2020年2月の原鶴温泉からの続き。
最終日、原鶴温泉泰泉閣から、アポイントを取ってあった楠森河北家住宅へ向かう。
途中まで軽トラで迎えてにきて下さった河北さんについて細い道を車で進んで行くと、竹垣に囲まれた森のような一角に・・・
えっ、ここはいったい・・・?周囲には茅葺の家なども見える。ついさっきまでまちだったのに、急に別世界に来たみたいだ。
車を降りると、3階建かと思うほど背が高く大きな屋根の主屋が目の前に建っていた。主屋は1881(明治14)年築。
屋敷のほとんどは塀に囲まれているが、主屋の一部だけが外部に面し直接建物に入れるようになっている。
入口は農家らしい雰囲気である。
河北家は800年27代も続く旧家。源頼朝からこの地を賜ったのだとか!?
「楠森堂」の屋号でお茶の製造販売をされており、製茶業は200年の歴史を持つ。
主屋の脇に庭へ入る木戸があり、どうぞ、と案内されるまま足を踏み入れると、、、うわぁ・・・幽玄。
足元にはビロードのような苔が光り、楠の巨木がはるかに頭上までそびえている。
屋号の「楠森」の文字通り、このあたりは楠がたくさん生えていたといい、古い木は樹齢500年ほどにもなるとか。
大きく盛り上がった根は、庭木として植えられたものではなく建物が建つより前から森に生えていたことを思わせる。
そしてこの樹海のようなお庭に張り出している部屋は、大正初期に接客用に増築された「新座敷」である。
接客用の座敷だというが、三方の建具が全て取り払われた部屋はまるで能舞台!
うわぁ・・・部屋の向こうにはまた庭が広がっている。屋内と屋外がつながっている。まるで、透明な部屋のようだ。
部屋に上がらせて頂き床の間を背に座ると、視界の端から端までお庭の緑色に占められる。
時間によっては木漏れ日が室内に注ぎ、季節によって紅葉も楽しめ、四季折々の表情を見せるというお庭。
この素晴らしい座敷で、美味しいお茶を頂く贅沢・・・今日はあまり寒くなくてよかった。
大正時代の建物である新座敷はディテールも面白い。
緑色の塗り壁。1間半の大きな床の間の床框は、墨を流したような黒柿の材が使われている。
床脇の天袋には漆の細工が。
わざと凹凸をつけて漆を塗り重ね、研ぎ出してあるのだろうか。
四角を段違いに配置した形の欄間。
書院の欄間は帆船だ。港の風景だろうか、背景も緻密に描かれている。
かわいい釘隠し。
この部屋は舞台なのか!?尋ねてみたところ、ここはもとから畳敷きであり能のために作られたものではないそうだが、
このつくりを生かして能や雅楽を楽しむイベントをこれまでに何度も開かれているという。
28代目の河北幸高さんはここで生まれたのではないが、15年前にお父様のご実家であるこの家に戻ってこられ、
長い長い歴史を刻んだこの建物や伝統を守り続ける決心をされた。
旧家だからと閉鎖的にしているのでなく、この場所を核として、伝統行事にも新しいイベントにもどんどん外から
人を呼び込んで新たなつながりを作り、地域ごと活性化する中で建物も維持していけるような仕組みを作りたいと考え、
ブログなどでも精力的に情報発信されている。素晴らしいなぁ!
河北家の屋敷の周りには細い真竹の枝を太い孟宗竹で押さえた竹垣が150m続き、アプローチを印象的にしている。
この竹垣の修復作業、「壁結」は、300年以上続く重要な伝統行事である。
こういう竹垣が残る屋敷自体少ないうえに、「壁結」が今も続けられているのは九州北部で河北家のみだとか。
壁結では、4段の孟宗竹を1年ごとに1段ずつ取り替え、同時に細い真竹の枝も追加していく。
角の部分は組むのではなく曲げてあり、太い竹を荒縄で締め付けていくのは技術と力の要る作業だ。
これを4年で1サイクルとして、毎年旧正月二十日に行うのである。
壁結は家の人だけではできないので、外部からもボランティアの人たちを広く受け入れて、行っておられる。
立派な建物も垣も、人がいないとすぐ朽ちてしまう。現状維持するにも人のパワーが要るのだ。
今年は3月に予定されていた壁結が、新型コロナウィルスの影響で政府のイベント自粛要請により、中止されたらしい。。。
300年続いてきた行事を中止するのはさぞや無念だっただろうな。。。
来年は2年分の竹を取り替えるのかどうか分からないが・・・壁結のボランティア希望の方は、楠森堂のサイトへ。→こちら(壁結の記事)
私も時期がうまく合えば一度参加してみたいなぁ。
続く。
最終日、原鶴温泉泰泉閣から、アポイントを取ってあった楠森河北家住宅へ向かう。
途中まで軽トラで迎えてにきて下さった河北さんについて細い道を車で進んで行くと、竹垣に囲まれた森のような一角に・・・
えっ、ここはいったい・・・?周囲には茅葺の家なども見える。ついさっきまでまちだったのに、急に別世界に来たみたいだ。
車を降りると、3階建かと思うほど背が高く大きな屋根の主屋が目の前に建っていた。主屋は1881(明治14)年築。
屋敷のほとんどは塀に囲まれているが、主屋の一部だけが外部に面し直接建物に入れるようになっている。
入口は農家らしい雰囲気である。
河北家は800年27代も続く旧家。源頼朝からこの地を賜ったのだとか!?
「楠森堂」の屋号でお茶の製造販売をされており、製茶業は200年の歴史を持つ。
主屋の脇に庭へ入る木戸があり、どうぞ、と案内されるまま足を踏み入れると、、、うわぁ・・・幽玄。
足元にはビロードのような苔が光り、楠の巨木がはるかに頭上までそびえている。
屋号の「楠森」の文字通り、このあたりは楠がたくさん生えていたといい、古い木は樹齢500年ほどにもなるとか。
大きく盛り上がった根は、庭木として植えられたものではなく建物が建つより前から森に生えていたことを思わせる。
そしてこの樹海のようなお庭に張り出している部屋は、大正初期に接客用に増築された「新座敷」である。
接客用の座敷だというが、三方の建具が全て取り払われた部屋はまるで能舞台!
うわぁ・・・部屋の向こうにはまた庭が広がっている。屋内と屋外がつながっている。まるで、透明な部屋のようだ。
部屋に上がらせて頂き床の間を背に座ると、視界の端から端までお庭の緑色に占められる。
時間によっては木漏れ日が室内に注ぎ、季節によって紅葉も楽しめ、四季折々の表情を見せるというお庭。
この素晴らしい座敷で、美味しいお茶を頂く贅沢・・・今日はあまり寒くなくてよかった。
大正時代の建物である新座敷はディテールも面白い。
緑色の塗り壁。1間半の大きな床の間の床框は、墨を流したような黒柿の材が使われている。
床脇の天袋には漆の細工が。
わざと凹凸をつけて漆を塗り重ね、研ぎ出してあるのだろうか。
四角を段違いに配置した形の欄間。
書院の欄間は帆船だ。港の風景だろうか、背景も緻密に描かれている。
かわいい釘隠し。
この部屋は舞台なのか!?尋ねてみたところ、ここはもとから畳敷きであり能のために作られたものではないそうだが、
このつくりを生かして能や雅楽を楽しむイベントをこれまでに何度も開かれているという。
28代目の河北幸高さんはここで生まれたのではないが、15年前にお父様のご実家であるこの家に戻ってこられ、
長い長い歴史を刻んだこの建物や伝統を守り続ける決心をされた。
旧家だからと閉鎖的にしているのでなく、この場所を核として、伝統行事にも新しいイベントにもどんどん外から
人を呼び込んで新たなつながりを作り、地域ごと活性化する中で建物も維持していけるような仕組みを作りたいと考え、
ブログなどでも精力的に情報発信されている。素晴らしいなぁ!
河北家の屋敷の周りには細い真竹の枝を太い孟宗竹で押さえた竹垣が150m続き、アプローチを印象的にしている。
この竹垣の修復作業、「壁結」は、300年以上続く重要な伝統行事である。
こういう竹垣が残る屋敷自体少ないうえに、「壁結」が今も続けられているのは九州北部で河北家のみだとか。
壁結では、4段の孟宗竹を1年ごとに1段ずつ取り替え、同時に細い真竹の枝も追加していく。
角の部分は組むのではなく曲げてあり、太い竹を荒縄で締め付けていくのは技術と力の要る作業だ。
これを4年で1サイクルとして、毎年旧正月二十日に行うのである。
壁結は家の人だけではできないので、外部からもボランティアの人たちを広く受け入れて、行っておられる。
立派な建物も垣も、人がいないとすぐ朽ちてしまう。現状維持するにも人のパワーが要るのだ。
今年は3月に予定されていた壁結が、新型コロナウィルスの影響で政府のイベント自粛要請により、中止されたらしい。。。
300年続いてきた行事を中止するのはさぞや無念だっただろうな。。。
来年は2年分の竹を取り替えるのかどうか分からないが・・・壁結のボランティア希望の方は、楠森堂のサイトへ。→こちら(壁結の記事)
私も時期がうまく合えば一度参加してみたいなぁ。
続く。
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