日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

市原八幡神社および上総国府跡推定地|千葉県市原市 【梅雨の晴れ間に上総古代史探訪 ⑨】

2019-06-19 05:42:29 | 歴史探訪
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 大多喜街道を南下していきますが、市原八幡神社もぜひ参拝しておきたいので寄ります。

 路駐スペースが限りなく少ないので、2秒で参拝を終わらせますよ。









 しまった、2秒以上かかってしまった・・・

 車へ戻れ!

 この市原八幡神社がある辺りは、人市場という怖い名前の小字となっています。

 戦国時代に頻繁に立っていた人身売買市とは関係ないと思いますが気になる地名です。

 市原八幡神社と街道を挟んだ東側に小字としての古甲が残っており、もしかするとそこに国庁があったのかもしれません。

 さて、前回「後程」と伝えておいた柳楯神事ですが、「国府物語」さんのHP内に詳しく書いてありましたので、それを参照させていただきます。

 ⇒「国府物語」さんのHP内「19.上総国」はこちら

 それによると、柳楯神事は中秋の名月に近い日曜日に上総国総社である飯香岡八幡宮で行われる例大祭で、600年ほどの歴史があります。

 その日の前日、25本の柳の枝を5本の青竹にくくりつけ楯の形にした「柳楯」と称する神の依り代を上総国府から出発させるのですが、現在では国府の場所も分からなくなっているので、光善寺の公民館を出発します。

 初めにここ市原八幡神社へ寄り、つづいて阿須波神社に寄りますが、その間は台地上を進んでいき、その途中にある小字「辻」を通過したことでしょう。

 阿須波神社からは市原台地を降り、古代の道を通り五所町民館で一泊し、翌日、飯香岡八幡に到着して例大祭が始まります。

 この古代の道は遺構が検出されており、幅は6mだそうです。

 五所という地名は「御所」と通じると思うのでこれはこれで興味がありますが、五所には五所四反田(ごしょしたんだ)遺跡があります。

 市原市埋蔵文化財調査センターのHP内の「五所四反田遺跡の木製品(1)」によると、低地にある五所四反田遺跡からは1000点を超す木製品が出土して、とくに5世紀(古墳時代中期)の「柄孔諸手鍬」という特異な形の「鍬(くわ)」が出土したそうですが、それが用途不明の「謎の農具」だそうなのです。

 ⇒市原市埋蔵文化財調査センターのHP内の「五所四反田遺跡の木製品(1)」はこちら

 ※しかし、市原市埋蔵文化財調査センターのHPはコンテンツが充実していて素晴らしい!

 市原八幡神社は、飯香岡八幡宮の本宮と伝わっており、柳楯神事のルーツに関しては分かっていないそうです。

 600年前から始まったという伝えが正しいとすると、その頃はすでに国府は機能していなかったはずですが、中世の領主が自らの権威のために古代の祭りを再興させたのか、古代の国司と自らを伝統的に接続させるべく新たに創始した可能性があるのではないでしょうか。

 雷電號を進発さて、さらに南へ向かい、「郡本」交差点まできました。

 今走ってきた北側を見ます。



 こちら方向に国府があったかもしれません。

 東方向を見ます。



 すぐに地形が落ちているのが分かりますね。

 なお、ここから南南西方面に直線距離で1㎞ちょっと場所には上総国分尼寺がありました。
 
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