磊落マンの歩み!

「年弥々(としいよいよ)高くして徳弥々たかし」(前漢末の思想家・揚雄)の教えを心情とし「いま」を生きるようにしています!

こころ癒される水の都に「だんだん」(№2)…!

2024-10-20 18:21:35 | 日記

国宝 松江城…1611年(慶長16年)、松江開府の祖・堀尾吉晴によって5年の歳月をかけて完成。築城された天守は、全国に現存する12天守の一つで、別名「千鳥城」とも呼ばれています。平成27年7月に国宝指定されました。

松江城天守の特徴…天守は本丸中央の東寄りに南面して建っており、外観は4重、内部構造は5階、地下1階の構造で、入口に附櫓(つけやぐら)を設けた複合式望楼型に分類されます。外壁の多くは黒色の下見板張りで、随所に狭間や石落とし、石打棚などの防御装置を配し、内部に井戸や塩蔵を設けるなど実戦を強く意識して築かれています。

松江城の最上階「天狗の間」の天守からの眺めは、松江の町並みや宍道湖が一望できる絶景スポットです。

興雲閣(松江市殿町1番地59)城山公園内……松江市が松江市工芸品陳列所として建てた建物で、1902年(明治35年)12月に着工し、翌年9月に竣工。当初は、明治天皇の山陰巡幸の際の行在所に充てるべく計画されたものです。明治天皇の巡幸は時局が厳しく実現しませんでしたが、1907年(明治40年)、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰道行啓にあたって、5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしました。

建物は木造2階建てで、主屋のやや北寄りに玄関があり、そこが車寄せ(ポーチ)になっています。外壁は下見板張りを基本とし、淡緑色のペンキが塗られています。建物の周囲は、1階・2階とも列柱廊(コロネード)をめぐらせた洋風の外観を持ち、屋根は入母屋造桟瓦葺の純和風で、明治期の擬洋風建築の特徴をよく表しています。

興雲閣は、松江市内に残る数少ない明治建築として、1969年(昭和44年)に島根県指定有形文化財に、2011年(平成23年)に松江市歴史的風致形成建造物に指定されました。

城山公園内の「松江神社」(松江市殿町1)…松江城が国宝になる決め手となった祈祷札が発見された神社。

御朱印……松江神社・雲州松江福徳稲荷神社…



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