「慚島伝 漂風の愚民・安龍福」
●韓国による竹島不法侵略の根拠となった安龍福の虚偽証言を暴く歴史小説。↑。ご一読をおすすめします。
元禄時代のこと江戸幕府の指示を受けた対馬藩が李氏朝鮮と「欝陵島」の帰属を争った「竹島一件」という外交問題がある。この中で朝鮮人の奴隷だった「安龍福」が「松島(現在の竹島)は朝鮮領土だと日本に認めさせた」と証言。これは実は無断で海外へ出た犯罪による極刑を免れんとする安龍福の虚偽であったのだが・・・・。
現在韓国は竹島を不法侵略し安龍福の虚言を根拠に「独島」は歴史的に韓国領土だと主張し支配している。そして安龍福は韓国では奴隷からいまや将軍にまで格上げされ独島守護の英雄として崇拝されている。安龍福の虚偽証言が現在の韓国における独島領有権主張の大きな根拠になっている。
この歴史の虚実の深層をさぐり韓国の独島支配の虚構をあばく歴史秘話ストーリーである。
「竹島」はいまや韓国に強奪された悲劇の島といえる。
日本領土である「竹島」が韓国に強奪されたのは朝鮮戦争の最中のことである。
昭和27年(1952)1月に韓国大統領李承晩は「海洋主権宣言」を行い国際法に反して「李承晩ライン」を一方的に設定した。そのライン内に竹島を取り込んだのである。日本領土竹島への不法な武力侵略の開始であった。
翌年の昭和28年(1953)7月には海上保安庁の巡視船が韓国漁民を擁護していた韓国官憲から銃撃を受ける事件も発生した。さらに翌昭和29(1954)年6月になると韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したと発表した。武装した警備隊が竹島へ常駐し我国の海上保安庁の巡視船への銃撃を行うようになった。
こういうなかで竹島周辺海域へ出漁した我国の漁民が銃撃を受けて殺傷される事件が発生した。また漁民は拿捕され漁船漁具も強奪されるという拿捕事件が頻発した。その結果「日韓基本条約」締結の際の日韓漁業協定の成立(965年〈昭和40年〉)により李承晩ラインが廃止されるまでの13年間に韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人にのぼっている。抑留者は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれ僅かな食料と30人がおけ1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの劣悪な抑留生活を強いられた。これは韓国による日本人拉致虐待犯罪である。
李承晩ラインという韓国の卑劣極まりない不法行為により日本漁民は射殺されたり拿捕拘束され長期間交流され地獄の苦しみを味わったのである。
この韓国による卑劣極まりない非人道的な行為すなわち韓国の重大な人権犯罪を日本人は決して忘れてはならない。
しかも韓国は大量に拿捕した日本人を利用し人命を外交の道具に遣った「人質外交」をした国家犯罪を平然と行ったのである。
日韓基本条約の締結交渉で拿捕という名目で韓国に拉致された日本漁民を韓国は人質にしたまま日本から当時の韓国の国家予算の2倍以上のカネを脅し取った。さらに人質を釈放する見返りとして極悪犯罪者として日本の刑務所にいた 在日朝鮮人数百人の釈放を韓国政府は要求してきたのである。
日本政府は韓国の「人質外交」に激怒し苦慮したがなによりも韓国に拉致された漁民の人命救済が急務だった。
日本政府は韓国政府の無法な要求に屈し朝鮮人犯罪者の釈放に応じざるを得なかった。
戦後日本と韓国の間に結ばれた日韓基本条約の背後にはこのような無法な李承晩ラインを使った日本漁民の拉致拘束と人質外交があった。
この韓国政府のやった「人質」を使った日本への恫喝外交により日本は韓国の無法な要求を飲まざるを得なかったのである。
拉致された日本人抑留者の返還と引き換えに日本政府は常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国人と在日朝鮮人の犯罪者472人を放免し日本国内に自由に解放し在留特別許可を与えたのである。
その結果韓国に拉致抑留された被害者漁民は帰国し李承晩ラインは消滅したが実質的に朝鮮人犯罪者を国内へ野放しにしそのうえ竹島は取り戻すことはできないままであった。
いま北朝鮮が拉致した日本人を返さないまま日本への要求を繰り返す人質外交をやっている。
これと同様に韓国朝鮮人も無法な李承晩ラインにより約4000人もの日本人拉致し殺傷や虐待を韓国政府が行った人権犯罪である。その上に拉致犯罪で抑留し監禁した日本人の人命を担保に日本へ人質外交をやって「日韓基本条約」を締結したことを許すわけにはいかない。まさにこれは韓国による悪辣な人権犯罪である。これは時効無く韓国政府に日本が謝罪と賠償を求めなくてはならない韓国の国家犯罪である。
北朝鮮も韓国朝も在日朝鮮人も基本的に同じ朝鮮人であり同根の朝鮮民族なのである。日本を「絶対悪」とし韓国を「絶対善」とする浅はかな恨日感情を権力者によって植え付けられた韓国朝鮮人は個人としての倫理的制約や人間としての通念としての歯止めが欠落している。
日本人は子供の頃から「嘘をついてはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられて育つ。韓国朝鮮人はどうだろう。国家そのものが虚偽捏造での事実無根の恨日妄言や日本人拉致の人質外交を繰り返している。恨日国家の存在と国家の恨日教育が韓国朝鮮人の人間としての倫理破綻を招き炎上する恨日火病の源となっている。
人を呪わば穴二つという。人を恨めば天に唾するようなもので自らにも災いを招くという諺である。自業自得ということだ。いわば韓国という国家の車に乗せられた韓国朝鮮人はブレーキのない車に乗って恨日マンセーを叫び狂喜乱舞しつつ「人間倫理の破綻」「人間失格」という無限地獄の奈落の底へ落下しつつあることに気がついていない。
その朝鮮人の悪辣極まりない行為に共通するのは「恨日ならなんでも許される」という「恨日無罪」「恨日有理」の歪んだ朝鮮民族だけに固有の民族感情である。果たしてそんなおぞましい「日本人だけをどこまでも恨む」という感情が世界の人々に理解され共感されるものだろうか。
「恨日無罪」「恨日有理」という考え方は韓国朝鮮人が民族的精神遺産として罹患している独善的な儒教的侮日観念であり韓国朝鮮人の歪んだ妄想に過ぎない。そのどこにも「理」は有りはしない。この実に身勝手な朝鮮人の悪業の象徴がいま韓国に強奪されている我が日本国の「竹島不法占拠」であり自称朝鮮人売春婦を使った韓国政府の国家犯罪としての「慰安婦詐欺事件」にほかならない。
日本国外務省は竹島についてどういう態度をとっているのだろう。
「李承晩ライン」の設定と韓国による竹島の不法占拠
1.
1952(昭和27)年1月,李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って,いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し,同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに,そのライン内に竹島を取り込みました。
2.
1953(昭和28)年3月,日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定されました。これにより,竹島での漁業が再び行われることとなりましたが,韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事していることが確認されました。同年7月には,不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から退去するよう要求した海上保安庁巡視船が,韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生しました。
3.
翌1954(昭和29)年6月,韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表しました。同年8月には,竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃され,これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認されました。
4.
韓国側は,現在も引き続き警備隊員を常駐させるとともに,宿舎や監視所,灯台,接岸施設等を構築しています。
5.
「李承晩ライン」の設定は,公海上における違法な線引きであるとともに,韓国による竹島の占拠は,国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠です。韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。このような行為は,竹島の領有権をめぐる我が国の立場に照らして決して容認できるものではなく,竹島をめぐり韓国側が何らかの措置等を行うたびに厳重な抗議を重ねるとともに,その撤回を求めてきています。
日本国外務省のHPにはこう書かれている。
だがいまだに竹島は韓国に不法占拠されたままである。
外務省は李承晩ラインを不法だとHPに書いているが日本漁民の拿捕と漁船強奪また抑留者への虐待という人権犯罪については何も触れていない。だがそれは未解決のまま残存している朝鮮人の国家犯罪であり今後も追究し謝罪と賠償をさせねばならない大問題である。この韓国朝鮮人の残虐非道な日本人への強奪虐待暴行犯罪を決して過去のものにして忘れてはならない。
韓国は朝鮮戦争の最中に初代大統領の李承晩が命令し日本領土の「竹島」を不法侵略占拠した。
この不都合な事実を隠蔽するためにまず「独島はもともと韓国領土である」と第一の嘘をついている。
次に第二の嘘として韓国領土の独島を日本が侵略し奪ったと言う。それは一九〇五年(明治三十八年)に竹島を島根県に編入して日本領土としたことをさす。竹島が韓国領土になったことは過去一度もない。
さらに李承晩は侵略したのではなく日本に奪われた独島を奪還したのだと第三の嘘をついている。
この嘘に嘘を重ねた虚偽捏造の三段論法の理屈を考えて独島支配の正当性を宣伝している。泥棒が人のものを盗んでおきながら「これはもともと俺のものだ。おまえが盗んだから取り返したまでだ」と嘯(うそぶ)くのとおなじである。
二〇一八年三月一日韓国の大統領ムン・ジェインは竹島について「日本の朝鮮半島侵奪の過程で最も早く占領された我々の土地だ」と述べた。さらに「日本がこの事実を否定しているのは帝国主義の侵略に対する反省を拒否しているのと変わらない」と続けて日本を批判した。
日本領土の竹島を武力で侵略し占拠し居直り続けているのが韓国である。
この事実を隠蔽するために日本が反省を拒否している云々と大統領が日本を罵倒する演説をする。そのようなペテン師ですら言えないような嘘また嘘のセリフを一国の大統領が国民の前で堂々と演説する。それを見れば怒りより朝鮮人を軽蔑する日本人がますます増えていくだろうと思う。まさに朝鮮人というのは南北朝鮮ともに民族滅亡の自爆テロを自ら国民の熱狂によって選択している哀れな亡国の民そのものである。
いま韓国朝鮮人は自らの国を「ヘルチョソン」(地獄朝鮮)という。夢も希望もない朝鮮という無限地獄のような牢獄の中で生きていくしかない韓国朝鮮人の「ヘルチョソン」という自虐感情にはそれを解決する手段も何もなく出口のない嘆きと慟哭だけしかない。
韓国大統領のムン・ジェインは国民に絶望をもたらしている韓国政治から目をそむけさせるためなのかそこに一片の真実もない「慰安婦詐欺マンセー」、「竹島侵略占拠マンセー」「日本領土略奪マンセー」を叫んでいた。国民の恨日感情を煽り現実政治への不満のはけ口としつつ北朝鮮の独裁者に媚び諂うだけの「ヘルチョソン」の獄卒それがムン・ジェインの実態である。
ムン・ジェインの姿はまさに無能と悪辣さを絵に描いたような歪んだ恨日精神に無意味な快楽を求める朝鮮人そのものである。
朝鮮人とはこういう恥知らずの人種だと多くの日本人に韓国大統領のムン・ジェインは教えてくれているのかもしれない。反省すべきは嘘をついて何ら恥じることのないムン・ジェインそのものであり南北に分裂したまま統一できない朝鮮民族である。
日本領土の竹島を不法侵略していながら日本が独島を略奪したという虚偽捏造を事実だと主張し日本を罵倒するムン・ジェインの発言はもはや精神の病としか言うほかはない。彼の発言の内容は「正当性のない独善」すなわち「泥棒の言う屁理屈」であり真っ赤な嘘である。
朝鮮人は息をつくように嘘を吐くと言われているがその見本のような典型的な嘘である。
では「独島は歴史的にも韓国の領土」という韓国の主張のどこが嘘なのかを検証してみよう。すでに独島についての安龍福の証言は虚偽であることは詳しく述べてきた。韓国は独島が韓国領土だという根拠を「肅宗実録」に収録されている安龍福の虚言に置いている。その虚言をさまざまな朝鮮の怪しげな歴史書を持ち出し粉飾しては麗々しく宣伝しているのだが嘘は嘘に過ぎない。
独島は韓国領土の根拠の一番手は安龍福の虚偽証言である。このほかに韓国が重要視する証拠は一九〇〇年一〇月二十七日施行の「大韓帝国勅令第41号」である。この政府公式文書を持ち出して韓国は独島領有権主張の大きな根拠としている。この勅令が独島の韓国領土の証明になるのかどうかをこれから検証してみよう。
日本政府が竹島を島根県の地籍に登録し日本へ領土編入したのは一九〇五年(明治三十八年)二月二十二日である。その五年前の一九〇〇年に韓国政府は「大韓帝国勅令41号」により「僻陵島(韓国では欝陵島)」を鬱島に改めると共に「竹島と石島」を加え新たに鬱島郡を設置している。そして「石島」が現在の独島だとしている。
だからこそ韓国は韓国領土とした独島を日本が史略し奪ったという口実にしているのだが実はこれは真っ赤な嘘なのである。
その説明の前になぜこの時期にことさら地理的な区域を指定してまで大韓帝国は鬱島郡を設置しなければならなかったのかということである。
この時期欝陵島へ日本人が勝手に渡航し異国である大韓帝国の欝陵島を我が物顔に荒らしまくり樹木伐採や搬出するなど目に余る横暴なことをしていた。その結果怒った島民の朝鮮人と軋轢を生じていた。そういう状況を見かねた大韓帝国が欝陵島の監視強化と行政力を強化するために欝島郡の設置をしたというわけで無法で悪質な日本人を欝陵島から締め出すための行政措置だと思われる。
そういう経緯で「大韓帝国勅令41号」が発布されたのだろう。現在の韓国はこの行政的整備の中で属島の「竹島」は欝陵島の北二㎞に位置する「竹嶼」であるとしている。それは日本も同じなのだが驚くべきは欝島郡の属島である「石島」の定義である。なんと韓国は欝陵島から遠く離れた「独島」を指すと荒唐無稽なことを主張しているのだ。いやこれは冗談ではなく本当の話なのである。
『韓国の美しい島 独島』という韓国のサイトにはこう書かれている。
「大韓帝国は、一九〇〇年の勅令第四十一号において独島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域として明示し、鬱島郡守が独島を管轄しました」
この勅令により「独島」の韓国の領有権は明確にされることになったと宣伝しているのだ。
ただここにも嘘があって鬱島郡の管轄区域に明示されたのは「竹島と石島」であり「独島」ではない。韓国は「石島」が現在の「独島」であると主張しているに過ぎない。そして「大韓帝国勅令41号」により韓国行政区域にした「独島」を五年後に略奪して日本領土に組み込んだと主張している。
では「石島」は韓国の言うように「独島」なのだろうか?石島が独島でないならば「大韓帝国勅令41号」は韓国の独島支配の根拠にはならないことになる。
ここで持ち出されるのが韓国の「皇城新聞」(一九〇六年七月十三日付)の「鬱島郡の配置顛末」という記事である。これによると当時ソウルにあった日本の韓国統監府(かんこくとうかんふ)から韓国政府内務部に宛てて鬱陵島に関する照会があったという。韓国統監府は第二次日韓協約に基づいて大日本帝国が一九〇五年(明治三八年)に京城(けいじょう 現・ソウル特別市)に設置した官庁である。その後一九一〇年(明治四十三年)一〇月一日に日本による韓国併合により大韓帝国政府の組織と統合の上で京城(けいじょう 現・ソウル特別市)に朝鮮総督府を置いた。韓国統監府は朝鮮総督府の前身である。また韓国統監府の正式な名称は韓国のない「統監府」である。初代統監は伊藤博文である。
この韓国統監府からの照会事項は「江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡庁の設置年月を示せ」というものであった。
なぜこのような照会がこの時になされたのだろうか。
この前年の一九〇五年(明治三十八年)一月に日本は「竹島」を島根県隠岐郡に編入し日本領土とした。
「竹島」を日本領土とした約一年後の一九〇六年三月二十八日のこと欝陵島を島根県神西由太郎部長一行が訪問した。一行は新しく日本領土となった竹島を海上から視察した後に鬱陵島を訪問し欝島郡庁に郡守沈興沢を表敬訪問したのである。これを受けて郡守沈興澤は翌日付で江原道観察使へ次のような報告書を上げた。
本郡所属独島が本郡の外洋百余里外にある。本月四日(注・旧暦)に輸送船一隻が来泊し郡内の道洞浦に停泊した。日本の官人一行が官舎に来て「独島がいま日本領地となった」ので視察に来訪したと述べた。その一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西由太郎、税務監督局長吉田平吾、分署長警部影山巌八郎、巡査一人、会議員一人、医師・技手各一人、その外随員十余人だった。戸数、人口、土地生産の質問をした。
人員及び諸般事務を調査し記録して行った。以上報告し宜しくお取り計らい願う。
この報告書の冒頭に「本郡所属独島が本郡の外洋百余里外にある」と郡守沈興澤は書いている。韓国はこれをもって独島は韓国の欝島郡に明確に所属していたと強調する。だが何をもって郡守沈興澤が独島を本郡所属と認識していたのかという根拠がどこにも示されていない。ただ郡守沈興澤本人がそう思っていたということであり独島が欝島郡の管轄下にあるという根拠にはならない。
独島は韓国領土と思ったのは郡守沈興澤だけではなかった。報告を受けた大韓帝国の政府要人たちもそう思ったのである。なぜなら欝陵島の郡守が「独島を欝島郡の管轄下にある」と言うのだからその言葉の重みは大きい。
その結果として日本による竹島の日本領土化に対して対して朝鮮政府から「朝鮮領土の独島を日本が勝手に領土としたのは不当であり大問題だ」とする声が上がった。郡守沈興澤の報告書が政府へ届くと内部大臣李址鎔は「独島が日本領土になるのは全然理がなく非常に疑念を感じる」と述べた。参政大臣朴斉純は「報告は見た。独島が日本の領地になったのは事実無根だ。島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示した。このように 郡守沈興澤の報告によって「大韓帝国の領土が日本の領土になった」ということが地元の新聞で初めて報じられ大韓帝国政府にも激震が走った。
この時代に大韓帝国ではその根拠は不明だが「朝鮮領土の独島を日本が奪った」と思った朝鮮人のいたことが韓国の新聞報道によってわかる。
もしそうだとすれば日本は大韓帝国の領土である竹島を日本は日本領土に組み込んだのだろうか。だとしたらそれこそ日本政府の大失態であり大問題である。そこでこうした背景があって先の「皇城新聞」の記事にあったように韓国統監府は竹島が欝島郡の管轄下にあるのかどうかを再確認する問い合わせを韓国政府内務部に行ったものであろう。この照会を受けて韓国政府は回答するのだがその際に大韓帝国政府が欝島群の管轄区域を調べる根拠にしたのが一九〇〇年に発令された「大韓帝国勅令41号」である。
では「皇城新聞」の記事に戻って韓国統監府の問い合わせに対する韓国政府の回答はどのようなものであったのか。
それは明確に「皇城新聞」の記事に書かれている。
韓国政府の回答は「郡庁の所在地は台霞洞にあり鬱島郡の付属島嶼は「竹島、石島」であって郡の管轄範囲は付属島嶼を含めても「東西24キロ、南北16キロ、合わせて80キロの長方形の範囲にある」というものだった。
これを見ると当時の大韓帝国は「大韓帝国勅令41号」によって「竹島、石島」という付属の島嶼を含めて「東西24キロ、南北16キロ、合わせて80キロの長方形の範囲にある」であると日本の統監府へ回答していたのである。この管轄範囲はほぼ欝陵島の周辺を矩形に取り囲むほどのものである。この管轄区域には欝陵島から九十二㎞も離れた竹島が含まれるはずもないのは明らかである。
大韓帝国の政府首脳は「わが国の独島を日本が領土にしたのは不当だ」と激昂していたがそれは単なる思い込みに過ぎなかったことがわかる。大韓帝国政府は統監府へ対し結果として「独島は朝鮮の管轄下にはない」という意味の回答をしているわけだ。
「外洋百余里」にある独島はどのように「大韓帝国勅令41号」」を拡大解釈してみても欝島郡管轄地域のはるか彼方にあることを大韓帝国政府は認めざるを得なかったのである。したがって「独島は鬱島郡の付属島嶼であり石島が独島だ」という韓国の主張に根拠がないことはこの回答が如実に示している。この回答は韓国政府自ら「独島は鬱島郡の付属島嶼ではない」と結論づけていることを意味している。
ところが現在の韓国政府はこういう経緯があることを一切無視して「大韓帝国勅令41号」にある欝島郡管轄下の付属とされた石島は独島であると主張している。この石島は欝島郡の範囲からみて欝陵島の北東の端から100メートルの至近距離にある岩礁の「観音島」であると見るのが妥当である。しかし韓国は石島は無理やりに九十二㎞も離れた独島だと根拠もなく主張してやまない。
さらに笑えるのはなぜ石島が石島ではなく独島になったのかということの説明である。
韓国政府は朝鮮語の標準語には、「石」や「岩」を意味する「トル」という固有語があるとする。ところが韓国の全羅道の南海岸の方言ではこれが「トク」となる。そこで全羅道の人が石島を「トクソム」(石の島)と呼んでいたので大韓帝国の勅令で独島のことを「石島」と表記した。だが「独」の音読(トク)が全羅道方言の「石」のトクと同じ音であるので「独島」に改められたと説明している。
言うに事欠いてこじつけもいいところで馬鹿も休み休み言えと言いたい。独島が全羅道の近海にあるならこのこじつけもまあ許せるかもしれないが欝陵島は全羅道ととんでもなくかけ離れている。さすがにこれでは信憑性に欠けると考えたのか一九〇〇年ごろの鬱陵島には全羅道出身者の開拓民が多くいたという話を補足として説明するが勝手にデッチあげた作り話に過ぎない。
「大韓帝国勅令41号」を持ち出して石島が独島だとする韓国のこじつけはことごとく独島が「大韓帝国勅令41号」において欝陵島の属島として欝島郡の管轄下にあるとした「石島」ではないということを証明する皮肉な結果になってしまっている。まさに天に唾する嘘また嘘の大バーゲンセールであり哀号!というほかはない。
韓国は日本から違法に奪った竹島を独島と称し恨日三昧の独島観光を行って浮かれまわっている。
韓国の独島管理事務所は二〇一七年一〇月八日に二〇〇五年三月二四日に竹島(独島)訪問が許可制から申告制に変わってから同年九月末までの独島訪問客を集計した。その結果一二年間で一九四万六一〇四人の朝鮮人と外国人四〇三七人が竹島(独島)へ上陸したと発表した。
年間にして十六万二〇〇〇人の韓国朝鮮人が我国の竹島へ不法上陸している計算になる。
よく知られているようにパク・クネ、イ・ミョンバク、ムン・ジェインの三人の大統領も不法上陸している。これは入管法に違反した不法上陸、不法入国であり犯罪行為に該当する。日本政府は入管法の前提になる手続きを取り合えないとして有耶無耶にしている。こんなやる気のなさ事なかれ主義で日本政府はほんとに竹島を奪還できると思っているのだろうか。
現在の法律解釈上で不正不法を摘要できないなら法律改正してでも朝鮮人の竹島上陸を阻止し制裁すべきである。朝鮮人の不正不当不法行為はこれまでも朝鮮人の恨日行為三点セットとして常套手段になっている。これに対しては単なる「受け入れられない」「強く抗議する」といったおざなりの声明ではまったく歯止めが効かないことは明らかである。朝鮮人の恨日行為にはそれが不正不当不法であることをわからせ再発を阻止するために日本政府は毅然として的確な制裁と報復を行うべきである。
ほかに韓国政府は国策教育として徹底した「独島愛国教育」を全国で実施している。それは小学校はもとより幼稚園児も対象にしているというから驚く。
たとえば韓国の報道を見ると全国から選抜した幼稚園児を竹島へ集団上陸させ「独島は我が領土」の教育を実施している。わけも分からず独島へ連れてこられた幼稚園児は未来までの独島守護を国家から付託される。
いま韓国内での慰安婦詐欺活動や独島守護の担い手はこうして幼児時代から洗脳されて育った中学生高校生など若い世代である。
ふんぞり返った自称元売春婦の慰安婦詐欺老婆にひざまづいて同情と義憤の涙を流している若い女子高校生たちの姿を見るたびに韓国政府とはまさに「国家悪」という言葉がふさわしいように思う。これではまるで恨日洗脳国家であえる。国民をとりわけ世界の未来を担う若い世代を国家戦略としての恨日政策の手段とすべく韓国が国策にそった歪んだ「恨日戦士」を育てる「恨日教育」しているとしか言いようがない。
いま「竹島」は日本人は自国領土でありながら自由に行けない島となっている。もちろんその近海での漁業も実際には不可能である。
竹島奪還は北方領土とならんで我国が当然回復しなければならない日本政府の任務であり喫緊の課題なのだ。
現状は韓国政府は不法不当にわが国領土の竹島を実効支配している。
だがそれは日本領土の竹島を勝手に「独島」と命名し不法侵略し不法支配しているものであり南鮮に爪の垢ほどの正当性はない。
韓国では「独島は歴史的にも国際法的にも韓国領土だ」と学校教育で教えている。
「韓国政府の独島認識」というサイトを見ればこんなことが書かれている。
「独島、西紀512年から韓国の領土」
「独島は西紀512年(新羅の智証王13年)に于山国が新羅に合併された時から韓国の固有の領土となった。」
「于山国は東海の中に欝陵島と独島(于山国)の二つの島に構成された古代海上の小王国であった」
だがそれはどこからみても嘘である。
盗んだ品物に自分の名前を大きく書いて「もともとこれは自分のものだ」と主張するようなもので破廉恥極まりないことだ。
韓国が独島支配を正当化する根拠にしているのがこの小説の主人公である「安用卜」(アンヨンボク)と自称する一人の男の存在である。この小説では現在「安龍福」と呼ばれている男について基本的に本名の「安用卜(アンヨンボク)」を使った。後半に二度目の日本行きを計画する段階で安用卜は安龍福と自分で改名をしている。そこで小説後段の伯耆国渡海以降は安用卜を改めた「安龍福」という通名、変名を使った。
現在釜山にある「水営史蹟公園」には安龍福“将軍”の銅像が建っている。
この銅像は二〇〇一年に建てられたのだそうだ。当時のしがない私的奴隷、仕事は最下層の軍船の舟漕ぎ兵だった安龍福がいつの間にかこの銅像では堂々たる「将軍」に昇格している。そこには奴隷身分で雑兵だった安龍福がいついかなる理由で将軍になったかの説明はなにもない。まして鞭打ち刑の末に遠島流罪になった罪人であることも記されてはいない。
この銅像の説明文にはこう記されている。
「当時、倭人らが我々の鬱陵島と独島を竹島と呼び しきりに侵犯した。「安龍福将軍」は、同僚と共に日本に渡り鬱陵島と独島が我々の領土であることを確認させ日本の江戸幕府から再び侵犯しないという覚書まで受け取った。安龍福は鬱陵島と独島の守護に大きな業績を打ち立てた」
将軍の呼称についてはなんとも珍妙な説明がある。
「周りの人々から将軍と讃えられた」
韓国では周りの人が言えば「将軍」になるのだそうだ。呆れたものである。
銅像の後ろには安龍福の渡日を再現した銅板レリーフ画がある。
ひとつは 安龍福が日本の密漁船を追い払っている場面である。
もうひとつは安龍福が鳥取藩主と交渉している図である。
この交渉で安龍福は「鬱陵島と竹島が韓国領土であることを鳥取藩主に認めさせ再び侵犯しないことを約束する覚書を書かせた」と証言している。
だが事実はまるっきり違う。
安龍福が倭人の漁師を追い払ったこはないし鳥取藩主とも面談してはいない。
この安龍福の銅像の説明文や裏面のレリーフ画像のすべてが虚偽捏造なのである。
安龍福は江戸幕府に「鬱陵島と独島が我々の領土であることを確認させ」たことは一度もない。ましてやそういう内容の覚え書を江戸幕府に書かせたこともない。
すべては安龍福の嘘言を韓国政府が意図的に「事実認定」し国民に安龍福の嘘を広めているのである。
なぜそんな恥さらしなことをするのだろうか?
それはいま韓国が不法占拠している日本領土の「竹島」(独島)が韓国領土だという証拠がどこにもないからである。
そこで目をつけたのが嘘だらけの安龍福の証言である。
安龍福が「鬱陵島も松島(現・竹島)も韓国領土だと鳥取藩主へ認めさせて証文を書かせた」という虚言を歴史資料の中で見つけそれにしがみついて「竹島(独島)の韓国帰属」の根拠としているのである。
釜山の「安龍福将軍像」よりも以前に欝陵島にも同じように安龍福を賞賛する石碑が建立されている。
こちらは一九六四年秋の日付がある。
名称は「安龍福将軍忠魂碑」である。
釜山も欝陵島も同じなのは「安龍福将軍」という肩書である。
いつ奴隷の身分だった安龍福が将軍になったのだろうか?独島とが韓国領土だという人がいればそのことを聞いてみたいものだ。
いつ安龍福は「将軍」になったのですか?と。
いまの韓国は安龍福将軍という 「虚飾の恨日偶像」を恨日教祖として祀り上げ偶像崇拝する恨日カルト国家の様相を呈している。
最近では安龍福は国定教科書『中学校 国史』にも登場している。
第六次教育課程の教科書(二〇〇二年三月まで使われていた教科書)では「粛宗の代に、東莱の漁民安龍福が日本人漁民を鬱稜島から追い出し日本に行って、鬱稜島が朝鮮の領土であることを確認させたこともあった」
この安龍福の業績は史実ではない。まったく出鱈目な記述である。
しかし注目してほしいのは事実ではないにせよともかくこの教科書では安龍福の関わったのは「欝陵島」だと書いてある。それが安龍福の業績についての韓国の長年の考え方であった。しかし三年後の教科書からは「欝陵島」が突然消えて「ここ」という表現となる。
「朝鮮粛宗代には東莱に住む安龍福がここを往来する日本の漁師を追い払い日本に渡り我が国の領土であることを確認させたこともあった」
「ここ」とはどこなのか?
「欝陵島」が消えたあとの「ここ」とは「鬱陵島と独島」の両方をさしている。「欝陵島」だけでは肝心の「独島」が入らないのであいまいに「ここ」として「独島」を含めたことにしている。
韓国ではこのように国定教科書は簡単に豹変する。韓国の歴史教育はこのようなご都合主義で書き換えられるもののようだ。韓国で歴史とは歴史的な事実をさすものではないらしい。韓国で歴史とは虚偽捏造をはじめ歴史的願望をさすものらしい。
韓国は独島領有権を主張できる「歴史的事実」がない。日本領土を不法侵略したのだから当たり前のことだ。だが韓国政府は狡猾にも韓国による日本領土の強奪という事実を隠蔽する虚偽捏造を行ったのである。それは「独島」はもともと韓国領土だった。それを日本が奪った。そこで戦後韓国がもともと自国領土の「独島」を奪還したという事実無根のフィクションを作り上げたのである。誰がそんな出鱈目な話を作り上げたのかといえばそれは韓国政府そのものである。まさに韓国は泥棒国家というほかはない。
そのためには「独島」がもともと韓国の領土だったという証拠が必要になる。もちろんそんな証拠はどこを探してもあるはずがない。
そこで目をつけたのが安龍福という人物であった。誰でも理解しやすい「安龍福の虚言」を拡散して独島が韓国領土の根拠にしているのである。
安龍福の証言が事実無根ということはすでに明きからになっている。それにもかかわらずいまだに安龍福の虚偽証言を無理矢理に「事実認定」したまま取り下げることはない。そしてあらゆる場面や機会をとおして国民に虚偽の洗脳しながら世界中へも嘘情報を発信しているのである。
事実無根にもかかわらず虚言をもとにして言いがかりや因縁をつけるという手口はもっぱら暴力団や詐欺師が使う常套手段である。
昨今のいわゆる慰安婦問題という自称元売春婦による「慰安婦詐欺事件」も同様の手口である。
この件の詳細は省くが自称元慰安婦という老婆たちの虚偽捏造証言を「事実認定」した上で韓国政府が日本へ慰安婦の名誉回復と国家賠償を求めている。
まさにこれは安龍福の虚言を韓国政府が「事実認定」して「独島は韓国領土」と主張する手口と同じである。
ありもしないことを「事実だ」と喚き立て因縁をつけるというのが昔からの朝鮮人の習い性なのだろうか。そこには恥の心もなければ人間として最低持つべき自尊心の欠片もない。
人間としての最低の倫理さえも欠落した人間集団が朝鮮半島の南北分断国家を形成しいることは日本だけでなく東アジアひいては世界の大きな不幸というべきであり同時に朝鮮半島の南北朝鮮人の存在が背後のシナやロシアも含めて世界の大きな不安材料となっている。
ソウルの西大門区には新聞社のビルの地下に「独島体験館」という施設がある。
そこでも安龍福が「独島守護」の大将軍となって来場者を出迎えてくれる。
展示コーナーに帰国後の安龍福の虚言をそのまま再現したジオラマがある。音楽とナレーションと映像で安龍福の虚偽証言を再現している。鬱陵島にいないはずの倭人
を蹴散らかし安龍福は「松島」(現・竹島)へと倭人を追いかける。「松島」(現・竹島)に上陸した安龍福は魚脂を列をなして煮ている釜をぶっ壊し「この島もわが朝鮮領土だぞ」と倭人へ向かって叫ぶ。
その後鳥取藩へ凱旋すると鳥取城で鳥取藩主と直談判し「鬱陵島と独島を朝鮮領土」だと認めさせる。こうした虚偽証言を実際にあったこととする「安龍福将軍」の大活躍のシーンがジオラマによって繰り返し流されている。
学校の恨日愛国教育の一環として社会科見学学習コースにこの「独島体験館」は組み込まれている。先生に引率された小学校の生徒たちが計画的に見学会に参加させられ先生やボランティアの説明を熱心に聞いている。
こういう恨日愛国教育が小学校、中学校の教育プログラムとして一年間通して計画的に実施されている。信じられないかもしれないが韓国全土でこのような「独島はわが領土」という洗脳が三百六十五日繰り返されているのである。
ここにある安龍福の話はすべてが事実無根の偽情報であるにもかかわらず子供たちはすべてが事実として教えられている。
このほかにもソウル南山公園にある「安重根義士記念館」では日本の初代首相の伊藤博文をハルピン駅ホームで狙撃した安重根が恨日英雄として称えられている。統監府がつくった近代的な刑務所である西大門刑務所跡もまた恨日教育の場所とされ「安重根義士記念館」とならんで子供たちへの恨日教育が行われている。三角地の「戦争記念館」も同様である。
慰安婦関連施設としてはソウルの弘大入口駅から遠くない麻浦区 城山洞にある通称「慰安婦博物館」(戦争と女性の人権博物館)がある。ここは恨日活動を推進する「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が運営しており「ナヌムの家」と同じく日本からの慰安婦詐欺に賛同する見学者も絶えない。
ソウルを南下して京畿道天安にある「独立記念館」も恨日教育のメッカである。韓国京畿道広州市には自称慰安婦の住む「ナヌムの家」がある。ここには「慰安婦歴史館」が併設されているほか慰安婦問題を推進する大韓仏教曹渓宗の寺院施設もある。
ほかにもいろいろあるが韓国には各地にこうした子供を見学させ恨日を植え付ける施設があちこちにあってまるで韓国全体が恨日テーマパークと化している。
恨日施設ではないが慰安婦詐欺の象徴となっている慰安婦像がところかまわず韓国全土に繁殖している。最近ではソウル市内の乗り合いバスの中にも慰安婦像が乗せられるなど異様な光景が韓国中を席巻している。
慰安婦像を囲んで愛国行為だと自画自賛しているようだがこの像の真実の姿を子供に教える人はいないようだ。この像のような少女はたくさん朝鮮にはいたのである。ただそれは日本軍や日本官憲による強制連行ではなく朝鮮人の親による娘の人身売買である。女衒に金で娘を売り飛ばした親がいたことを朝鮮人はひたすら隠蔽しているがそれこそおぞましい朝鮮人の現実である。貧困はそれほど切ないものであって責められるものではないかもしれない。しかし親による娘の人身売買という朝鮮社会の伝統的な悪習を隠蔽し日本による強制連行だの性奴隷だのと虚偽捏造の限りをつくして行っている韓国政府の「慰安婦詐欺」こそ責められるべきであり絶対に許すことはできない。あの慰安婦像は正確に言えば「親に身売りされた朝鮮人少女像」である。そのことに気づく若い朝鮮人たちはほとんどいないのが現実である。
また日本人観光客がほとんど行くことのない施設に龍山区龍山洞通称三角地の「戦争記念館」がある。この「戦争記念館」には一階の広いフロアーの一隅に「独島」コーナーが常設されている。
このには独島の大型模型がある。写真パネルを背景にした独島の模型がありその前にミニステージのような一段高い台が置かれている。子供を連れたお母さん方が来ると韓服をおじいさんがいて子供たちに韓国国旗を配る。子供たちは台の上に乗ると韓国国旗を振る。模型の独島を背景に韓国国旗を振るわが子にむけてお母さん方がいっせいにスマホのシャッターを切る。
「戦争記念館」ではおなじみの記念写真風景である。
この独島コーナーはいつも順番待ちができるほどの賑わいを呈している。
幼児のころから韓国では不法侵略して盗んだ日本の竹島を自分たちの領土だと教え込まれているのである。
安龍福がこの光景を見たら我が意を得たりとばかり鼻高々になるのだろうか。
韓国には「独島愛」なる言葉がある。
日本領土を不法占拠しているという快感が韓国朝鮮人を興奮させるのだろうか。韓国朝鮮人は年がら年中独島を話題にしては「独島はわが領土!」と歌い喚き踊りだす。だが人のものを盗んでそれに大きく自分の名前を書き自分のものだと大声で叫んでも盗んだものは決して自分のものにはなることはない。
そのため日本がいつ独島を取り戻しにくるかもしれないと韓国朝鮮人は怯えながら盗んだ竹島を囲い込んでは「独島はわが領土!」を叫んでいるのだ。
独島を朝鮮領土だと日本へ認めさせたのは安龍福だと韓国人は教え込まれている。それは虚偽捏造であるにも関わらず韓国ではそれが国民共通の認識となっている。韓国ではこれに異を唱えることは許されない。またそう信じることが愛国だと教えられているのであろう。韓国朝鮮人はそう教えられているのだが鳥取藩で安龍福がそういう主張をした事実はない。
安龍福の証言はそのほとんどが嘘であることがすでに判明している。
「韓国政府の独島認識」というサイトには「独島偉人伝・安龍福」(独島研究所)の項目に次のようなことが書かれている。
「安龍福の活動をきっかけに、日本の江戸幕府は鬱陵島への渡海禁止命令を下し、日本の漁民は鬱陵島と独島で漁をすることができなくなった。17世紀末、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であることを認めさせた安龍福の活躍は、1870年と1877年に日本の明治政府に鬱陵島と独島が日本とは関係のない朝鮮の領土であると再確認させる重要な根拠を提供した。」
この記述は明らかな誤りである。
江戸幕府が欝陵島への米子漁師の渡海禁止をしたのは二度目に安龍福が伯耆へ来る半年ほど前のことである。江戸幕府が「安龍福の活動をきっかけに」鳥取藩へ渡海禁止命令を出したというのは明らかな間違いである。
しかも安龍福が「欝陵島と独島が朝鮮の領土だ」などと江戸幕府へ認めさせたこともない。
安龍福に関してこのような虚偽捏造の証言を韓国政府は公式に公表している。
しかし嘘であっても一〇〇回言えば真実になるという諺が韓国では信じられているらしい。こういう手品のような事実認定を韓国という国家において見ることはさほど珍しいことではない。嘘を嘘ではなく真実にするために不毛の情熱を燃やして嘘を拡散することに熱中しているのが現代韓国朝鮮人の姿である。
自分の妄想や願望と事実が食い違う場合ふつうは実現へ向けて努力するか諦めるかするものだ。だが朝鮮人は「恨」という感情を持つという。
朝鮮人にとって「こうありたい」「こうあってほしい」という感情がやがて「こうあるべきだ」「こうでなくてはならない」という確信に変わる。
そうなると願望実現の衝動を抑えきれなくなりやがて矛盾も不合理も顧みず願望を現実することに朝鮮人は熱中しはじめる。
李王朝では国家の掟に背いた犯罪者とされ流罪に処せられた安龍福がいまや「独島守護の大将軍」と賞賛されている。
安龍福の銅像が建てられることの異常さや矛盾を批判する朝鮮人はどこを探してもいない。朝鮮人にとっては「かくあるべき」「かくありたい」という思い込みのほうが現実や事実に勝るのであろう。
朝鮮人の窃盗団が盗んだ対馬の仏像さえも韓国司法は返すべきではないと判断している。泥棒さえも恨日事案ならば法の公正を守るべき裁判官すら泥棒擁護に回って韓国は何ら恥じることはない。おれでは法治国家とは言えまい。呆治国家である。
根本的に朝鮮人の何かが間違っているとしか思えない。
いま安用卜という男は自ら名乗った通名の「安龍福」と名を代えて韓国では国家英雄の安龍福将軍と称せられている。李氏朝鮮時代の国家の重罪人が国家英雄にころっと衣替えして何の支障もない。時代が変われば人物評価が変わることはないことではない。だが安龍福の証言が明らかな虚偽であるにも関わらずそれを今の韓国政府が事実認定してしまうというのは朝鮮人の歪んだ「恨日愛国ご都合主義」精神の現れで
あろう。安龍福評価における掌返しのような事例も「恨日」ならばすべてが許されるというのは朝鮮人固有の精神病理を示す事例であろう。
当時は奴隷身分のであり海軍の雑兵を務めていたといわれる安龍福という男は現在では安龍福将軍というとんでもない大出世を遂げ韓国朝鮮人の国民的英雄像に祭り上げられている。そもそも軍役がの雑兵奴隷だった人間がいつのまにか「将軍」と冠称されるようなトンデモナイ脚色、虚偽捏造が韓国では平然と行われている。そうした捏造をして疑問にも感じない韓国朝鮮人という民族や国家にとって「歴史」とはいったい何なのだろうか。恨日的捏造が事実を捻じ曲げそれに対する国民の批判が許されないというのが韓国社会である。こういう朝鮮人の歪んだ恨日主義には根本的な疑問を持たざるを得ない。
では安龍福が生きていた当時の彼の評価はどうだったのだろうか。
「粛宗実録」に記録された議論を見ると国禁を破り日本まで押しかけて訴訟を行おうとして李王朝の信用を失墜させ日本国との外交摩擦を生んだ大罪人という評価である。
朝鮮の東莱府使は安龍福について朝鮮政府の関係を明確に否定している。つまり安龍福の伯耆国行きは朝鮮政府とはまったく無関係であり迷惑なことだと切って捨てて
いる。
安龍福については李王朝を預かる朝鮮政府は「法禁を畏れず他国に事を生ずる乱民」(領議政 柳尚運)とみなしていた。
対馬藩の問に対して東莱府は安龍福の鳥取行きの密航は朝鮮政府と無関係だと再三述べている。東莱府使の李掲載は朝鮮は安龍福と無関係であるとした上で朝鮮政府がが「どうして狂惷の浦民を送ることがあろう」と述べている。つまり安龍福は頭の狂った漁民だと切って捨てている。
安龍福が鳥取藩へ密航した翌年の一六九七年二月一四日に備辺司が朝廷に奏上した文章の中に安龍福の行動について次の文言がある。
「風漂の愚民がたとへ作為する所があっても朝家(朝鮮政府)の知る所ではない。」
「至於漂風愚民設有所作爲亦非朝家所知」(肅宗実録 三十一巻 二十三年 二月十四日)。その翌月の三月には 「呈書のことについては誠に妄作の罪あり」として安を処罰したと日本へ通知している。
安龍福は伯耆国へ現れた時には朝鮮の役人や使者を偽装していた。
だがそれは安龍福一味が朝鮮政府の使者を詐称し自分たちの行動に虚偽の箔をつけ鳥取藩を騙そうとした詐欺計画だったことが明らかである。
一漁民が朝鮮政府の使者だと偽り外国へでかけて大言壮語する。これだけでも死罪にあたるのは明らかなことである。 安龍福のような国禁を犯す大罪を犯した愚民を李朝の政治家たちは決して許さないと決断した。朝鮮政府は「法に在りてはまさに誅すべし」と安龍福を死罪にすべしという意見が最初から強かった
このように安龍福は即処刑となるべき罪人であった。しかし「恨日有理」主義に凝り固まった南九萬はそれに賛同しなかった。
政権を握る小論派の元老南九萬は事実を法に照らして罪状を決めるという法治の理念を歪曲してまでも安龍福の救済を主張した。もし安龍福を処刑すれば喜ぶのは対馬藩だけだと考えたのである。安龍福の処刑が対馬藩を利するならば本来は安龍福を処刑すべきだが処刑はやめておこうという理屈だ。そこには法の公正よりも恨日を優先させるという驚くべき怨念の燃え盛る恨日主義だけが突出しており民を公正に治めるべき法治の精神は微塵もない。その結果安龍福は死罪から罪一等を減じられて鞭打ちの刑付きの流罪となったのである。
恨日急先鋒の元老南九萬は対馬藩との間でこじれていた鬱陵島の帰属問題が解決したのは安龍福の功績であると主張した。南九萬のような恨日に凝り固まった朝鮮人から見ると対倭、対対馬藩への制裁と報復を優先するという観点からみれば朝鮮の法を枉げるのも政治的判断として当然だという考え方なのだ。
この南九萬のこだわった安龍福の罪状軽減の理由は日本と日本人への意味のない感情的な恨みである。安龍福の処罰をめぐるこのような李氏朝鮮の朝廷における確執は今日の韓国政府の対日外交にも共通する病的なまでの恨日優位の姿勢が色濃く感じられる。
朝鮮人は事が自分の思うようにいかない場合に抱く怨念にも似た解決不能の怒りの感情を「恨(はん)」と呼んで有難がる。「恨」というのは朝鮮人だけにしか通用しない恨み辛みを美化する感情だ。
まさに「恨」という「恨日感情」という眼鏡をかけてみればそれが虚言であれなんであれ日本を痛罵してやったという安龍福の言動は朝鮮人の恨の感情をほぐすものであったの違いない。それを知悉した上での安龍福の備辺司尋問への虚言であったことは論を俟たない。
小論派が反対を押し切ってまで安龍福の減刑に動いた最大の理由は日本と日本人への根深い「恨」(はん)であったと言える。
日本と日本人への千年も万年も消え去ることのない意味不明の「恨日病」に朝鮮人は取り憑かれている。それこそが政治権力者としての南九萬の政治判断の基本理念であり動機なのであった。南九萬にみられるような朝鮮人の血に根を下ろした倭人への恨は理屈抜きの深い恨の根である。一時的には腐っても斬られても抜かれてもすぐさま「恨日病」の根は再生されてさらに深く根を広げていく。
氷よりも硬い頑固な根雪でさえも時が来れば消え去っていく。
だが朝鮮人の恨日感情は決して溶け去ることはない。かくして誰が指導者になろうとも朝鮮人国家は恨日国家であり続ける。朝鮮人にとっての自主独立国家としての自立した自尊心に基づく愛国精神はない。朝鮮人にとっての愛国とは恨日すなわち愛国という「恨日」と「愛国」が不可分であり「恨日愛国」という非常に歪んだ感情である。
つまり事の是非でも事の真偽でもなく「恨日」ならばすべてが正義となり事実となるのである。それがいかに無意味であり国家や国民生活を阻害しようが「恨日」という免罪符をまるで麻薬か覚醒剤のように韓国朝鮮人は手放そうとしないのだ。
韓国はパックネ元大統領ががいみじくも公言したように「1000年も日本を許さない」として「日本と日本人は朝鮮人に対する絶対悪だ」と国家が叫んでいる国である。
「韓国が絶対善」であり「日本が絶対悪」であるという履き違えた独善的勧善懲悪の盲信また狂信に近い感情が韓国の国是のように対日外交の大前提にある。それを踏まえて日本が何をしても絶対許さないと当時のパックネ大統領自身が発言しているのである。
韓国の対日感情について言えばシナの千年属国であったという儒教的閉鎖世界における対日優越感と国際世界の中での対日劣等感が同居し韓国朝鮮人は自縄自縛で身動き取れないのが実態である。その状況を打開すべく韓国の比較劣位の現実を直視するのではなく劣等感の裏返しとして何の意味もなく韓国自身の発展や向上に逆行する日本への狂信的恨日主義による怨念としての火病という業火に身を投じているように見える。大統領だけでなく政府や議員また地方の首長たちも右にならえである。韓国朝鮮人もまたしかり。国家と国民あげて特定の一国を誹謗中傷することに365日入れあげている国家はおそらく世界中で韓国だけではないだろうか。その愚かさに気が付かないのが狂信的恨日主義というものなのだろうか。
これはあまりにも異常である。だが韓国朝鮮人の誰もこれを異常とは思わない。それこそが韓国の病理なのだ。これは韓国のすべてに共通することだ。韓国は法治国家ではあるが法律はあっても相手が日本となれば法律は無力であり恨日感情が絶対権力をふるい始める。それが韓国という恨日カルト国家である。
昨今の国家ぐるみで狂奔している慰安婦騒ぎも真相は自称元慰安婦を使った「恨日慰安婦詐欺事件」である。それは「独島はわが領土」と血迷って騒ぎたてる「竹島ウリナラ領土ニダ詐欺」と同根である。
「恨日病」は新たに再生産されて地縛霊のように朝鮮人に取り憑いている。
「風漂の愚民」として朝鮮政府に切って捨てられた安龍福を歴史のゴミ溜めから拾い上げ浅はかにも恨日象徴の大将軍に祭り上げたのが現代朝鮮人であり韓国という恨日朝鮮人国家の韓国である。
同様に恨日を目的に捏造された「虚飾の恨日偶像」は李舜臣にはじまり対日テロリストの安重根、尹奉吉、李奉昌さらには現代の慰安婦詐欺師の有象無象など掃いて棄てるほどある。いつか朝鮮民族の滅ぶ最後の血の一滴にまで日本人への劣等感の裏返しの感情としての「恨」は今後も際限なく連綿として伝えられていくに違いない。
そこで考えてほしいのは朝鮮人の愚かな恨日感情に基づく恨日行動の異常さだけではない。
日本人のこれらの問題へ対するあまりにも脳天気な無関心さである。
私が竹島の帰属問題について考えるきっかけになったのは田村清三郎著の「島根県竹島の新研究」という著作である。そのあとがきにはこう書かれている。
「竹島問題の解決が長引いているのは日本側に確たる証拠が欠けているかのように誤解して竹島(ウツリョウ島)の記された江戸時代の日本地図を発見すると鬼の首でもとったかのように騒ぎ立てる一部の国民や朝鮮側の主張をよくも知らずに全面的に韓国の主張が正しく日本政府の言い分はウソであると考えて新聞に投書する一部の国民の考え方には問題があると思う。竹島問題は土俵のない行司のいない角力のような状態にあるのであっていくら我が方が動かない証拠を示しても負けたことを認めない相手ととっくんでいるようなものである。」
竹島があたかも昔から朝鮮の領土であったかのように南鮮朝鮮人政府は嘘の宣伝を繰り返している。
それに対して「安龍福の言ったことは嘘だ」「韓国に竹島領有の何の根拠もない」と理解している日本人が一人でも多くなることが詐欺師同然の恨日カルト朝鮮人国家の恨日宣伝の土俵を狭める確実な道であろうと信じている。
竹島奪還の鍵は韓国にあるのではない。
日本政府と日本人こそが握っているのである。
独島なる島は地球上に存在しない。
そこにあるのは竹島であり竹島は日本領土である。