2020年2月の筑後吉井の続き。
そして今回の旅のメインのひとつ、居蔵の館へ。ここは櫨ろうの生産で財を成した松田家の分家の家であった。
建物は明治末期に建てられ大正初期に改築されたもの。1914(大正3)年の棟札が見つかっている。
ちょうど白壁通りから90度折れるあたりに建っているこの家は、白壁通りに軒を連ねていた漆喰塗り籠めの町家と、
吉井小学校の前の通り沿いの前庭付き邸宅とを折衷したような建物だ。
町家風の建物の横に続く板塀には客用の門が造られ、現在は締め切られているが、式台を持つ玄関へのアプローチとなっている。
白壁の建物の引き戸の入口を入ると、通り土間が裏庭まで貫き、そこに面して奥行き方向に3部屋が並ぶ町家のつくり。
それらの部屋は通り土間に対してオープンである。
ここは日常的な出入りのための勝手口だったようだ。奥へ抜けるとかまどのある台所、お風呂場、土蔵と続く。
通り土間に置かれたショーケースには、製鑞業の資料や吉井のまちなみの資料も展示されていた。
吉井の木蝋はかつて産額、品質共に日本一だったという。商品取引によって蓄財された莫大な富「吉井銀」は
吉井銀行の設立へとつながる。日本銀行のわずか2年後の1882(明治15)年に地方で銀行が設立されていることから
筑後吉井の繁栄ぶりがうかがわれる。
そして、展示されていた昔の筑後吉井のまちなみの写真を見ると、何と、現在まちなみ商家などが建ち並ぶ
メインストリートに、かつて蒸気機関車が走っていたらしい。すごい光景にびっくり!!
路面電車の走っていたまちはよくあるが、それよりも早い時代である。1928(昭和3)年に国鉄久大本線の
久留米~筑後吉井間が開通したことに伴いこの路面汽車は廃止された。尚。JR筑後吉井駅は町からほど近いところにある。
さて、主屋は二階建てで、中央の部屋だけは高い吹き抜けになっている。その部屋には神棚が祀られており、
神様の上に人がいることのないように、なのだとか。
裏庭に近い部屋は豪快な根太天井。
箱階段があり2階への上り口となっている。
こちらの面は箱階段と普通の箪笥がトータルコーディネイトされていた。
1階を先に見よう。
仏間とそれに続く和室の欄間はまた面白いもので、扇型にくり抜かれた窓に障子がはまっているのだが、
扇が真ん中から割れるかのように、障子が開くのだ。
障子は真横にスライドしているだけなのだが、障子が開くと扇を開いたような錯覚をおこす。
閉めた状態も開けた状態もどちらも面白い。
板塀の門から式台玄関へのアプローチ。
庭に張り出した2間続きの角座敷は合わせて21畳の広さとなる。古そうな襖絵は、オリジナルのままなのだとか。
かなり傷んでいるので、ちょっと修復して直接触られないようにした方がいいんじゃないのかな・・・(汗)、心配になる。
今は保育園児の作品のお雛様がずらりと展示されていた(笑)
ここの欄間がまたすごい!!写実的な松竹梅の透かし彫り。一枚の板から彫り出した一刀彫だな。
置かれた箪笥の飾り金具も凝っている。
緻密な模様の飾り金具。ここに貴重品が入っていることがバレバレじゃないか(爆)
続く。
そして今回の旅のメインのひとつ、居蔵の館へ。ここは櫨ろうの生産で財を成した松田家の分家の家であった。
建物は明治末期に建てられ大正初期に改築されたもの。1914(大正3)年の棟札が見つかっている。
ちょうど白壁通りから90度折れるあたりに建っているこの家は、白壁通りに軒を連ねていた漆喰塗り籠めの町家と、
吉井小学校の前の通り沿いの前庭付き邸宅とを折衷したような建物だ。
町家風の建物の横に続く板塀には客用の門が造られ、現在は締め切られているが、式台を持つ玄関へのアプローチとなっている。
白壁の建物の引き戸の入口を入ると、通り土間が裏庭まで貫き、そこに面して奥行き方向に3部屋が並ぶ町家のつくり。
それらの部屋は通り土間に対してオープンである。
ここは日常的な出入りのための勝手口だったようだ。奥へ抜けるとかまどのある台所、お風呂場、土蔵と続く。
通り土間に置かれたショーケースには、製鑞業の資料や吉井のまちなみの資料も展示されていた。
吉井の木蝋はかつて産額、品質共に日本一だったという。商品取引によって蓄財された莫大な富「吉井銀」は
吉井銀行の設立へとつながる。日本銀行のわずか2年後の1882(明治15)年に地方で銀行が設立されていることから
筑後吉井の繁栄ぶりがうかがわれる。
そして、展示されていた昔の筑後吉井のまちなみの写真を見ると、何と、現在まちなみ商家などが建ち並ぶ
メインストリートに、かつて蒸気機関車が走っていたらしい。すごい光景にびっくり!!
路面電車の走っていたまちはよくあるが、それよりも早い時代である。1928(昭和3)年に国鉄久大本線の
久留米~筑後吉井間が開通したことに伴いこの路面汽車は廃止された。尚。JR筑後吉井駅は町からほど近いところにある。
さて、主屋は二階建てで、中央の部屋だけは高い吹き抜けになっている。その部屋には神棚が祀られており、
神様の上に人がいることのないように、なのだとか。
裏庭に近い部屋は豪快な根太天井。
箱階段があり2階への上り口となっている。
こちらの面は箱階段と普通の箪笥がトータルコーディネイトされていた。
1階を先に見よう。
仏間とそれに続く和室の欄間はまた面白いもので、扇型にくり抜かれた窓に障子がはまっているのだが、
扇が真ん中から割れるかのように、障子が開くのだ。
障子は真横にスライドしているだけなのだが、障子が開くと扇を開いたような錯覚をおこす。
閉めた状態も開けた状態もどちらも面白い。
板塀の門から式台玄関へのアプローチ。
庭に張り出した2間続きの角座敷は合わせて21畳の広さとなる。古そうな襖絵は、オリジナルのままなのだとか。
かなり傷んでいるので、ちょっと修復して直接触られないようにした方がいいんじゃないのかな・・・(汗)、心配になる。
今は保育園児の作品のお雛様がずらりと展示されていた(笑)
ここの欄間がまたすごい!!写実的な松竹梅の透かし彫り。一枚の板から彫り出した一刀彫だな。
置かれた箪笥の飾り金具も凝っている。
緻密な模様の飾り金具。ここに貴重品が入っていることがバレバレじゃないか(爆)
続く。
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