アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

マイホーム

2006年12月17日 | 雑感
12月16日(土)

久しぶりに内房線姉ヶ崎駅に来ている。
駅前から友人のK君にアッシー君になってもらい、青葉台の丘の上のマンションへ行く。17年ぶりに我が家が手元に戻ってくる。

89年に契約し、建設中のマンションのできるのを楽しみに待っていた。そして、90年2月にKeyをもらった。しかし、そのひと月前に、千葉工場から愛媛工場へ転勤になっていた。以来、6回の転勤を繰り返したが、一度も千葉工場に戻ることもなく、今に至っている。会社の人事部門は血も涙もない。

(丘の上のマンション)

一生に一度の買い物「マイホーム」に一度も住むことなく、不動産屋に依頼して借り手を捜した。時はバブルのピーク時、木更津の景気のいい不動産屋の2号さんが入居してくれた。しかし、91年にバブルははじけ、2号さんの部屋代を払うことができなくなった不動産屋のおやじは出て行ってしまった。

間も無くして、近くの大学病院に勤務する医者が借りてくれた。
ローンの支払いとマンションの共益費をカバーするだけの家賃収入はないものの、毎年の不動産収入を確定申告し、「持ち家」という財産を実感していた。

ところが、この先生が転勤で出て行った後、世の中の不動産不況で、近所に2000万円を切る新築マンションまで現れ、約半年借り手がつかなかった。それまで世話を焼いてくれた不動産屋の勧めもあり、家賃を25%程度下げ、ともかく誰でもいいから入居してほしいと思っていたところに、現在の住人が入居した。それが悪夢の始まりだった。

それまで、毎月の家賃は、「入金しました。」と簡単なメモながら連絡が来て、きちんと口座に振り込まれていた。それがなくなった。担当者が変わっていた。不動産屋の長男が担当し始めた。しばらくして、口座に手数料を含む満額が振り込まれるようになった。ついでのときに確認したら、「直接大家さんに振り込んでもらうようにしました。その代わり、5%の手数料はもらっていません。」と責任放棄の返事で、悪びれた様子もない。

数ヶ月は、家賃収入が増えたと喜んだのもつかの間、少しずつ家賃の支払いが遅れるようになってきた。千葉銀行の通帳記入をして確認しない限り、入金がいつあったのかも確認できない。千葉県を離れると、通帳記入もままならない。単身赴任の転勤の繰り返しのため、いちいち確認する暇もない。

気がついたときには数ヶ月の滞納になっていた。一度は、千葉工場の勤労担当OBにお願いして、直接住人のUさんのところを訪ねてもらい、毎月1.5ヶ月ずつの家賃を支払うとの「念書」を交わし、一件落着したかに見えた。しかし、割り増し家賃の支払いはたった3回で終わり、あとは電話で不動産屋経由で督促してもらうが、不定期で支払うだけになった。


今年、帰国して、東京勤務になったので、通帳を確認すると、ここ一年まったく家賃が振り込まれていない。不動産屋は全く当てにならないので、直接Uさんに電話すると、「仕事がなくて、家賃が払えなくてすみません。」とひたすら低姿勢。何の進展もないので、出て行ってもらうことにした。しかし、7月に出て行ってくれとお願いしてから、5ヶ月、やっと引越ししてくれた。こちらも鬼ではない。収入が少なく子供も多いことを配慮して、引越し先が見つかるまでじっと待った。


そして今日、初めてUさんと顔を合わせた。
玄関先で、奥さんが最後に残ったパラボラアンテナを片付けている。こざっぱりとした服装で、想像していた、生活に疲れた貧乏なイメージとは違う。衛星放送を楽しみ、車もあり、もちろん携帯も持っている。普通の家庭だ。「それでなぜ、家賃を払えないんだよ!」と心で思っても、この確信犯の夫婦には通じない。

部屋の中を案内してもらった。
「雨の日は風呂のガス給湯器から温水が出ないんです。」と、家賃を払っていない人が苦情を言える立場ではないだろう。角部屋は、湿気てカビがひどく、壁紙ははがれたまま。ベランダの戸は立て付けが悪く、金網入りのガラスは割れている。自然に割れたという。廊下のドアは、ガラスが割れたまま。和室のたたみも、表面が擦り切れている。
夢の「マイホーム」は、無残な廃屋の様相を呈していた。

自分の家ではないから、壊れたところは全く修理しない。
27ヶ月も家賃を滞納している厚顔夫婦にいまさら何を言っても無駄だろう。ふすまの張替えと、ガラスの一部の修理はUさんにやってもらうように、同席した不動産屋にたのんだ。ひたすら、悲しくなる気持ちを抑え、自作の27ヶ月分の家賃の「借用書」にサインと印を押してもらって、「どうせすぐといっても無理でしょうから、5年以内に支払ってください。もし、支払いがなかったら、この借用書を裁判所に持っていきます。」と少し脅して鍵を受け取った。

次に入る住人のために、給湯器の交換と鍵の交換を不動産屋に依頼して、マンションを出た。

外観は、定期的なメンテナンスできれいなマンションだ。我が家もリノベーションすれば、十分立派な部屋になるだろう。9階建て最上階の4LDKで丘の上からの眺めはよく、環境も静かで悪くない。

しかし、千葉工場勤務でなければ、こんな不便な土地に家など買わなかっただろう。判断が甘かった。しかし、我が社の奇跡的な株高のお蔭でローンもなくなった今、老後の収入確保に少しは役立つかもしれない。

東京勤務の間に数ヶ月でも住んでみたかったが、のらりくらりと引越しを引き伸ばされて、結局12月の引越し。また来月からはサウジ勤務のため、自分で住むことは当分できない。もう少ししっかりした不動産屋を探して、次の住人を探そう。

K君とふたりで久しぶりに一杯飲んだあと、重い足取りで東京に帰った。






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