redtail2733の知的排泄物処理場(twitter+α)

redtail2733のホンネを聞いちゃいましょう! って,ほとんどtwitterのまとめですが(^^ゞ

3月24日(木)のつぶやき

2011年03月25日 01時30分29秒 | twitterログ
09:06 from mixi ボイス
方便なのかもしれないけれど,「被災地への義捐金を募っている中で重ねて寄付を呼びかけづらい」という安倍川花火大会の中止の理由は頷ける部分がある。寄付金・浄財で運営されているイベントは,それを中止してでも「義捐金・被災地復興支援ファースト」ということなんだろう。
09:10 from mixi ボイス
もっとも「義捐金ファースト」の考え方が浸透すると,さまざまな形での「義捐金詐欺」が横行するから困ったものだ。
14:06 from TwitBird
RT @eriteru: こちらでもご注意を。「溶かしてリサイクルして利益を震災の義援金に送りたいのでタンスに眠っている貴金属があったらください」という業者が来た。一喝したらにらんで帰っていった。同報無線でも公的機関を装った義援金詐欺に注意を呼び掛けていた。特にお年寄りの ...
14:11 from TwitBird
RT @310kakizawa: もう一つ、今回の震災の名称について。この震災をどう呼んだら良いか分からない。行政機関は「東北地方太平洋沖地震」、NHKは「東北関東大震災」、その他のマスコミは「東日本大震災」と呼んでいる。「兵庫県南部地震」が「阪神淡路大震災」になったよう ...
by redtail2733 on Twitter

桜田淳子 This Is A “Boogie”

2011年03月24日 17時41分06秒 | 昔の曲
1981年9月21日発売 詞:実川俊 曲:小田裕一郎 編:大村雅朗
1981年の紅白歌合戦。多くの人の意見が一致する,桜田淳子が紅白で残した最高のパフォーマンスではないか。



1980年に新宿コマ劇場で『アニーよ銃をとれ』を初演している。桜田淳子にはビッグバンドとブギーがお似合いなのである。
なので,翌82年末の『セーラー服と機関銃』がいかにミスマッチだったかがわかる。

桜田淳子 窓

2011年03月24日 17時24分42秒 | 昔の曲
1982年8月5日リリース
犬丸秀詞・曲の見事なワルツ。



実質的に桜田淳子の最後のヒット曲。リリースは83年9月5日の『眉月夜』(曲:小椋佳)が最後。
この後は女優業に軸足を移した。
『窓』があるにもかかわらず,1982年の紅白歌合戦で桜田淳子は『セーラー服と機関銃』を歌った。


3月23日(水)のつぶやき

2011年03月24日 01時31分02秒 | twitterログ
07:59 from mixi ボイス
コミッショナーが下す判断は最終決定であり,組織の成員はおろか外部の誰も反対する力を持たない。規則に縛られない「超法規的措置」であっても。日本でそこまで強権を持つ個人はいない。経営者ならば強権発動も辞さないかもしれないが,官僚・外交官出身者はびびってしまうのかなー。
08:51 from TwitBird
強権を握っているがゆえに、他者に左右されるのではなく、みずからの良心にのみしたがって最終判断するしかないのだろう。読売新聞社の傀儡……もとい加藤良三コミッショナーは。
09:11 from TwitBird
「送り火」に代わって花火に鎮魂の意味を見い出す人が増えている。警備の都合などはわかるけど、商業的・大規模ではない花火大会は開催自粛しないでほしいな。長岡とか片貝とか大曲とかどうするんだろう?
11:19 from mixi ボイス
茎立菜とか紅菜苔って,市場に流通しているのか?
by redtail2733 on Twitter

森昌子 父娘草

2011年03月23日 23時31分48秒 | 昔の曲
森昌子 父娘草
『春の岬』の次に出たシングル(1978年3月1日)
作詞:山口あかり 作曲:八角朋子 編曲:馬飼野俊一



森昌子の本領は『なみだの桟橋』のような絶唱調の歌ではないと思う。『父娘草』のように淡々と,だけど切々と情愛を吐露していく歌にこそ持ち味がある。しかし,『父娘草』のセールスは3.2万枚に落ち込む(『どんぐりっ子』の1.1万枚よりはマシだが)。
ポニーキャニオンのスタッフはそこを理解して曲を作ったからこそ,ヒット曲につながったのだと思う。もっとも,『立待岬』は10万枚のセールスに達していないけど(6.4万枚)。


春の岬  森昌子

2011年03月23日 23時16分36秒 | 昔の曲
春の岬  森昌子
1977年12月1日
詞:杉紀彦/曲:市川昭介



『なみだの棧橋』(1977/8/1)のヒットの陰に隠れているが,森昌子式青春歌謡の名曲だと思う。
この後,森昌子をめぐるスタッフは混乱期に入り,駄曲を続ける。同じ詞・曲のスタッフによる『ためいき橋』(1979/10/21,ポニーキャニオン移籍第一弾)で蘇生する。