![]() | 崖の上のポニョ [DVD]ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメントこのアイテムの詳細を見る |

先週【金曜ロードショー】で地上波初放映された宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』ですが、ネット上の感想をちらっと見て、あれをハッピーエンドとして前向きに捉えている人が多いことに驚愕しました。
まあ或る意味ハッピーかも知れないけれど、それは言わば「死後の世界」でのこと。この世界が滅亡し、リセットされた上でのことです。あれを作った中二病ジジイの脳内では、それが理想なんでしょう。私はまるで頂けませんでした。
いや、宮崎さんは好きなんですよ。『カリオストロの城』に始まる劇場公開作品は全部観ているし、あまり世評芳しくない『ハウルの動く城』も好きでした。どの作品に於いても、ストーリーの整合性など軽く吹っ飛ばす圧倒的な映像の力は素晴らしいと思います。
でも、同じく小さい子供たちを主人公とし、彼らの目に映る小さい世界を扱いつつも、『ポニョ』が『となりのトトロ』のように限りない時間と空間の広がりを感じさせてくれることはありませんでした。
本当に狭い世界──即ちそれを作った人物の脳内妄想をひたすら見せられているようで気持ち悪かったです。
醜い現(うつつ)の世界を滅ぼし、リセットした後、グランドマザーの庇護の許、「男の子」は「父」なるものを蚊帳の外に追いやって、「母=妻」と可愛い幼女を傍らに、元気なバアさんたちに囲まれる。それこそが作者の理想とする世界ということでしょうか。
あのラストの閉塞感とキモチわるさたるや、『エヴァンゲリオン』TV版ラストの「おめでとう!」に匹敵するとさえ思いました。
『エヴァ』ブームに対して、かつて宮崎さんは「人間嫌いが増えているからああいうものが流行る」と発言したことがあります。しかし『ポニョ』で描かれたものもまた、ミザントロープの楽園でしかありません。この師弟、こんな形で通じるものがあったんですね。と言うより、かつての発言は同族嫌悪だったのかも知れません。やはり宮崎さんは
「見ろ!人がゴミのようだ!」
こそが本音のお人でした。
もう一人、別の映画監督の名を挙げます。
『千と千尋の神隠し』を観た時には、「これは宮崎さんにとっての『マーズ・アタック!』かも知れない」と考えたことがあります。しかし、今回『ポニョ』を観て、これこそが『マーズ・アタック!』だ、と思いました。
『マーズ・アタック!』の監督は、言わずと知れたティム・バートン。以前から言っていることですが、彼と宮崎駿は資質に於いて非常によく似ていると思います。
引き合いに出した『マーズアタック!』とは、要するにうざい大人たちや権力者や頭の悪い体育会系は火星人さんたちが一網打尽にしてくれて、その悪い火星人も自分が(武器を使うことなく)一掃し、残ったのは暗いけれど心優しい少年である「自分」とおばあちゃんとゴス少女と黒人一家という、アメリカ社会に於けるマイノリティのみという(黒人一家の子供たちはゲームマニアでもあるという念の入れようです)、オタクの夢を最大限炸裂させた作品でした。プラス、バートン好みの「異形の愛」もあったりします。
おそろしいことに、これ一応「オールスター映画」だったんですよ。バートンの趣味と妄想全開のこんな作品に嬉々としてつきあってくれたスターの皆さんはエライなあ……と思いました。
そうは言っても、バートンはそれらの妄想や自らのオタク性をちゃんと意識的に取り扱っていましたが、『ポニョ』の宮崎さんは天然としか思えないあたり、一層たちが悪いですね。
いや、それとも意識的だったのかな?なんたって、あの子の本名は「ブリュンヒルデ」ですからね。愛のために自らを犠牲にする人魚姫ではなくて、愛のために父に背き、自らの眷属を離れ、世界を破滅させる半神。彼女が「襲来」するシーンの音楽は、それこそ意識的に「ワルキューレの騎行」をパロディ化していました。
愛は世界を変えたかも知れないけれど、それを「浄化」と呼ぶのはあまりにグロテスクです。原作版のナウシカが「人間はそこへ踏み込んではいけない」と感じていた世界に、宮崎さんはとうとう行ってしまったんだな、と思わずにはいられませんでした。