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今日も息子と共に寝坊……
洗濯はしたけれど、他は特に何もせず、二人でダラダラしていました。息子の方は明日からまた仕事なので、あまり長居せず帰らなくてはならず、どこかへお出かけする時間もありませんでしたし。このたびは、家族の顔を見て、実家に届いていた郵便物を回収するだけの帰省となりました。
息子が出る直前、娘が帰宅。自転車に乗っていて転んだと、泣きながら帰って来ました。手足のあちこちに傷を負って血まみれ(?)でした。それぞれあまり深い傷ではなかったのがせめてもの幸いです。こちらも明日はまた仕事なのに大丈夫でしょうか……
夜は大河ドラマ『青天を衝け』を視聴。サブタイトル「栄一と桜田門外の変」。もう桜田門とはスピード展開だなぁ、まあこの先長いし——などと思っていましたが、息もつかせぬ展開に目が離せませんでした。
世に「安政の大獄」として知られる弾圧・大粛清を進める大老井伊直弼。反幕府勢力と見なされたいわゆる志士たち(思想犯)のみならず、水戸の斉昭、慶喜父子も、側仕えの円四郎さえも例外ではなかった。しかし直弼の胸にあったのは、徳川家を一番に護らなくてはならぬ「井伊の赤備え」の誇り。
「憎まれ事はこの直弼が甘んじて受けましょう」
将軍家茂公へのこの言葉に井伊家の魂を見るのは、2017年の『おんな城主直虎』を経てきたればこそ。更には、密かに脈々と続いてきた小野政次の精神をも見る人が多かったのか、ツイッターでは「#おんな城主直虎」のハッシュタグもトレンド入りしました。
しかしその直弼も、雪の日の桜田門外で、水戸脱藩藩士たちの兇刃に斃れることに——自らの「死」を確認するかのような岸谷五朗さんの演技が凄絶でした。
ちょうどその頃、水戸斉昭公は家族と共に和やかに雪遊びをしていたのでした。知らぬ間にテロリストの首魁のような立場になってしまった「烈公」も、程なくして苦渋に満ちた思いを抱えたまま帰らぬ人となります。そして蟄居中の身で父の死に目にも会えなかった慶喜の慟哭——何もかもが哀しいです。
この事件が渋沢栄一はじめ血洗島の若者たちに及ぼした影響はと言うと、彼らは大老暗殺(惨殺)の凄惨な状況を嬉々として楽しげに語り合い、大いに盛り上がるのでした……
その前段として「やっぱ時代は尊皇攘夷だよねー」という感じに、流行りモノとしての軽いノリで「思想」を語り染まってゆく若者たちの姿が描かれてきたことが、ここに至って効いてきます。
それから百数十年を経て、たとえばアメリカで議事堂占拠を企てたり他の人種に属する人を襲撃したりしていた人たちも、「大義」は自分たちにあると思い、さぞや楽しかったことでしょう。まったくもって他人事でも「過去の話」でもないと慄然とします。
更に当時感染が拡がっていた「コロリ(=コレラ)」を持ち込んだのは異人どもだと断じ、それを「妖術」だとまで言う恐ろしさ。そんな話を片田舎の庶民の青年たちもあっさり信じ「夷狄討つべし」と気勢を上げる。彼ら自身がしたことではないけれど、東禅寺の英国公使襲撃事件など外国人への襲撃が相次いだのもこの頃です。
疫病の蔓延、それに絡めての外国人へのヘイトクライム、わかり易い「悪いヤツ」を倒そうと舞い上がる精神の危うさ——繰り返して言いますが、それらは決して「過去の話」ではなかったのです。
これまで、あたかも時代の流れの外側にいるかの如くに農村の青年たちの生活が描かれて来たのは、この極めて今日的な問題を打ち出すためだったのではないかと思います。誰も時代と無縁でなどいられない。普通の若者たちが「普通」であるがゆえに時代に取り込まれて行く。そうして否が応でも「歴史」にリンクして行く——
桜田門外の変という歴史的大事件を扱っていたから、というだけでなく、その影響を受けた主人公たちにとっても重要なターニングポイントとなるべき回であったと思います。