今年の3月に友人と九州へ行ってきたときのことを。
私はフェリーで新門司へ入り、小倉で前泊の友人とレンタカー屋で合流。
今回も料亭・木造旅館とタイルスポット、近代建築、土木遺産などをめぐる計画。
まずやってきたのは田川伊田。ランチの時間までまだしばらくあるので、伊田の石炭記念公園を見に行く。
日田彦山線は大好きだったし平成筑豊鉄道の駅めぐりをしたこともあるので、このあたりは何度も来ていて
高い2本の煙突はいつも遠目に見ていたが、間近で見上げるのは初めて。

「平成筑豊」で検索した過去記事→こちら
石炭記念公園は三井田川鉱業所伊田坑跡を公園として整備したところで、高さ約45.45m、
根元の外径5.8mもあるレンガの煙突と、高さ23mの竪坑櫓が、炭鉱のシンボルとして残されている。
ドアもあって人が住めそうだな!(笑)

1909(明治42)年に完成した巨大な竪坑櫓。この真下に直径5.5m、深さ約314m(!!?)の
竪坑があって、そこから横へ坑道が伸びていたとか。ひえぇぇ~~~(恐)

そしてこの竪坑櫓は、その深い深い穴を上り下りするためのエレベーターである。

この2段式のケージを穴の中に吊るしてワイヤーを巻き上げる。掘った石炭を運び出し、人もこれで上り下りしたのだ。
あぁ、300mも地の底へ降りて行くのはいったいどんな気分だったのだろう。。。

以前見た大牟田の宮原坑のも同じようなタイプでもう少し小さい竪坑櫓で、志免の竪坑櫓は1943(昭和18)年
完成のかなり新しいタイプ。
資料館の屋外スペースにはかわいい凸型の電気機関車や炭鉱で使用されていた機械類が展示されている。

ジオラマを見ると、今は広い芝生になっているところはかつてたくさんの建物が建っていたことがわかる。

石炭は燃やしてエネルギーを得るだけではなく、さまざまな素材の原料となり、製品となる。
黒い塊からどうやったら繊維や甘味料ができるのか・・・化学は全然分からないが、、、このような大変有用な
鉱物が地下を掘れば掘るだけザクザク出てくるのだから、そりゃ掘るわな。

しかし現場は実に過酷だ。狭くて暗くて空気の淀んだ坑内での重労働。閉所恐怖症の私は模型を見るだけでぞっとする。。。
藏内邸や、伊藤伝右衛門邸、高取邸など、豪華な邸宅を持つ炭鉱王の富は、このような粉塵にまみれた労働者の
血と汗によって蓄積されたものであり、日本の近代化も彼らの日々の労働なくしては実現しなかったのだ、と
いうことをあらためて教えてくれる。

さて、そろそろ予約しておいた料亭あをぎりへランチに。

料亭あをぎりは旧林田春次郎邸。林田春次郎は伊田村長から初代田川市長も務めた人で、炭鉱閉山後をも視野に
入れた将来の理想を掲げ、政治家として地域の発展に尽くした。

1914(大正3)年築の本館と、1934(昭和9)年築の新館からなる。
玄関があるのが本館。着物姿の女性に案内され、新館1階の個室へ。おや、洋風の階段が。2階もあるのだな。
新館は銅板葺きだったことから「銅御殿」と呼ばれ、炭都の繁栄の象徴であった。


上質で落ち着いた書院造のお部屋。

少し高みに建っているので視界が開けている。

筬欄間と透かし彫りを組み合わせた欄間が美しいな!


炭鉱のまちで迎賓館の役割を担ってきた料亭。気取らず、それでいて晴れやかな場だ。
お料理はリーズナブルでおいしかった!

食事のあと2階の見学もお願いしたら快く案内してくださった。

折り上げ格天井2間続きの大広間。1階よりもゴージャスな仕様だ。

格板は屋久杉だろうか。

広間の外側に幅1間の畳廊下がついているが、いちばん奥が仕切られて小さな部屋になっている。
丸窓を覗くと・・・

この小部屋もまた折り上げ格天井。床の間もあり窓の障子には蓮の花の透かし彫りまでついていて凝っている!
優雅な隠れ部屋だろうか。なお、大広間の床の間の横からつながっている。

お店の隣には、林田春次郎の顕彰碑が建っている。
続く。
私はフェリーで新門司へ入り、小倉で前泊の友人とレンタカー屋で合流。
今回も料亭・木造旅館とタイルスポット、近代建築、土木遺産などをめぐる計画。
まずやってきたのは田川伊田。ランチの時間までまだしばらくあるので、伊田の石炭記念公園を見に行く。
日田彦山線は大好きだったし平成筑豊鉄道の駅めぐりをしたこともあるので、このあたりは何度も来ていて
高い2本の煙突はいつも遠目に見ていたが、間近で見上げるのは初めて。

「平成筑豊」で検索した過去記事→こちら
石炭記念公園は三井田川鉱業所伊田坑跡を公園として整備したところで、高さ約45.45m、
根元の外径5.8mもあるレンガの煙突と、高さ23mの竪坑櫓が、炭鉱のシンボルとして残されている。
ドアもあって人が住めそうだな!(笑)

1909(明治42)年に完成した巨大な竪坑櫓。この真下に直径5.5m、深さ約314m(!!?)の
竪坑があって、そこから横へ坑道が伸びていたとか。ひえぇぇ~~~(恐)

そしてこの竪坑櫓は、その深い深い穴を上り下りするためのエレベーターである。

この2段式のケージを穴の中に吊るしてワイヤーを巻き上げる。掘った石炭を運び出し、人もこれで上り下りしたのだ。
あぁ、300mも地の底へ降りて行くのはいったいどんな気分だったのだろう。。。

以前見た大牟田の宮原坑のも同じようなタイプでもう少し小さい竪坑櫓で、志免の竪坑櫓は1943(昭和18)年
完成のかなり新しいタイプ。
資料館の屋外スペースにはかわいい凸型の電気機関車や炭鉱で使用されていた機械類が展示されている。

ジオラマを見ると、今は広い芝生になっているところはかつてたくさんの建物が建っていたことがわかる。

石炭は燃やしてエネルギーを得るだけではなく、さまざまな素材の原料となり、製品となる。
黒い塊からどうやったら繊維や甘味料ができるのか・・・化学は全然分からないが、、、このような大変有用な
鉱物が地下を掘れば掘るだけザクザク出てくるのだから、そりゃ掘るわな。

しかし現場は実に過酷だ。狭くて暗くて空気の淀んだ坑内での重労働。閉所恐怖症の私は模型を見るだけでぞっとする。。。
藏内邸や、伊藤伝右衛門邸、高取邸など、豪華な邸宅を持つ炭鉱王の富は、このような粉塵にまみれた労働者の
血と汗によって蓄積されたものであり、日本の近代化も彼らの日々の労働なくしては実現しなかったのだ、と
いうことをあらためて教えてくれる。

さて、そろそろ予約しておいた料亭あをぎりへランチに。

料亭あをぎりは旧林田春次郎邸。林田春次郎は伊田村長から初代田川市長も務めた人で、炭鉱閉山後をも視野に
入れた将来の理想を掲げ、政治家として地域の発展に尽くした。

1914(大正3)年築の本館と、1934(昭和9)年築の新館からなる。
玄関があるのが本館。着物姿の女性に案内され、新館1階の個室へ。おや、洋風の階段が。2階もあるのだな。
新館は銅板葺きだったことから「銅御殿」と呼ばれ、炭都の繁栄の象徴であった。


上質で落ち着いた書院造のお部屋。

少し高みに建っているので視界が開けている。

筬欄間と透かし彫りを組み合わせた欄間が美しいな!


炭鉱のまちで迎賓館の役割を担ってきた料亭。気取らず、それでいて晴れやかな場だ。
お料理はリーズナブルでおいしかった!

食事のあと2階の見学もお願いしたら快く案内してくださった。

折り上げ格天井2間続きの大広間。1階よりもゴージャスな仕様だ。

格板は屋久杉だろうか。

広間の外側に幅1間の畳廊下がついているが、いちばん奥が仕切られて小さな部屋になっている。
丸窓を覗くと・・・

この小部屋もまた折り上げ格天井。床の間もあり窓の障子には蓮の花の透かし彫りまでついていて凝っている!
優雅な隠れ部屋だろうか。なお、大広間の床の間の横からつながっている。

お店の隣には、林田春次郎の顕彰碑が建っている。
続く。
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