英語教育2.0 ~my home, anfieldroad~ のanfieldroad さんとは、数年前に、岡田順子先生のワークショップでお会いし、お隣だったので、ペアを組み一緒にゲーム等をさせていただきました。その時以来、ご挨拶はしていませんが、たびたびブログにお邪魔しています。
数日前に、■[みんなで英語教育] 『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画第5回のご案内を見付けたので、たまたま書こうと思っていた英会話レッスンの内容と重ねて書きたいと思います。
エントリーはしていません。
Do you have any questions? (何か質問はありますか?)
は英語の授業やレッスンで最後に講師が聞くお決まりのセンテンスです。
私もこのセンテンスは自動的に出てきます。
スカイプレッスンでも、レッスンの合間に聞かれるそうです。
私自身は、No, I don't. I'm fine. I'm doing alright. I enjoyed your lesson/talking with you. などを使ったと思います。
相手や場面によっては、Let's move on to next. Go ahead.(かるく手振り付き)も許容範囲と思われますが、どうでしょう? Go ahead、スカイプレッスン受講中のUさんは失礼じゃないかしらとおっしゃっていました。
実際のところ、スカイプレッスンの先生方はお若い方が多いと思いますし、こちらを生徒というよりカスタマーとして対応していると思うので、英語を話せるようになりたいと受講している普通の日本人の態度であれば、失礼な印象は与えないと思います。どんどん出てくる表現を使ってみるといいと思います。
Are you with me? (ついてきている?)も先生が生徒に、または話し手が聴き手に、「どう、これまでのところ理解できている?」という感じで使われます。
私の大学での講義を受講している状態がそうです。だいたいは流れを把握しているつもりですが、毎回、聞きもらして抜けている箇所がいくつかあります。 そんな時は先生に確認を取ったり、一緒に受講している学生さんたちに聞いたりしています。
こういう風に新しい人との出会いがより人生を豊かにしていることは事実です。それは、当たり前のことですが、沖縄の言葉だけでなく、標準語の教育もきちんと受けたからに他なりません。もし、沖縄で琉球語だけの教育しか受けていなかったら、夫や我が子たちと完全に意志疎通できたかどうか分かりません。もちろん、これはことばだけの問題では無いので、誰とでも完全に意志疎通できるかどうかは別問題ですね。
その日本語の教育をしっかり受ける初等教育に関しても、全国民に平均的に与えられてなかった時代があったのですね。他国で起こった、教育を受ける権利を叫んだ少女が狙われた事件、現代の日本では到底考えられない恐ろしいことですが、遠い昔の日本でも初等教育は都会でのみ、農村では必要ないとされたいた時代があったと、教員免許更新講習の「国際化、多元化する社会における共生教育」で伺いました。
いつ頃からか、小学校英語に関するバッシングを見るにつけ、私たちって何か悪いことをしているの?と、 責められているような気持ちのこともありました。
しかし、今回の教員更免許更新講習で、英語を学ぶ真の意義を学ぶことができました。それは、 国際共通語としての英語力、教育で目指すものは競争ではなく共生であるということです。
日本国内にもさまざまな方言があります。しかし共通語がないと、他地域の人々と意志疎通を図ることができません。
英語はその国際版です。現実的に外国の人々とのコミュニケーションに、そして平和のために英語は必要不可欠になりつつあります。
ある方に、「沖縄の身内が戦争で犠牲になったのに、よくアメリカへ留学する気になりましたね。」と言われたことがありました。それまではそのようなことを気にしたこともなく・・・そういえばそう、私の両親はよくあの時代に私を留学させてくれたものだと思いました。戦争のことを考えるとイギリスやアメリカの言語である英語を学んだりに教えたりする気には到底なれません。「英語を教えたくなくなるまたは学習したくなくなる」はある意味、英語について学んだことがある人が通る道と言っても過言ではないでしょう。
しかしながら、グローバル化した現代の共生、平和教育のために英語を教えたいと思っています。
なので、もし「どうして英語を勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれたら、私は世界中の人たちと仲良くするためと答えるでしょう。