東京で着実に浸透しつつある蘭州ラーメンですが、また、1つ店を見つけました。池袋駅西(北口)から徒歩圏内にある「火焔山」。この店はメニュー、看板等日本語の表記もありますが、店員、料理人、お客を含めて店内は中国語が飛び交い、味も含めてほぼ中国の蘭州ラーメン店と同じ言って良いです。この店はハラル店であることから中東系のお客さんも見かけます。
火焔山の店内では中国語が飛び交う
中国の文献記載によれば蘭州ラーメンは、約200年前の清朝嘉慶年間に陳維精という人物が最初に作り出したといいます。現在、蘭州ラーメンの特徴を中国では、「一清・二白・三紅・四緑・五黄」といいますが、その特徴は陳維精の生み出した麺を継承した人々が改良を重ねていく中で形成していったようです。「一清」とはスープが透明でさっぱり系、「二白」は白い大根が入り、「三紅」は赤い唐辛子(の入った油)、「四緑」はコリアンダーかニンニクの茎の緑、最後の「五黄」は麺が黄色がかっていることを指します。
池袋「火焔山」の蘭州ラーメン
神保町「馬子禄」の蘭州ラーメン
しかし、現在のように一椀一椀でアツアツ面を食べる食べ方は、陳維精が最初に蘭州麺を生み出してから100年ほどが経過した1919年、現在の甘粛省蘭州で馬子保という人物によって考案されたものです。甘粛省とは中国のウイグル自治区にも近く、イスラム系の回族が多く住む地域です。元々は馬子保は貧しい家での飢えと冬の寒さを紛らわすべく、家の鉄鍋でアツアツの牛肉面を作って家族で食べていたようですが、貧しい家計を支えるためそれだけでなく牛肉面を担いで街に出て呼び売りを始めたのだそうです。その後、牛、羊の肝などを良く煮込んでからスープだしを取るという方法が功を奏し、その香り、だしの味の良さから地元では一気に人気が沸騰しました。
馬子保は1925年まで店を経営していましたが、その後は息子の馬傑三が後を継ぎ、この蘭州の牛肉ラーメンに改良を重ねる努力を継続します。結果、「聞香下馬、知味停車」(「その香りを嗅ぐと下馬し、その味を知りたくてそこに留まる」、つまり大変な美味であることの比喩表現)という名声を得ました。
「火焔山」の壁にある「馬保子店」の様子
ただし、広まったと言ってもその名声は蘭州に留まり、現在のように中国で大規模に食べられるようになったのは90年代以降のことです。今では各地でチェーン店もできて、中国全土で見かけるようになりました。蘭州市だけでも千数百店、中国全土では5万の蘭州ラーメンのお店があるといいます。
中国の麺の多くは、日本のラーメンと同じ小麦メインですが、カンスイが入っていないものが多く、腰がなく柔らかいため、歯ごたえはむしろそばに近いかもしれません。この蘭州ラーメンにはカンスイが入っているため、腰があり日本のラーメンに近い歯ごたえです。そこも日本人が蘭州ラーメンに親しみを感じるところかもしれません。
2017年の夏に神保町で「馬子禄」がオープンし、大行列ができた(今も結構昼時は並んでいる)のが、日本での蘭州ラーメンの最初のブレイクだと思いますが、今年の10月に「馬子禄」は東京駅にもオープンしました。「馬子禄」の成功を見てか、今では池袋、川口、横浜、上野など東京近郊各地に蘭州ラーメンの店を見かけるようになりました。先日も東京大学近くの本郷でも蘭州ラーメン店を見つけました。
本郷の東大近くで見かけた蘭州ラーメン店
蘭州ラーメンは羊の臭みやコリアンダーの苦手な人にはちょっとしんどいとは思いますが、それが苦にならない人にとっては癖になる味です。私の知り合いの日本人や中国人で蘭州ラーメンに嵌っている人は、定期的に食べたるなるそうです。かくいう私もその一人です。
最初に日本でブレイクした「馬子禄」は日本人が経営していることもあり、店も綺麗で味も本場そのものです。私も神保町の本屋街などをぶらついている時にたまにお世話になっています。ただし、サイドメニューがほとんどないため、もう少しがっつり別のものも食べたいという時にはちょっと物足りなさも感じます。
一方、今回見つけた池袋の「火焔山」は若干ワイルド系で、量も多く、サイドメニューもそれなりにある(シシケバブも食べられる)ので、中国の蘭州ラーメン店を思い出しながら、軽くビールの一杯もやりながら味わいたいという方には手頃な店だと思います。値段も結構良心的です。
シシケバブも食べられる「火焔山」
2019年11月時点の「火焔山」のサイドメニューより
まだ、一度も蘭州ラーメンを味わったことのない方が日本には多いと思いますが
興味のある方は一度味わってみてください。ダメな人はダメ、癖になる人は嵌ると両極端に分かれるとは思いますが・・・・