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「朝鮮日報」日本語版 記事入力 : 2015/03/09 08:22
米国のリッパート駐韓大使を襲撃したキム・ギジョン(金基宗)容疑者について北朝が南鮮を非難している。それは今回の事件を南鮮が「明らかな暴力行為」であり米国駐韓大使へのテロ行為だとしているのに対して北朝鮮の「祖国平和統一委員会」は声明を出して「米帝の戦争策動に反対する義による行動がテロならば、日帝の朝鮮侵略に反対し、伊藤博文を処刑(暗殺)した安重根ら反日愛国志士の義挙も日本反動が冒とくしているようにテロと呼ばなくてはならないのではないか」と非難したのである。
つまり北朝鮮はキム・ギジョンの駐韓米国大使を殺害しようとしたことは「米帝の戦争策動に反対する義による行動」であり、伊藤博文を殺害したとされている安重根(アン・ジュングン)と同じ義挙だと賞賛しているのだ。
その上で、もし今回のキム・ギジョンの行為を南鮮がテロだと言うならば、南鮮が賞賛し義士だとしている安重根もテロリストではないのか、と詰問しているのである。
これははからずも義士であれテロであれ行為そのものは「明らかな暴力行為」だと北朝鮮が自白しているようなものだ。
それはおいておいて、これに対して韓国政府は「北朝鮮が明らかな暴力行為である今回の事件を義による行動だとして、独立の志士による義挙に例えたことは、愛国烈士の高貴な犠牲を汚すものであり、痛嘆を禁じ得ない」と表明した。
キム・ギジョンの「明らかな暴力行為」を北鮮は「義挙だ」と言い南鮮は「テロだ」と真っ向から対立しているのだ。これはいったい何なのか?
果たして今回のキム・ギジョンの行為はテロか、義挙なのか?
南鮮は北鮮の非難に対して(米国人への)「明らかな暴力行為」はテロだと言っているが、天皇陛下暗殺未遂や伊藤博文暗殺行為など「日本人への明らかな暴力行為」については義挙であり義士だとして賞賛してきた。
つまり、北朝鮮は米帝、日帝への「明らかな暴力行為」は悪辣な反朝鮮民族、反朝鮮国家に対する正義による義挙だとしている。米帝、日帝ともに悪であり、悪への暴力は義挙でありしたがって今回のキム・ギジョンも義士だと主張している。
これに対して南鮮は、悪辣な日帝への明らかな暴力行為は正義による義挙であり義士であるが、悪辣ではなく「善であるアメリカ」への明らかな暴力行為は不正義のテロリズムであるのでキム・ギジョンはテロリストだとしている。
つまり対象となる日帝と米国を区別して対日本人への暴力なら正義の義士、対アメリカ人への暴力なら不正義のテロリストなのだと使いわけている。
簡単に言えば南鮮の考えでは「日本は絶対悪」であり日本人に対する殺人は正義であり善であり義挙だから義士である。しかし、「アメリカは絶対善」でありアメリカ人への殺人は不正義であり義挙ではなくテロリズムであり、キム・ギジョンは義士ではなくテロリストだ。
キム・ギジョン(金 基宗)
●写真説明●キム・ギジョンが重家駐韓日本大使を襲撃後3年目の2013年2月22日。ソウルの日本大使館前で「竹島の日」に抗議する集会が開かれた。「対馬も韓国領土だ」抗議の横断幕を掲げて抗議活動をしているキム・ギジョン。ピンク色の朝鮮風民族衣装を着て帽子をかぶっている。前の女性インタビュアーと高校生はテレビ局の撮影で「竹島の日に抗議するスピーチ」をしている。このときはキム・ギジョンはヒゲを伸ばしていない。
つまり、テロか義挙かは南鮮政府が考える相手が敵か味方なのかによって決められるということである。これは北鮮も同じ考えで米帝も日帝もともに敵視しているから必然的にどちらへの殺人も正義の義挙であり正義を実行した義士になるわけだ。
つまりこの朝鮮人による南北朝鮮では「明らかな暴力行為」は不正義でもなければテロリズムでもない。
相手が敵か味方なのかにより正義の義挙にもなり、不正義のテロにもなる。
日本人は「明らかな暴力行為」は理由はどうあれ絶対悪であり、テロリズムだと考えている。
したがって安重根もキム・ギジョンもともにテロリストだと考えている。
人間の普通の感覚や常識で言えば、いかなる理由、動機があろうとも「明らかな暴力行為」が正義や善になることはありえないのだ。
だが相手により「明らかな暴力行為」が正義にも善にもなり、殺人が英雄として賞賛されるという朝鮮人の思考は誰が見ても精神異常としか思えない発想である。
唯一つそういう発想が是認されている世界がある。それが暴力団である。親分が敵視している相手を殺せば組内では正義であり、兄弟の契を結んでいる仲間を傷つければテロとなる。、まさに朝鮮人の国家というのは暴力団の論理そのもので動いている国家なのである。
つまり問題解決の手段として暴力が肯定されており、その相手が問題になるだけの単純さだ。
相手が敵ならあっ晴れ義挙となり、相手が仲間なら不正義のテロとなり処罰される。いずれにしても暴力は否定されてはいない。
別の表現を使えば南北朝鮮ともにテロ独裁国家といえるだろう。
もし将来、シナの南鮮支配が更に強まりシナとアメリカとの関係が悪化していけば憎き米帝の北鮮への戦争策謀を阻止しようとしたキム・ギジョンはテロリストではなく義挙をなした義士であり国家英雄になる可能性もある。
もっと言えばいつか南鮮を北鮮が支配したらキム・ギジョンは間違いなく国家英雄である。
将来ではなく、今現在でも北鮮は米帝に歯向かったキム・ギジョンを義挙であり安重根義士に連なる義士だとして賞賛しているのである。
駐韓米国大使への殺人未遂犯をめぐり、テロリストか義士かで朝鮮半島の南北が公の場で言い争っている愚劣極まりない姿を見て世界中の良識を人間は吐き気を催すことだろう。
朝鮮人は「明らかな暴力行為」を絶対悪とみなさない暴力的人種である。
暴力を相手による相対悪と位置づける朝鮮人は、信じられないことに暴力行為にもよい暴力と悪い暴力があると信じて疑わないようだ。この野蛮な二面性、二枚舌を使わいわける姑息な根性は常にブーメランとなって朝鮮人に跳ね返っている。
キム・ギジョンは2010年7月にソウル市のプレスセンターに乱入し講演中の日本の重家俊範駐韓大使(当時)にコンクリート片2個を投げつけた。大使は無事だったが通訳の女性書記官にあたり怪我を負わせたのである。このとき、最高で懲役5年相当の刑であったが、検察は3年の懲役を求刑し、判決は懲役2年(執行猶予3年)という軽いものであった。
南鮮は日本人への「明らかな暴力行為」、「テロ」でもあるのに関わらず実行犯のキム・ギジョンを執行猶予として野放しにしたのである。南鮮国内でも日本人へのテロを非難する声はほとんどなかった。むしろキム・ギジョンが「独島守護」活動の一環として駐韓日本大使を襲撃したことを容認するかのようであった。
その後もキム・ギジョンは独島を守る義士気取りで、独島守護運動、日本糾弾運動を行い昨年には日本大使襲撃事件の経緯に言及した「独島と私たち、そして2010年」という本も刊行した。
「恨日ならばすべてが許される」と言っても過言でない異常な南鮮朝鮮人の心理が「明らかな暴力」さえも日本人相手なら構わないという狂暴性につながっている。こういう南鮮国家、国民の恨日意識がテロリストそのもののキム・ギジョンを擁護し、その結果、今回の反米テロにつながったとも言えるのではないか。相手が重家日本大使のときさすがに義士とは言わないまでもテロとは言わなかったが、相手がアメリカ大使だった今回はテロリストと非難している。
絶対悪である「明らかな暴力」さえも恨日ならば容認し賞賛するという歪で異常な民族性が今回の事件の背景にはある。
まさに南北朝鮮はアジアの「ISIS」「イスラム国」並みのテロ国家、テロ支援国家であり、人種の凶悪性、民度の低さ下劣さは言うまでもない。
世界広しといえども殺人犯を国家英雄として賞賛する民族は朝鮮人とその宗主国のシナ人だけである。毛沢東にいたっては文化大革命も含めて6500万人を殺害(平成9年(1997)にフランスで刊行された「共産主義黒書)している。そういう殺人鬼がシナの大英雄、建国の父になっているのだ。
伝統的な貧困売春をいまだに解決しようとすることなく、売春婦を讃える少女像を世界中に作って恥じない劣化した民族も朝鮮族だけである。
「明らかな売春婦」も南鮮においては日本軍相手の売春婦は被害者の慰安婦ハルモニとなって女性人権活動家として賞賛をされて手厚く保護を受けて恨日活動に利用されている。
一方で、米軍相手の国家管理売春婦は当時は「外貨を稼ぐ愛国者」として賞賛されていたがいまでは薄汚い売春婦ババアだと軽蔑され南鮮国家相手に訴訟を起こしているが検察に無理難題を突きつけられて葬り去られようとしている。
テロリストも売春婦の扱いでも朝鮮人の世界では天国と地獄ほどの違いがあるという異常さだ。
こういう劣化能で凶悪、狂暴性をもつ人種が世界の迷惑、朝鮮民族なのである。
「明らかな暴力」つまり「殺人は絶対悪だ」と思わないし思えない朝鮮人という人種はもう世界で最も必要とされないゴミ屑であろう。いや、世界にいては困る汚染源であろう。宗主国のシナ人もろとも地球上で最低の民族として一日でも早く消滅してくれることを願ってやまない。