おのずから。

南鮮の自称「慰安婦」は「志願売春婦」です。人権蹂躙ではなく虚偽捏造の「慰安婦詐欺事件」です。

恨日主義とは、歪んだ日本依存精神の所産。

2014年11月11日 09時34分49秒 | 朝鮮人とは

昭和天皇を手榴弾で暗殺しようとした「桜田門事件」の犯人、イ・ボンチャン。その投げる瞬間の銅像が、ソウル中心部の孝昌公園に建設されている。南鮮は、テロ国家である。

 

南鮮の恨日主義とは、一言で言えば「日本の不幸の上に、南鮮の幸福を築こうという考え方」である。日本が、不幸になれば、なったぶんだけ、南鮮朝鮮人は幸福を感じるという、実に、歪な感情である。これが、南鮮民族の民族精神という「恨」なのだそうな。

したがって、南鮮朝鮮人が、幸福を感じるには、感じたい分だけの日本の不幸が必要になる。
日本が不幸にならない限り、南鮮朝鮮人は、幸福を感じられないということになる。それは、とりもなおさず、南鮮朝鮮人の幸不幸は、つねに、日本人に生殺与奪権を握られているということになる。日本人が、不幸にならない限り、南鮮朝鮮人は、絶対に幸福にはなれないからだ。

そのために、しょっちゅう、南鮮朝鮮人は、日本の悪口ばかり、言っている。
日本は戦犯国だ、日本は原爆が落とされてザマミロ、日本は性奴隷犯罪国だ、もう、思いつく限りの罵詈雑言をあびせかけ、そのぶんだけ、幸福感を味わった気になる。南鮮朝鮮人は、人の不幸をあざ笑い、それが、自分の幸福だと喜ぶ変態民族である。

南鮮朝鮮人の幸福というものは、それならば、自分で掴むものではなく、日本から、与えられるものでしかない。日本人が不幸にならない限り、南鮮朝鮮人の幸福はない。日本との関係以外に、南鮮朝鮮人は、幸福を探し求めることができないことになる。

南鮮朝鮮人の国家英雄をみてみると、ほとんどが、日本の要人を殺害したテロリストばかりである。日本人を殺して、万歳万歳、それが、南鮮朝鮮人の英雄になる。これは、民族差別殺人を国家ぐるみで容認し、賞賛するテロ国家そのものではないか。南鮮朝鮮人には、テロリストだろうが、なんだろうが、日本人を殺せば、英雄になるという、頭のおかしい人種である。朝鮮人テロリストの中には、天皇陛下の命を狙って、手榴弾を投げた奴さえいた。さすがに、いまとなっては、その蛮行を恥じ入るかと、想えば、とんでもない。もし、成功していたら朝鮮ここにありと、世界中に知らしめることができたのに、失敗して残念だったと、朝鮮日報は記事にしている。

「この義挙が成功していれば初代朝鮮統監、伊藤博文を処断した安重根(アン・ジュングン)義士や、日本陸軍大将白川を爆死させた尹奉吉(ユン・ポンギル)義士の業績を凌駕する途方もない事件になっただろう。」


「ユン・ボンギル義士とイ・ボンチャン義士との差は爆弾が適切なときに爆発したかどうかにすぎない。イ・ボンチャン義士に叙勲された建国勲章勳格が2等級の'大統領章'にすぎないことを知る人も多くない。しかし、東京義挙の偉業は1等級の'大韓民国章'を受けた人物たちの功績と比較して少しも遜色がない。また、李義士記念物では孝昌(ヒョチャン)公園内の銅像が全てだ。李義士生家(孝昌洞118-1)を直ちに復元しなければならない。 」

2010年4月30日、中国上海臨時政府の過去の庁舎を訪問した李明博(イ・ミョンバク)大統領が 李義士の写真を見て「イ・ボンチャン義士記念事業はうまくいっていないようだ。もう少し知らせな ければならない」と明らかにしたことを記憶する。
(ソース:2012/10/17朝鮮日報(韓国語) [発言台]さびしく過ぎ去ったイ・ボンチャン義士殉国80周期)


 この記事をみれば、二人のテロリストが、国家の勲章を受けていること、いまだに、南鮮朝鮮人は、イ・ボンチャンが、天皇を殺害できなかったことを、悔やんでいる、イミョンバクが、テロ礼賛者であった、ことがわかる。まさに、テロ国家、そのものである。自らの幸福のために、日本人を貶める、屈辱する、テロさえ礼賛するという、異常性が、浮き彫りになっている。こういう国家体質と、国策教育により、日本の不幸は南鮮の幸福という、世界標準から大きく外れた、人を恨む精神を称える朝鮮人共通の歪んだ人間性を生み出す源泉になっている。
 
 
 在日朝鮮人の、同じで、日本に巣食う在日も、日本へ恩を感じるどころか、日本の不幸を願って暮らしている。日本人の富や権利を奪うことが、それが、在日の幸福になると、信じている。自らを
日本の被害者だと、虚偽の被害妄想を吐き散らし、日本人を目の敵にしながら、日本社会の恩恵に預かって何世代も、異常な寄食状態を続けている。こういう状態を、精神科では、精神分裂というのかもしれない。

これからも、南鮮朝鮮人は、日本へ、幸福をたかり続けてくるのだろうか?子供でも、幸福とは人に強請(ねだ)るものではなく、自分で探すものだと、知っている。日本が、南鮮朝鮮人を無視し、取り合わない限り、南鮮朝鮮人は、幸福の分け前にありつけないことになる。

そうなると、どうすればいいのか?今度は、これまでと、正反対に、日本へ媚びへつらい、自らを貶めて、憐憫のおこぼれにあずかるしかなくなってしまう。まるで、立場が真逆になるのだが、そういうことさえ、南鮮朝鮮人は、こだわっていられない切羽つまった立場なのかもしれない。とにかく、自分の幸不幸が自分で判断できず、日本人との相対関係で自分の幸不幸が決まるという、未熟児のような半人前人種が南鮮朝鮮人なのである。

国家破綻の危機に瀕して、日本の救済を受けながら、「必要のない、よけいなお世話だった」「救済が一番遅かった」だのと、感謝の言葉ひとつなかった。IMF危機の時の、南鮮の態度である。アフリカで、現地南鮮軍が、日本の自衛隊へSOS!自衛隊から、弾丸の供与を受けながら、あとで、謝礼の一言もないどころか、「自衛隊に弾丸を借りたことはない」の仰天発言。世界の非常識が、南鮮朝鮮人の常識なのである。

つまり、日本が不幸でなければ、南鮮朝鮮人は幸福になれない。その反対の事態に陥ると、そういう事態自体をなかったことにしてしまう。あるいは、虚偽発言で、反対にひっくりかえす。
日本は、つねに極悪非道でなくてはならない。そんな、日本に救いの手を差し伸べられている現実を、肯定するわけにはいかない。だって、現実を見ろよと、言いたいが、南鮮朝鮮人には、そんな、当たり前の話は通用しない。したがって、救いの手を、なんとか、魔の手に変えてしまう論理を編み出すことに必死となる。まさに、何の意味もない徒労である。というか、他人から受けた親切に、すなおに、お礼も言えない、という歪んだ精神が、南鮮朝鮮人の常態となっている。

人を見たら、相手が上か、下かを見極めて、媚びへつらうか、卑屈に従うかを判断し、金になるかどうかを考えて、うまく立ちまわれ。これが、南鮮朝鮮人の一般的な感覚である。まともな人間は、朝鮮人のこうした、差別主義に呆れ、辟易するが、朝鮮人は、つねに、そうした差別主義の中で生きているために、思考が麻痺しており、まともな人間の感覚がわからない。

しかし、幸福というのは、他人を殴りつけて、そのぶんだけ、快感を味わうという、南鮮朝鮮人の考え方は、精神病理を分析してみないとわからないが、たぶん、かなり歪みきった病的な心理であろう。

人に対して、少ないながら自分の幸福をお分けしよう、という、心から生まれる幸福というものを、おそらく南鮮朝鮮人は、感じることが永久にできないだろう。人が路上に倒れていたら、何か、金目のものを奪うことができないか、と反射的に思うのが、南鮮朝鮮人であろう。南大門が放火で消失。国家事業として、復興したが、その予算に群がって私服を肥やした人間が、政府高官から工事を担った職人まで、ごまんといた。出来上がった南大門は、欠陥だらけで、再工事が必要になっている。国宝だろうが、金のあるところに群がって、盗むことだけを考える。パックネは再興南大門を、我が国の顔だ、と賞賛したが、まさに、盗人民族を象徴する復興難題門である。

日本でコンサートを開いて、日本人に媚びへつらって、金を稼ぎ、南鮮へ帰って、日本を罵倒したり、日本人に気が付かれないように恨日活動をして、日本人を騙してやったと、快感に浸る。そのどこに、音楽を愛するこころ、人を愛する心があるのだろう?そういうのは、ミュージシャンとはいわないだろう。たんなる、守銭奴、である。

つまり、人を恨む心から、幸福をつかもうとする南鮮朝鮮人の恨日主義は、不毛の論理だ。日本人は、南鮮朝鮮人を相手にしないし、日本への罵詈雑言は、そのまま、さもしい悪あがきしかできない南鮮朝鮮人に跳ね返るだけである。

南鮮朝鮮人は、自らの朝鮮半島支配の正当性を、どこに、求めているのか?
北へ向かっては反共主義、南へ向かっては恨日主義、西へ向かってはシナ属国主義、東へ向かっては従米属国主義。つまり、すべて、他国との相対的な立場関係においてしか、自己のアイデンティティを確立できない、つまり、自立不能国家であることを、露呈している。

まともな自立国家であれば、いかなる事情があれ、特定他国を恨むという歪な精神を国是などには、しないものだ。南鮮は、東西南北の主要国家の間で、主体性と整合性のないご都合主義のサッカーボールのように、蹴られ続けているだけの存在でしかない。ただ、蹴られているうちは、まだ、いいが、誰も、蹴らなくなれば、国家としての存立も、難しい。近い昔が、そうであったように、東アジアの極貧国に逆戻りするだけであろう。

では、日本人が勝手に幸福となったら、どうなるのだろう。もちろん、その分だけ、南鮮朝鮮人は、不幸を味わうはめになる。この典型が、ノーベル賞である。南鮮には、なんの関係もない日本人の受賞だが、日本人がノーベル賞を受賞すると、決まって南鮮朝鮮人は、大騒ぎする。

今年も、なぜ、ノーベル賞は南鮮人に冷たいのか、などと、トチ狂った記事を大手新聞社が書いていた。日本人が、幸福になると、なぜか、関係ないのに、南鮮朝鮮人は、不幸を感じてしまい、日本へ文句をつけてくる。日本への劣等感もたいがいにしろ、と、叱り飛ばしてやりたいほどだ。

日本人が、世界で活躍したり、世界から褒められたり、大成功を収めたり、ということは普通にある。そのたびに、無駄な日本との比較を行って、我と我が身を呪うバカバカしさに、まったく気が付かないのが南鮮朝鮮人なのである。そのため、無理して日本人の足を引っ張る、日本のやることにケチをつける、虚偽の恨日プロパガンダを流して無知な外国人を騙すことに血道をあげる。事実無根の朝鮮人志願売春婦の被害や竹島領有権の主張など、その実例は枚挙に暇がない。

南鮮朝鮮人の条件反射になっている恨日主義は、日本という鏡に映る南鮮朝鮮人の姿を見て、一喜一憂している愚かな奴隷民族の奴隷根性にすぎない。日本がなくなれば、南鮮朝鮮人の幸福も、不幸もたちどころに消滅してしまう仮想現実にすぎない。都合の悪いこと、見たくないことは、すべて、恨日の穴蔵に閉じ込め、同じ失敗を延々と繰り返す無能な愚民の群れ。自らを省みることのできず、幸不幸も他者依存しかできない無責任な民族性の哀れである。



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1 コメント

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朝鮮義士列伝 (e2)
2018-04-18 21:48:19
姦酷で「英雄」とされているテロリストに「金九」と言う生き物がいるのですが実はこいつは事象では日本陸軍の土田少尉を殺したと言う事になり一〇〇〇〇ウォン紙幣の肖像に採用される寸前でした。しかし、事実は善良な薬屋さんの土田譲亮さんを共犯者と共に鈍器で撲殺して金品を奪っただけの単なる強盗殺人犯です
なお、何故土田氏を狙ったのかについては
前夜泊まった旅館の朝飯で自分の膳よりも
土田さんの膳の方が先に出たことを憎んでの犯行だったそうです。全くどうしようもないイキモノです。
ちなみに、イポンチャンですが、お笑いの事実が有ります。
仕事前に渡された金で思い残すことがないようにと売春婦通いをして、逮捕時には病気を貰っていたというスグレ物のいわゆる「義士」。韓国では病気のことは伏せられている
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