子どもの頃、私はいろんなものを舐める子でした。
幼稚園の年小さんくらいまででしょうか。
道を歩いていて、いきなりしゃがんで道路を舐めたり、脇に植えられている椿の葉を舐めたり、階段の手すりを舐めたり・・・。
どうして舐めたいと思ったのかは忘れてしまいましたが、ふと気になると、舐めずにはおられない!そんな衝動でした。
そして、今でもその感触はなんとなく残っています。
でも、ある時私が道路をペロッと舐めたところを親が見つけました。
何て言われたのか、ものすごく怒られたのか・・・、は全く記憶にないのですが、とにかくその時
「舐めるのはバッチくて、いけないことなんだ!」
と“はじめて”気がついたのです。
・・・なんで突然、そんなことを思い出したかというと、
私が主催している子どものアートセラピーのクラスで、この前子どもが小麦粉を舐める・・・というか、ばくばく食べたのです。
小麦粉、なのでいいんですけどね。
食べ過ぎて、オエッて本当に吐いちゃうくらい食べてました。
そして考えてみれば、小麦粉に限らず、子ども達は口の中に画材を入れるのが大好きです。
小さい子はためらいもなくパクッと食べちゃうこともありますが、ちょっと大きくなってもそーっと口元に持っていったり、今まさに舐めよう!と舌をべろべろしたり。
そんな彼らを見ていると、舐めることも彼らにとってはその「対象物」を知るための大事な行為なんだなーと実感します。
彼らにとっては口も手や足とおんなじ。「味わう」場所。
(確かに「味わう」ということばは「口」を表現するのにぴったりのことばなのですが。)
大人になると、舐めるどころか、手で触ったり、歩いて確かめに行ったりすることもだんだん減っていくような気がします。
それ以上に頭で思考をバンバン働かせて考えて、分析して、勝手に判断してしまう・・・。
もちろん、その力も時には必要です。
でも、たまには
「これは一体なんだろう?えい、触ってしまえ。味わってしまえ。」
ということができる大人でありたいなーとあらためて思います。
written by mackey
幼稚園の年小さんくらいまででしょうか。
道を歩いていて、いきなりしゃがんで道路を舐めたり、脇に植えられている椿の葉を舐めたり、階段の手すりを舐めたり・・・。
どうして舐めたいと思ったのかは忘れてしまいましたが、ふと気になると、舐めずにはおられない!そんな衝動でした。
そして、今でもその感触はなんとなく残っています。
でも、ある時私が道路をペロッと舐めたところを親が見つけました。
何て言われたのか、ものすごく怒られたのか・・・、は全く記憶にないのですが、とにかくその時
「舐めるのはバッチくて、いけないことなんだ!」
と“はじめて”気がついたのです。
・・・なんで突然、そんなことを思い出したかというと、
私が主催している子どものアートセラピーのクラスで、この前子どもが小麦粉を舐める・・・というか、ばくばく食べたのです。
小麦粉、なのでいいんですけどね。
食べ過ぎて、オエッて本当に吐いちゃうくらい食べてました。
そして考えてみれば、小麦粉に限らず、子ども達は口の中に画材を入れるのが大好きです。
小さい子はためらいもなくパクッと食べちゃうこともありますが、ちょっと大きくなってもそーっと口元に持っていったり、今まさに舐めよう!と舌をべろべろしたり。
そんな彼らを見ていると、舐めることも彼らにとってはその「対象物」を知るための大事な行為なんだなーと実感します。
彼らにとっては口も手や足とおんなじ。「味わう」場所。
(確かに「味わう」ということばは「口」を表現するのにぴったりのことばなのですが。)
大人になると、舐めるどころか、手で触ったり、歩いて確かめに行ったりすることもだんだん減っていくような気がします。
それ以上に頭で思考をバンバン働かせて考えて、分析して、勝手に判断してしまう・・・。
もちろん、その力も時には必要です。
でも、たまには
「これは一体なんだろう?えい、触ってしまえ。味わってしまえ。」
ということができる大人でありたいなーとあらためて思います。
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