2019年秋の長岡からの続き。
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こちら、貞観堂の貴賓用の入口「真之玄関」。
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そのすぐ目の前にある二之間が「容斎之間」と呼ばれるのは、襖に描かれた「洛外嵐山」の作者、菊池容斎の名から。
孝明天皇より日本画士の号を賜り、歴史画の大家と言われた画家である。
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そして二之間の奥にある「上段の間」は貴賓客を通すための、この建物の中で最上位の部屋である。
岸駒とその弟子によって描かれた「涛華」の襖絵。
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この鷹の絵は菊池容斎作。彼はこの家に多くの作品を残しているという。
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付書院の透かし彫りの欄間。
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そしてこの上段の間は「望陽台」と呼ばれ、お庭はここから一番美しく見えるように作られているとか。
さすがに素晴らしい眺め!
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新潟の庭園でよく見られるように、赤玉と呼ばれる佐渡で採れる真っ赤な石がポイントとして使われている。
針葉樹や苔の緑一色の庭園で差し色として重宝されたのだろう。
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この石はオレンジ色も混ざっている。本当に不思議な、宝石のような石。
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部屋を囲む形で配された畳廊下は、庭を楽しむために畳敷にしてあるのだろう。廊下のどこでも気に入った場所に
座り込んで眺めることができる。
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畳廊下からさらに外側に張り出した濡れ縁に立てば、180度の視界にお庭の緑が広がる。あぁ、気持ちいいなぁ。
残念ながら、お庭に降り立つことはできない。
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この庭は数百種類もの苔が生える「苔の庭」。深みと風格を醸し出している。
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やっぱり貞観堂は庭を眺めるために作られた、大きなあずまやなのかもしれない。
このあとは、大棟山美術博物館に再訪する予定にしていた。スケジュールが押してきているので念のため電話したら
4時で閉めるという。えぇ~~っ、5時までじゃないの!?
なんだか管理人のおばちゃんが個人的な用事があるような雰囲気で、粘ってみたがまた明日来て、とつれない(苦笑)
車は明日の9時に上越妙高駅で返却する予定なのに・・・
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とにかく今日はもう間に合わないので、ここでゆっくりすることにしよう。そもそもこの貞観園を駆け足で去って
しまうのはもったいないから、まぁちょうどよかったかもしれない。
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一部二階もあり、上って見ることができた。2階はだいたい女中部屋とか使用人の部屋として粗末な仕上げに
なっていることが多いが、ここでは天井は低いもののちゃんと畳が敷かれていた。
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廊下をぐるっと回って、こちらは広間と背中合わせになっている茶の間。さっきの緑の松の絵が描かれた欄間の裏側に
貼られているのは、更紗だろうか。暗くて写真がブレブレだった(涙)
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あぁ、素晴らしい貞観園と貞観堂を堪能した。
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向かいの敷地で何やら工事していたので覗き込むと、凝った石組の水路や茶室が見えた。
「名勝貞観園南苑内 玄隆斎・円角庵 保存修理工事」と書かれている。ここも貞観園の一部だったのだ。
さっきの展示されていた年表を見るに、初代が松之山から移ってきてまず住んだのはこちら側で、3代目のときに
「里道を隔てた前方の屋敷より現在の宅地に移動」したようだ。修復工事が終わったらこちらも公開されるのだろう。
楽しみだな!
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少し走って十日町市へ。藤巻医院も健在。
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今宵の宿は十日市町駅前のまちなかの小さな旅館。今回まちなかで泊まったのは、山あいの旅館だとこの季節
カメムシが出そうだから(汗)。それが正解!ゆっくりできた。
食後にちょろっとまちなかを散歩したら、斬新な木造ドームの建物があった。何だこのおしゃれな建物は!?
有名な建築家の作品だろうか。
「十日町産業文化発信館 いこて」という、多目的スペースと飲食店の複合施設らしい。手塚貴晴+手塚由比/
手塚建築研究所が設計。雪に埋もれることを想定した建物だとか。ドームの両端は雪よけの軒下空間、雁木が再現されている。
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敷地の片隅に立つ石碑にふと気づいた。「ここに 深雪観音堂 ありき」と書かれた下に細かい文字で彫られた文章を、
近づいて読んでみた。かつてここに旬街座という映画館があり、1938(昭和13)年の元旦の夜、映画を上映中に
2m以上積もった雪の重みに耐えきれず屋根が崩落し、死者69名、負傷者92名という大惨事が起こったというのだ。
多くは晴れ着を着た織物工場の女工たち。お正月休みに皆華やいだ気分で出かけたことだろう。。。
その犠牲者の慰霊のために、遺族会により跡地に深雪観音堂が建てられた。
そして、堂内の献額の奉納句、として書かれていたこの句。
「雪地獄 父祖の地なれば 住み継げ里」
これを読んだとき、全身に鳥肌が立った。家族が雪に埋もれて亡くなるというまさに地獄のような出来事があっても
なお、雪と共にこの地で生きていく。ここに生まれた運命というか、使命というか、すべてを受け入れて、先祖から
受け継いだ土地を守って住み続ける、たくましい覚悟に、胸を突かれた。。
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深雪観音堂は老朽化したため2000(平成12)年にやむなく解体され、代わりにこの碑が建てられたのだった。
そして新しいコミュニティ施設「いこて」は、絶対に屋根が落ちない構造で作られたのだ。
続く。
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こちら、貞観堂の貴賓用の入口「真之玄関」。
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そのすぐ目の前にある二之間が「容斎之間」と呼ばれるのは、襖に描かれた「洛外嵐山」の作者、菊池容斎の名から。
孝明天皇より日本画士の号を賜り、歴史画の大家と言われた画家である。
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そして二之間の奥にある「上段の間」は貴賓客を通すための、この建物の中で最上位の部屋である。
岸駒とその弟子によって描かれた「涛華」の襖絵。
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この鷹の絵は菊池容斎作。彼はこの家に多くの作品を残しているという。
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付書院の透かし彫りの欄間。
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そしてこの上段の間は「望陽台」と呼ばれ、お庭はここから一番美しく見えるように作られているとか。
さすがに素晴らしい眺め!
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新潟の庭園でよく見られるように、赤玉と呼ばれる佐渡で採れる真っ赤な石がポイントとして使われている。
針葉樹や苔の緑一色の庭園で差し色として重宝されたのだろう。
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この石はオレンジ色も混ざっている。本当に不思議な、宝石のような石。
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部屋を囲む形で配された畳廊下は、庭を楽しむために畳敷にしてあるのだろう。廊下のどこでも気に入った場所に
座り込んで眺めることができる。
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畳廊下からさらに外側に張り出した濡れ縁に立てば、180度の視界にお庭の緑が広がる。あぁ、気持ちいいなぁ。
残念ながら、お庭に降り立つことはできない。
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やっぱり貞観堂は庭を眺めるために作られた、大きなあずまやなのかもしれない。
このあとは、大棟山美術博物館に再訪する予定にしていた。スケジュールが押してきているので念のため電話したら
4時で閉めるという。えぇ~~っ、5時までじゃないの!?
なんだか管理人のおばちゃんが個人的な用事があるような雰囲気で、粘ってみたがまた明日来て、とつれない(苦笑)
車は明日の9時に上越妙高駅で返却する予定なのに・・・
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とにかく今日はもう間に合わないので、ここでゆっくりすることにしよう。そもそもこの貞観園を駆け足で去って
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一部二階もあり、上って見ることができた。2階はだいたい女中部屋とか使用人の部屋として粗末な仕上げに
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廊下をぐるっと回って、こちらは広間と背中合わせになっている茶の間。さっきの緑の松の絵が描かれた欄間の裏側に
貼られているのは、更紗だろうか。暗くて写真がブレブレだった(涙)
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あぁ、素晴らしい貞観園と貞観堂を堪能した。
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「名勝貞観園南苑内 玄隆斎・円角庵 保存修理工事」と書かれている。ここも貞観園の一部だったのだ。
さっきの展示されていた年表を見るに、初代が松之山から移ってきてまず住んだのはこちら側で、3代目のときに
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今宵の宿は十日市町駅前のまちなかの小さな旅館。今回まちなかで泊まったのは、山あいの旅館だとこの季節
カメムシが出そうだから(汗)。それが正解!ゆっくりできた。
食後にちょろっとまちなかを散歩したら、斬新な木造ドームの建物があった。何だこのおしゃれな建物は!?
有名な建築家の作品だろうか。
「十日町産業文化発信館 いこて」という、多目的スペースと飲食店の複合施設らしい。手塚貴晴+手塚由比/
手塚建築研究所が設計。雪に埋もれることを想定した建物だとか。ドームの両端は雪よけの軒下空間、雁木が再現されている。
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敷地の片隅に立つ石碑にふと気づいた。「ここに 深雪観音堂 ありき」と書かれた下に細かい文字で彫られた文章を、
近づいて読んでみた。かつてここに旬街座という映画館があり、1938(昭和13)年の元旦の夜、映画を上映中に
2m以上積もった雪の重みに耐えきれず屋根が崩落し、死者69名、負傷者92名という大惨事が起こったというのだ。
多くは晴れ着を着た織物工場の女工たち。お正月休みに皆華やいだ気分で出かけたことだろう。。。
その犠牲者の慰霊のために、遺族会により跡地に深雪観音堂が建てられた。
そして、堂内の献額の奉納句、として書かれていたこの句。
「雪地獄 父祖の地なれば 住み継げ里」
これを読んだとき、全身に鳥肌が立った。家族が雪に埋もれて亡くなるというまさに地獄のような出来事があっても
なお、雪と共にこの地で生きていく。ここに生まれた運命というか、使命というか、すべてを受け入れて、先祖から
受け継いだ土地を守って住み続ける、たくましい覚悟に、胸を突かれた。。
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深雪観音堂は老朽化したため2000(平成12)年にやむなく解体され、代わりにこの碑が建てられたのだった。
そして新しいコミュニティ施設「いこて」は、絶対に屋根が落ちない構造で作られたのだ。
続く。
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