相模川中流部にはこのように古墳が展開しています。
それでは雷電號で出発。
最初はまず勝坂遺跡の駐車場の確認をしにいきます。
雷電號や徒歩で行ったことがありますが、駐車場の入口が狭いため、万が一バスが入れなかったときのことを考え、近辺で路駐できる場所も探しておきます。
まずは、駐車場の入口がある道路へ左折する交差点の確認。
中型バスで来る予定ですが、角度や道幅はもちろんのこと、高さだったり、樹木が道路にはみ出ていないかなどを確認し、標識も確認します。
トラックは左折できませんが、バスは大丈夫ですね。
こういうのを見落とすと当日面倒なことになるのです。
駐車場の入口。
こちらも幅や進入角度などを見ておきます。
私自身大型車は運転しないので確実な感覚は持っていないのですが、ここはちょっときつそうなので、念のため近辺に停められそうな場所を探しに行きます。
というわけで、一通り調べは付いたので、古墳めぐりに移行しましょうか。
※ツアー当日、この日の心配は杞憂に終わり、ドライバーさんはスルっと駐車場に入れてくれました(ツアーが成功するかどうかは意外とドライバーさんの人柄や技術に掛かっていたりするのです)
まずは厚木市のホウダイヤマ古墳へ向かいます。
古墳は「ぼうさいの丘」公園にある、というか、あったようなので、ぼうさいの丘公園を目指します。
あった、という過去形は古墳なので当たり前かもしれませんが、ホウダイヤマ古墳は墳丘は残っていないのです。
墳丘の残っていない古墳を見に行って何が楽しいのかと思われるかもしれません。
もちろん古墳本体も重要ですが、古墳の立地や周辺地形、眺望、反対に古墳が周囲からどういうふうに見られるかなどの景観を確認することは非常に重要ですし、その場の「空気」を吸うこともとても大切です。
その場所に行くことにより、古代の王から何かしらのインスピレーションをいただけることもあります。
あ、私は霊能者ではありませんよ。
いつものごとく、ナヴィに脳内を支配されながら7時半に「ぼうさいの丘公園」に到着。
確かに丘の上だ。
公園の案内図を確認。
古墳は公園最高所の「季節の丘」にあったそうなので、そこを目指します。
こちらに向かってくる間も気になっていましたが、今日は山々が綺麗に見えます。
大山さん、今日もお綺麗ですね。
桜もちょうど見頃です。
あら、孔雀さん、おはよう。
遠くに説明板らしきものが見えます。
ここが最高所ですので、この辺に古墳があったんでしょう。
説明板。
ホウダイヤマ古墳は以前から気にはなっていたものの、自宅から近いこともあって逆になかなか訪れませんでした。
ところが、先日私の講座やツアーによく来てくださる方から「ホウダイヤマ行ってきましたよ!」とお話をいただき、内心「しまった!先を越された!」と思い可及的速やかに探訪せねばと思っていたわけです。
いや、来てみるとやはりここは非常にいい場所ですね。
古代の王墓の立地として最高です。
相模川流域ですと、左岸の海老名市にある秋葉山古墳群が東海に出自を持つ当地方最初の王で、なおかつ、関東諸王の中ではいち早くヤマト王権に協力した様子がうかがえるのですが、立地からするとホウダイヤマの王の方が権力的には上だったのではないかと思います。
ただ、説明板に書かれている通り、ホウダイヤマはこのような姿になってしまい、詳細は分かりません。
秋葉山古墳群の編年はこのようになっています。
※現地説明板を撮影
秋葉山古墳群の中で、もっとも大きな古墳である1号墳の墳丘長は59mで、ホウダイヤマ1号墳とほぼ同じです。
仮に秋葉山1号墳の築造時期が4世紀前半でホウダイヤマ1号墳が4世紀後半だとすると、4世紀の半ば頃、秋葉山勢力が力を落としてホウダイヤマ勢力が相模川流域の覇権を握ったとも考えられなくもないですが、秋葉山古墳群のすぐ南には同じ座間丘陵上に上浜田古墳群があり、その中で最も大きな墳丘長80mと推定される瓢箪塚古墳がもしかするとホウダイヤマ1号墳と時期的に被るかもしれません。
※現地説明板を撮影
だとすると、4世紀後半の時点で、相模川流域の両岸にそれぞれ上浜田勢力とホウダイヤマ勢力が並び立っていた様相が想像できます。
私の印象では神奈川県は古墳の調査があまり活発ではないように思われ、かつ、超重要な古墳が次々と破壊されてしまった印象があります。
そのため、古代史像を組み立てようとしてもなかなか難しいところがあります。
まあ、愚痴を言っても過ぎたことは仕方がありませんから、現在残った資料で神奈川県の古代史像を少しでも明らかにしていきたいと思います。
こちらが2号墳かな?
さっきは逆光だったので東側に回って撮影。
ホウダイヤマの王も崇めたであろう大山。
本当にこの場所は気持ち良い!
少し北側の眺望。
東側の眺望。
このわずかな丘が前方後円墳に見えてしまいます。
ビールを飲みながら花見でもしたい気分ですが、そうも行っていられないので次へ行きますよ。
おや、今度はウサギさん。
警戒して腰、というか前脚を浮かせた!
大丈夫、何もしないよ・・・
子供が遊ぶ遊具も揃っていますね。
駐車場まで戻ってきました。
それでは次は地頭山古墳へ向かいますよ。
(つづく)
それでは雷電號で出発。
最初はまず勝坂遺跡の駐車場の確認をしにいきます。
雷電號や徒歩で行ったことがありますが、駐車場の入口が狭いため、万が一バスが入れなかったときのことを考え、近辺で路駐できる場所も探しておきます。
まずは、駐車場の入口がある道路へ左折する交差点の確認。
中型バスで来る予定ですが、角度や道幅はもちろんのこと、高さだったり、樹木が道路にはみ出ていないかなどを確認し、標識も確認します。
トラックは左折できませんが、バスは大丈夫ですね。
こういうのを見落とすと当日面倒なことになるのです。
駐車場の入口。
こちらも幅や進入角度などを見ておきます。
私自身大型車は運転しないので確実な感覚は持っていないのですが、ここはちょっときつそうなので、念のため近辺に停められそうな場所を探しに行きます。
というわけで、一通り調べは付いたので、古墳めぐりに移行しましょうか。
※ツアー当日、この日の心配は杞憂に終わり、ドライバーさんはスルっと駐車場に入れてくれました(ツアーが成功するかどうかは意外とドライバーさんの人柄や技術に掛かっていたりするのです)
まずは厚木市のホウダイヤマ古墳へ向かいます。
古墳は「ぼうさいの丘」公園にある、というか、あったようなので、ぼうさいの丘公園を目指します。
あった、という過去形は古墳なので当たり前かもしれませんが、ホウダイヤマ古墳は墳丘は残っていないのです。
墳丘の残っていない古墳を見に行って何が楽しいのかと思われるかもしれません。
もちろん古墳本体も重要ですが、古墳の立地や周辺地形、眺望、反対に古墳が周囲からどういうふうに見られるかなどの景観を確認することは非常に重要ですし、その場の「空気」を吸うこともとても大切です。
その場所に行くことにより、古代の王から何かしらのインスピレーションをいただけることもあります。
あ、私は霊能者ではありませんよ。
いつものごとく、ナヴィに脳内を支配されながら7時半に「ぼうさいの丘公園」に到着。
確かに丘の上だ。
公園の案内図を確認。
古墳は公園最高所の「季節の丘」にあったそうなので、そこを目指します。
こちらに向かってくる間も気になっていましたが、今日は山々が綺麗に見えます。
大山さん、今日もお綺麗ですね。
桜もちょうど見頃です。
あら、孔雀さん、おはよう。
遠くに説明板らしきものが見えます。
ここが最高所ですので、この辺に古墳があったんでしょう。
説明板。
ホウダイヤマ古墳は以前から気にはなっていたものの、自宅から近いこともあって逆になかなか訪れませんでした。
ところが、先日私の講座やツアーによく来てくださる方から「ホウダイヤマ行ってきましたよ!」とお話をいただき、内心「しまった!先を越された!」と思い可及的速やかに探訪せねばと思っていたわけです。
いや、来てみるとやはりここは非常にいい場所ですね。
古代の王墓の立地として最高です。
相模川流域ですと、左岸の海老名市にある秋葉山古墳群が東海に出自を持つ当地方最初の王で、なおかつ、関東諸王の中ではいち早くヤマト王権に協力した様子がうかがえるのですが、立地からするとホウダイヤマの王の方が権力的には上だったのではないかと思います。
ただ、説明板に書かれている通り、ホウダイヤマはこのような姿になってしまい、詳細は分かりません。
秋葉山古墳群の編年はこのようになっています。
※現地説明板を撮影
秋葉山古墳群の中で、もっとも大きな古墳である1号墳の墳丘長は59mで、ホウダイヤマ1号墳とほぼ同じです。
仮に秋葉山1号墳の築造時期が4世紀前半でホウダイヤマ1号墳が4世紀後半だとすると、4世紀の半ば頃、秋葉山勢力が力を落としてホウダイヤマ勢力が相模川流域の覇権を握ったとも考えられなくもないですが、秋葉山古墳群のすぐ南には同じ座間丘陵上に上浜田古墳群があり、その中で最も大きな墳丘長80mと推定される瓢箪塚古墳がもしかするとホウダイヤマ1号墳と時期的に被るかもしれません。
※現地説明板を撮影
だとすると、4世紀後半の時点で、相模川流域の両岸にそれぞれ上浜田勢力とホウダイヤマ勢力が並び立っていた様相が想像できます。
私の印象では神奈川県は古墳の調査があまり活発ではないように思われ、かつ、超重要な古墳が次々と破壊されてしまった印象があります。
そのため、古代史像を組み立てようとしてもなかなか難しいところがあります。
まあ、愚痴を言っても過ぎたことは仕方がありませんから、現在残った資料で神奈川県の古代史像を少しでも明らかにしていきたいと思います。
こちらが2号墳かな?
さっきは逆光だったので東側に回って撮影。
ホウダイヤマの王も崇めたであろう大山。
本当にこの場所は気持ち良い!
少し北側の眺望。
東側の眺望。
このわずかな丘が前方後円墳に見えてしまいます。
ビールを飲みながら花見でもしたい気分ですが、そうも行っていられないので次へ行きますよ。
おや、今度はウサギさん。
警戒して腰、というか前脚を浮かせた!
大丈夫、何もしないよ・・・
子供が遊ぶ遊具も揃っていますね。
駐車場まで戻ってきました。
それでは次は地頭山古墳へ向かいますよ。
(つづく)
坂ばっかりの所ですので傾斜が古墳ってのもありますよ、きっと。自然の地形の長い歴史の中でもまさにそういう特別な立地で古墳が作られていたはず。水運も使ってね。
で相模原の当麻ってこの前地図でも気になってましたけど行かれてますね。蹴速探しに行ってみようかな?
雷電號でしたね、見つかりそう。
私も当麻(たいま)という地名はとても気になっています。各地でたまに見かけます。
まあ、私の世代は、「原当麻」というと「はらたいら」すなわちクイズダービーに繋がってしまうのです。昔のクイズ番組には今と違って「知性」がありましたね。今は単に騒がしいだけで知的水準も低い(笑)
で当麻寺は中将姫の命日にお練りを合わせたそうですよ。他にも行きたい場所もあり、身体が三つあったら各自行っておいでって言いたいくらいです。
今日林先生のテレビのコーナーで鯛は縄文からなんて言ってましたが千葉でも大きい骨出ていましたよね。
でタイという名前はひらたいからきたようです。
当麻もトウマとタイマって音もどちらも気になりますので。
どうもポリネシア系も視野に入れてます、モアナというディズニー映画観たのもありましたので。
丸木舟できていたりして。伊良湖でヤシの木流れてきたなんて説ありそうですけどあの辺りの遺跡も気になるんですよね。で神奈川なら海経由ならこれちゃうし、相模川から内陸にも入れますね。で相模湖津久井湖あたりはとても気に入った場所だったんじゃないかな?と。船乗りなら港で温泉につかるというのもありそうなので神奈川の温泉場もかなり気になってます。
旧石器から縄文にかけて入ってきている民族を今たどるよう流されてます。夢で火山の火口内の神事をしぶとく待ってお守りゲットしたんでそのあたりと関係ありそうに思います。伊豆の白濱神社あたりと相模川を内陸に移動した民族がかぶってくると面白いんですけどね。静岡も今かなり面白くなってきてますので。
そうそう、この民族の神はたぶん磐の上に立つんですよ。蓮の花とは時代が違うようです。溶岩とかサヌカイトか風に侵食されやすい山の上の巌とか。海と山もどうも直結していそうですよ。
古墳の作り方やお棺の作り方もヒントになるとおもいます。くり抜きが今一番気になっています。
有名な古墳あったら教えて下さいね。どこの岩なのか?どこに存在したくり抜き石棺なのか?超気になっていますね。