾大國主神曰「然者、治奉之狀奈何。」答言「吾者、伊都岐奉于之青垣東山上。」此者、坐御諸山上神也。」
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_04.html

「大国主神(オオクニヌシ神)は言いました。
「大国主神(オオクニヌシ神)が凹んでいると、海を光ってやってくる神が居ました。その神が言うには
「私を丁寧に祀れば、わたしはあなたと共に、国を作ろう。もし祀らなければ巧くいかないだろう」
ならばあなたの魂を治め祀るにはどうしたらよいですか?」
すると
「私の魂を大和を取り囲んでいる山々の東の山に斎き祀れ」
と答えました。
この神は御諸山にいる神です。」

古事記 葦原中國の平定

6.「天照大御神之命以「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。」言因賜而天降也。」
http:http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_05.html

「天照大御神(アマテラスオオミカミ)は命じました。
豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(トヨアシハラノチアキナガイホアキノミズホノクニ=葦原の長く長く幾千年も水田に稲穂のなる国=日本)は、わたしの子供である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ命)が統治すべきだ」 と言い、天から降りることになりました。」
http:http://nihonsinwa.com/page/310.html

日本書紀

神武天皇=イワレビコ

虛空:饒速日命(虚空見日本國)
豐葦原千五百秋瑞穗之地:天神が伊弉諾尊・伊弉冉尊へ述べる。
日本國:神光(大己貴神の幸魂奇魂)が大己貴神へ述べる。または饒速日命(虚空見日本國)。
秋津洲:神武天皇


日本書紀神代上 第四段(伊弉諾尊・伊弉冉尊)

7.「一書曰、天神謂伊弉諾尊・伊弉冉尊曰「有豐葦原千五百秋瑞穗之地、宜汝往脩之。」
http:http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html

「ある書によると
天津神がイザナギとイザナミにいいました。
豊葦原(トヨアシハラ)の千五百秋に瑞穂の地がある。おまえたちはそこに行って治めなさい」
http://nihonsinwa.com/page/672.html

8.「廼生大日本(日本、此云耶麻騰。下皆效此)豐秋津洲。」

「すぐに大日本豊秋津洲(オオヤマトトヨアキツシマ)が生まれました。 」
http://nihonsinwa.com/page/671.html

日本書紀神代上第八段

9.「于時、神光照海、忽然有浮來者、曰「如吾不在者、汝何能平此國乎。由吾在故、汝得建其大造之績矣。」是時、大己貴神問曰「然則汝是誰耶。」對曰「吾是汝之幸魂奇魂也。」大己貴神曰「唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶。」對曰「吾欲住於日本國之三諸山。」」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html

「すると、神々しい光が浮かび、海を照らして、たちまちやって来ました。その光が言いました。
「もしも、わたしが居なければ、お前はこの国を平定出来なかっただろう。わたしが居てこそ、この大きな結果を出すことが出来たのだ」
このときオオナムチは言いました。
「では、お前は誰だ??」
光は答えました。
「わたしはお前の幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)だ」
オオナムチは言いました。
「なるほど。そうか。
お前は、わたしの幸魂奇魂だ。
これから何処に住みたいと思うか??」
すると答えました。
「わたしは日本国(ヤマトノクニ)の三諸山(ミモロヤマ)に住もうと思う」
それで宮殿を作り、祀りました。それが大三輪(オオミワ)の神です。」
http://nihonsinwa.com/page/736.html

日本書紀神代下第十一段

10.「彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊、以其姨玉依姬爲妃、生彥五瀬命、次稻飯命、次三毛入野命、次神日本磐余彥尊、凡生四男。久之彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊、崩於西洲之宮、因葬日向吾平山上陵。」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_02.html

「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)はその叔母(母の豊玉姫の妹)の玉依姫(タマヨリヒメ)を妃として、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を産みました。次に稻飯命(イナイイノミコト=稲飯命)を産みました。 次に三毛入野命(ミケイリノノミコト)を産みました。 次に神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)を産みました。 」
http://nihonsinwa.com/page/848.html

日本書紀神武天皇即位前紀

11.「抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」」

「ところで鹽土老翁(シオツチノオジ)から聞いたのだが、
『東に美(ウマ)し国がある。青い山を四方に囲まれて、その中に天磐船(アマノイワフネ)に乗って飛んで降りた者が居る』とのこと。
思うに、その土地は必ずこの大きな事業を広め、天下に威光を輝かせるに相応しい場所だろう。六合(クニ=国)の中心となるだろう。
その飛び降りた者とは饒速日(ニギハヤヒ)だろう。その土地へと行って、都にしようではないか」 」 
http://nihonsinwa.com/page/854.html

日本書紀神武天皇十有二月癸巳朔丙申

12.時、長髄彥乃遣行人、言於天皇曰「嘗有天神之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。(饒速日、此云儞藝波揶卑。)」

「そのとき、長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに使者を派遣して、天皇に告げました。
「昔、天津神(アマツカミ)の子(ミコ)がいました。
天磐船(アマノイワフネ)に乗って天より降りて来ました。
その名を櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒノミコト)といいます。
(饒速日は「儞藝波揶卑(ニギハヤヒ)」と読みます。)」

日本書紀神武天皇卅有一年夏四月乙酉朔

13.「因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。秀眞國、此云袍圖莽句爾。」復、大己貴大神目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空日本國矣。」」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html

「腋上(ワキガミ)の嗛間丘(ホホマノオカ)に登りました。
そして国を状況を見回して言いました。
「あぁ!!! 良い国を得たものだ! 内木錦之眞迮國(ウツユウノマサキクニ)ではあるが、蜻蛉(アキツ=トンボのこと)が繋がっているようでもあるなぁ」
(姸哉は鞅奈珥夜(アナニヤ)と読みます。)
これが秋津洲(アキヅシマ=日本列島のこと)という名前の由来です。
昔、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が名付けて言いました。
日本(ヤマト)は心安らかな『浦安の国』だ。
細い矛が沢山ある…
細矛(クワシホコ)の千足(チダ)る国』だ。
磯輪上秀眞國(シワカミホツマクニ)だ。」
(秀眞國は袍圖莽句爾(ホツマクニ)と読みます。)
また大己貴大神(オオアナムチノオオカミ)が名付けて
玉牆内國(タマガキノウチツクニ)」
と言いました。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は天磐船(アマノイワフネ)に乗って太虛(オオゾラ)を廻って、この国を見て降臨しました。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)はこの国を「虚空(ソラ)見つ日本(ヤマト)の国」と言いました。」

少名毘古那(古事記)-造化の三神の神皇産霊神(古事記)高皇産霊尊(日本書紀)の子
大穴牟遲神(古事記)

古事記の虚空津日高=山幸彦


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