昨日スガ総理が「答えられることと答えられないことがある」という、新たなよくわからない説明をしだした日本学術会議の任命問題。
他にも「会員が一部の大学出身者に偏っている」とも発言していましたが、これ「東京大学」と「京都大学」なのではないでしょうか?
日本の学術の代表機関に日本の最高学府である東大、京大(もしくは各分野の最有力校)の出身者が多くなるのは当然の事だと思いますが、、
もちろん日本学術会議を含む学問の世界にも「派閥」や「利権」の争いはあるでしょう。でもその争いは政治家の世界に比べたらきっと些細なものだろう、という事は容易に想像できます。
コロナ禍の中ですら、政治の世界は派閥と利権にまみれていることは一連の給付金やGOTO、先の自民党総裁選を見ても明らか。
むしろコロナの混乱に乗じて「今がチャンス!」とばかりに自分達の利権を拡大している様に見えるのは私だけでしょうか?
そんな政治家が、「日本学術会議は改革すべき」と声高に叫ぶのだから、ブラックコメディもいいところです。
前置きが長くなりましたが、今回は
日本学術会議の価値
について考えてみました。
私はフツーの会社員なので正直言って日本学術会議の提言など見てもよくわかりません。
よくわからないながらも、過去の日本学術会議の提言の題目を見ると、色々な日本の問題点を学問の視点から「総合的・俯瞰的に」指摘しているなあ、とも思います。
今朝の記事で、「学術会議が核のゴミ問題に提言していた」という記事がありました。
記事では「核のゴミ」への提言と任命問題を絡めていますが、それは憶測になってしまうので置いておいて。
学術会議は2012年と2015年の2回に渡り「核のゴミ」問題について提言しているそうです。
政府が進める地下300m以上に埋める処理は世界にも例がなく、保管期間が「数万年」にもなるために学術会議は
「今の科学では数万年もの間地層が安定したままである確証は持てない」
とし、暫定措置として50年間の地上保管を提言して、未来の知見で処置を決めるべき、と意見しているとのこと。
また今後も増える核のゴミの対策として総量上限を設けて限界以上に増やさない事も提言しているそうです。
「原発」「核」といった問題は素人では判断などつくはずもなく、どうしても学者の意見に頼るしかありません。
学術会議の意見が絶対正しいとは言いませんが、各分野の専門家が揃う学術会議であれば「原発利権」などで意見が左右される可能性は低いと思われます。
少なくとも「原発利権」にズブズブの自民党政権と比べればはるかに「科学的知見」にのっとった提言をしているだろうと思います。
政府は「日本学術会議は役に立ってない」と盛んに言っていますが、実はただ単に政府が「役立たせていない」だけなのではないでしょうか?
このような素人では判断のしようがない問題について、各専門家が議論し結論をまとめて提言する日本学術会議は、
科学やデータに基づいた知見
で物事を判断する現在では逆に重要性が増しているのではないでしょうか。
政府が学術会議を改革
するよりも、
学術会議が政府を改革
する方が遥かにマシな世の中になると私は思います。
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