「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

Belfastに到着

2016-09-13 | ベルファスト到着直後
2016年9月12日、渡英しました。

羽田空港で家族に見送られ、LondonのHeathrow空港を経てから、BekfastのGeorge Best Belfast City空港を目指しました。George Bestはイングランドプレミアリーグの強豪マンチェスターユナイテッドで活躍した伝説のフットボール選手であり、空港にはBelfast出身の彼の名が冠されています。

羽田空港は、早朝の時間帯だったこともあり、とても空いていました。
London行はほとんど日本人の乗客でした。楽しそうな家族連れが多かったです。ご旅行でしょうか。また、分野はよく判りませんでしたが、国際学会に行く様子の人たちも多かったですね。




飛行機の中で凍える思いをしながら、なんとかHeathrow空港に到着しました。
長距離の飛行機に乗る度に思うのですが、どうしてあんなに機内は寒いのか。しかも、薄い毛布しかないし……。
それなりに対策をしていったつもりですが、結局、いつものように風邪をひく羽目に

世界最大級の規模を誇るHeathrow空港は、仙台空港くらいの大きさのターミナルが5つあり、乗り継ぎでターミナル間をバスなどで移動するのも一苦労です。実際、迷っている日本人観光客もけっこういました。初めて来たら、どこに進めばいいのか分からなくなる場合もあると思います。私は、この空港を利用するのもさすがに4度目なので、もう迷わずに済みました。

入国審査もなぜかあっさりと突破してしまった。もっと色々聞かれるかと思ったのに、ほとんどスルーに近い形で、拍子抜けしました。史上かつてない早さで、ターミナル5からターミナル2の出発ロビーへと移動できました。

Bekfast行に乗る乗客でアジア系はわずか数名でした。
日本人は私だけでした


Belfastは雨でした。飛行機から降りて、City空港の建物までみんなでダッシュしました。
「おいおい、雨の街と言われるだけのことはあるじゃないですか~」と、思わず、苦笑い。


羽田からの荷物がちゃんと届くのか、すこし心配でした。しかし、さすがは大英帝国の末裔の皆さんの仕事ですね、ちゃんと無事に届きました。City空港は小さくて、迎えに来てくれた研究室の方との合流も、スムーズでした。


学生寮の受付で色々と手続きをして、バスで私の寮へ移動しました。Belfast市内に大学寮が点在しており、到着当日まで私はどこに滞在することになるのか判りませんでした。
上の写真が私の寮ですが、大学中枢部からは歩いて数分で、私がお世話になる研究所へもわずか数百メートルの近さでした。「研究に集中したいので、研究所に一番近い場所を頼みます」と交渉した甲斐がありました。さすが欧米、とりあえず希望を主張しておくのが正しいのですね。日本とはその点、明らかにCultureが異なります。
「マジすか、めっちゃ近いんですけど~」と、日本語で歓喜したら、バスの同乗者から変な目で見られました。

これはもはや研究するしかありません。


部屋の窓からシティ病院も見えました。病院のすぐ横に私の研究所があるので、ホント、とても近いのです。仙台では東北大学病院からすこし離れていた場所に住んでいたので、病院と職場へのこの距離感は久しぶりです。相馬時代を思い出しました。




移動で疲れてはいましたが、周囲の情報を探るために、夕からお散歩に出掛けてみました。
上が、私がお世話になる、Centre for Cancer Research and Cell Biologyです。日本語に無理矢理訳せば「がん細胞生物学研究センター」といったところでしょうか。建設されてからたしか10年弱のはずで、モダンで綺麗な建物でした。ここで私は放射線生物学の研究を行うことになります。
下が、大学メインキャンパスの正面。私の寮から歩いて150メートルくらいでしょうか。
荘厳な雰囲気が、もう、たまらない!
大英帝国最盛期にこの大学を設立したヴィクトリア女王陛下に思わず忠誠を誓いたくなるような趣のある建築物で、アカデミックの歴史と伝統をヒシヒシと感じさせられます。Belfastの観光名所にもなるわけですね。実際、ちらほらと観光客らしき人たちの姿も見ました。


で、最後のオチは、私の夕食です。サラダとスープを近くのスーパーで買ってきただけw
どや、私の女子力は! まいったか!
私の貧弱な語学力と家事能力でこれから生き残れるのでしょうか、この国で……