こんばんは、mackeyです。
今日、新宿でやっている『宇宙から見たオーロラ展2010』に行ってきました。
「オーロラから音が聞こえる」
という声は多数寄せられているそうです。
しかし、実際はまだその確認はとれていません。
私も、何年も前、オーロラを見上げていたとき、確かに音を聞いたような気がしました。
でも、それは耳の外からというよりは、耳の内側で響くような、とてもかすかな、そしてきれいな音だったような気がします。
会場はオーロラの写真がたくさん。
そして、アラスカの空とLiveでつながっていました。
飛行機で何時間もかけて行って見られる空を、東京の建物のなかで見られるなんて、不思議ですよね。
でも、「今この瞬間に、アラスカの空の上でオーロラが出てるんだ!」そう目で見てわかるんです。
それだけで、知らないうちに小さくなっていた心が一気に広がったような気がします。
そして、冷たい雪に囲まれたあの世界をからだが思い出しました。
そうそう。
辺り一面雪で、空気がとても澄んでいて、なぜかどんどん心がきれいになるようなそんな感じがしていたなぁ・・・。
そして、最近、同じような感覚を、ある1冊の本を読んでいたときにも味わいました。
その本は『きよしこ』。重松清著。
しばしばもブログで紹介していましたね。
私はもともと本を読むのがとても好きで、本屋さんに行くとつい何冊も買っちゃいます。
でも、最近ほとんど本を買っていませんでした。
なぜなら、しばしばが最近どんどん本を読んでいて、読み終わると貸してくれるからです。
それでも、借りた本の中でものすごく気に入ったものは、後から買って、大切に自分の本棚にしまいます。
『きよしこ』も、そんな本の1冊になりました。
主人公は吃音の少年。
別に季節は冬でも、雪国が舞台でもありません。
彼の少年時代の話がたんたんとただつづられているものがたりです。
でも、私は読んでいて、
しんしんと積もる雪を感じずにいられなかったのです。
静かで、でも、雪に囲まれていると実はあたたかいように、このものがたりもたんたんとあたたかい。
そして、ところどころで心がキュンとなりながら、読み終わると浄化されたように心がすっきりしている。そんな本でした。
最後のあとがきのようなところには、こんな文章がありました。
君の話す最初の言葉がどんなにつっかえても、ぼくはそれを、
ぼくの心の扉を叩くノックの音だと思って、
君のお話がはじまるのをじっと待つことにするから。
君が話したい相手の心の扉は、ときどき閉まっているかもしれない。
でも、鍵は掛かっていない。鍵を掛けられた心なんて、どこにもない。
ぼくはきよしこからそう教わって、いまも、そう信じている。
written by mackey
今日、新宿でやっている『宇宙から見たオーロラ展2010』に行ってきました。
「オーロラから音が聞こえる」
という声は多数寄せられているそうです。
しかし、実際はまだその確認はとれていません。
私も、何年も前、オーロラを見上げていたとき、確かに音を聞いたような気がしました。
でも、それは耳の外からというよりは、耳の内側で響くような、とてもかすかな、そしてきれいな音だったような気がします。
会場はオーロラの写真がたくさん。
そして、アラスカの空とLiveでつながっていました。
飛行機で何時間もかけて行って見られる空を、東京の建物のなかで見られるなんて、不思議ですよね。
でも、「今この瞬間に、アラスカの空の上でオーロラが出てるんだ!」そう目で見てわかるんです。
それだけで、知らないうちに小さくなっていた心が一気に広がったような気がします。
そして、冷たい雪に囲まれたあの世界をからだが思い出しました。
そうそう。
辺り一面雪で、空気がとても澄んでいて、なぜかどんどん心がきれいになるようなそんな感じがしていたなぁ・・・。
そして、最近、同じような感覚を、ある1冊の本を読んでいたときにも味わいました。
その本は『きよしこ』。重松清著。
しばしばもブログで紹介していましたね。
私はもともと本を読むのがとても好きで、本屋さんに行くとつい何冊も買っちゃいます。
でも、最近ほとんど本を買っていませんでした。
なぜなら、しばしばが最近どんどん本を読んでいて、読み終わると貸してくれるからです。
それでも、借りた本の中でものすごく気に入ったものは、後から買って、大切に自分の本棚にしまいます。
『きよしこ』も、そんな本の1冊になりました。
主人公は吃音の少年。
別に季節は冬でも、雪国が舞台でもありません。
彼の少年時代の話がたんたんとただつづられているものがたりです。
でも、私は読んでいて、
しんしんと積もる雪を感じずにいられなかったのです。
静かで、でも、雪に囲まれていると実はあたたかいように、このものがたりもたんたんとあたたかい。
そして、ところどころで心がキュンとなりながら、読み終わると浄化されたように心がすっきりしている。そんな本でした。
最後のあとがきのようなところには、こんな文章がありました。
君の話す最初の言葉がどんなにつっかえても、ぼくはそれを、
ぼくの心の扉を叩くノックの音だと思って、
君のお話がはじまるのをじっと待つことにするから。
君が話したい相手の心の扉は、ときどき閉まっているかもしれない。
でも、鍵は掛かっていない。鍵を掛けられた心なんて、どこにもない。
ぼくはきよしこからそう教わって、いまも、そう信じている。
written by mackey
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