以前にも米国、英国に滞在したことがあるので、知ってはいましたが。
やはり、ここBelfastの研究者の皆さんも、大抵は9時~5時しか働きません。さっき研究室に来たかと思えば、「また明日(See you, tomorrow)」と言って、颯爽と去っていきます。
そんなことで、世界に勝てるのか!
……腹立たしいことに、勝てるみたいです。
母国語が英語である強みというのか、要領の良さというのか、地頭が優れているのか、何と言えばいいのかよく判りませんが、それでも彼らは平均的に日本人以上の業績を積み、人生も研究もエンジョイしています。
私のような「持たざる者」には、それが羨ましいやら、悔しいやら。
日本という辺境の地で生まれ育ったことが不利に働くグローバルな医科学界の無情を、今、じっと噛みしめています。
とはいえ、私は野口英世をリスペクトしていますから、当然、彼らに勝つ方法を知っています。
つまり、努力と根性で全てを覆せばいい。竹やりでB29は落とせなかったかもしれませんが、幸いにも現在はパソコン一つあれば何とかなる時代なのですから。あとはアイデアと、それをやり抜くだけの精神力があればいいのです。
流行りの「Grit(やり抜く力)」と言えばカッコ良く聞こえるかもしれませんが、要は気合の問題です。野口英世の時代から古今東西変わらず、日本人が世界に勝つためには「最後の最後には気合」しかありません。
野口英世は毀誉褒貶の激しい科学者ではありますが、幼少の頃に片手の機能を喪い、朝敵の会津出身という苦汁を飲みながら、それでも自分の能力だけを頼りにして米国で活路を拓きました。そして、現在にも通用する幾つかの業績を遺しました。たしかに彼なりの功名心もあったのかもしれませんが、自分の命すら顧みずに、死に至る未知の感染症が広がる後進地域にも果敢に乗り込んで研究をしたのは事実です。
日本から遠く離れたアフリカの地で「野口英世」の名が今も伝わるの何故なのか。
それは、彼が命を賭けて為そうとしたことが、アフリカの人たちにも判ったからではないでしょうか。彼の中にあった、医師としての誠意というのか、医学者としての使命感というのか、そういう良心が判っていたからではないでしょうか。
だから、その一点をもって、野口英世のことを私は尊敬しています。
性格破綻者だの、借金王だの、野口英世のことを面白おかしく貶す方々もいて、それは確かに野口英世の一面だったと思いますが、それらの欠点を全て見逃してもいいほどの「偉業を果たした」と感じています。私は、日本人として、彼のことを誇っていいと思います。だから、日本のお札になったのもとくに不思議に感じてはいません。
同じことが私には出来ないし、知ったかぶりの生半可な知識をもって野口英世を貶している方々にだって、おそらく出来るはずがないでしょう。私は福島原発事故後の被災地で実際に臨床に従事していましたが、それでも野口英世が当時経験していた命の危険とはレベルが違います。もしも野口英世を貶すなら、せめて「今すぐにエボラ出血熱が流行していた地域に直に赴き、その病で苦しむ人たちに直に接して、病気の原因と治療法に関する研究を一所懸命に始めてから」にしてもらいたいものです。やれるものなら、ね。
私の能力は野口英世のそれの足元にも及びませんから、私自身はこの先も報われないかもしれません。金も名声も手に入らないかもしれませんし、幸福にもなれないかもしれませんし、誰からも顧みられないままに寂しく命尽きるかもしれません。それでも、医師として、医学者として、「いつかどこかで誰かの役に立つ為に、自分の命を賭けてでも、医の道に貢献したい」という志だけは、野口英世と共有したいと願っています。
やはり、ここBelfastの研究者の皆さんも、大抵は9時~5時しか働きません。さっき研究室に来たかと思えば、「また明日(See you, tomorrow)」と言って、颯爽と去っていきます。
そんなことで、世界に勝てるのか!
……腹立たしいことに、勝てるみたいです。
母国語が英語である強みというのか、要領の良さというのか、地頭が優れているのか、何と言えばいいのかよく判りませんが、それでも彼らは平均的に日本人以上の業績を積み、人生も研究もエンジョイしています。
私のような「持たざる者」には、それが羨ましいやら、悔しいやら。
日本という辺境の地で生まれ育ったことが不利に働くグローバルな医科学界の無情を、今、じっと噛みしめています。
とはいえ、私は野口英世をリスペクトしていますから、当然、彼らに勝つ方法を知っています。
つまり、努力と根性で全てを覆せばいい。竹やりでB29は落とせなかったかもしれませんが、幸いにも現在はパソコン一つあれば何とかなる時代なのですから。あとはアイデアと、それをやり抜くだけの精神力があればいいのです。
流行りの「Grit(やり抜く力)」と言えばカッコ良く聞こえるかもしれませんが、要は気合の問題です。野口英世の時代から古今東西変わらず、日本人が世界に勝つためには「最後の最後には気合」しかありません。
野口英世は毀誉褒貶の激しい科学者ではありますが、幼少の頃に片手の機能を喪い、朝敵の会津出身という苦汁を飲みながら、それでも自分の能力だけを頼りにして米国で活路を拓きました。そして、現在にも通用する幾つかの業績を遺しました。たしかに彼なりの功名心もあったのかもしれませんが、自分の命すら顧みずに、死に至る未知の感染症が広がる後進地域にも果敢に乗り込んで研究をしたのは事実です。
日本から遠く離れたアフリカの地で「野口英世」の名が今も伝わるの何故なのか。
それは、彼が命を賭けて為そうとしたことが、アフリカの人たちにも判ったからではないでしょうか。彼の中にあった、医師としての誠意というのか、医学者としての使命感というのか、そういう良心が判っていたからではないでしょうか。
だから、その一点をもって、野口英世のことを私は尊敬しています。
性格破綻者だの、借金王だの、野口英世のことを面白おかしく貶す方々もいて、それは確かに野口英世の一面だったと思いますが、それらの欠点を全て見逃してもいいほどの「偉業を果たした」と感じています。私は、日本人として、彼のことを誇っていいと思います。だから、日本のお札になったのもとくに不思議に感じてはいません。
同じことが私には出来ないし、知ったかぶりの生半可な知識をもって野口英世を貶している方々にだって、おそらく出来るはずがないでしょう。私は福島原発事故後の被災地で実際に臨床に従事していましたが、それでも野口英世が当時経験していた命の危険とはレベルが違います。もしも野口英世を貶すなら、せめて「今すぐにエボラ出血熱が流行していた地域に直に赴き、その病で苦しむ人たちに直に接して、病気の原因と治療法に関する研究を一所懸命に始めてから」にしてもらいたいものです。やれるものなら、ね。
私の能力は野口英世のそれの足元にも及びませんから、私自身はこの先も報われないかもしれません。金も名声も手に入らないかもしれませんし、幸福にもなれないかもしれませんし、誰からも顧みられないままに寂しく命尽きるかもしれません。それでも、医師として、医学者として、「いつかどこかで誰かの役に立つ為に、自分の命を賭けてでも、医の道に貢献したい」という志だけは、野口英世と共有したいと願っています。