長山古墳はすでに湮滅してしまった古墳ですが、きちんと発掘調査がされており、百舌鳥古墳群が大王の墓域になる前の在地勢力を調べるうえで様々な情報を提供してくれます。
発見容易
墳丘完全湮滅
説明板あり
お勧め度:
*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
大阪府堺市堺区協和町1丁
※地図は「中井ホルモン店」の場所を指しています
現況
完全市街地化
史跡指定
出土遺物が見られる場所
堺市博物館
2.諸元
築造時期
4世紀後半
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:110m
段築:
葺石:あり
埴輪:円筒(朝顔形含む)、家形、盾形、靭形、蓋形
主体部
出土遺物
車輪石
周堀
最大幅が15.7mの盾形
3.探訪レポート
2020年9月19日(土)
この日の探訪箇所
長山古墳 → 乳岡古墳 → 大塚山古墳
東横インの朝食は通常は7時開始なのですが、たまに6時半開始のお店もあって、堺東は6時半開始でした。
早めに出発できるからありがたい。
今はコロナの影響でお弁当形式になっているのですが、その代わり自部屋に持って帰って食べることができます。
7時少し前にチェックアウト。
今日は昨日できなかった百舌鳥古墳群の下見をしますよ。
地図を見ると東横イン堺東は阪堺電車の大小路駅にも近いので大小路駅へ向かいます。
え、もしかして路面電車?
実は参照した地図の文字がよく読めなくて私は「阪神」だと思っており、普通の電車だと思っていました。
そっか、阪神電車は神戸方面には行きますが、こちら方面には来てないんですね。
大小路駅!
反対側の電車が信号が青になるのを待って出発しました。
予備知識なしで来ると、こういう予期していないものに出会ていいですね。
私が乗る方の電車が来ました。
4駅目の東湊駅に到着。
電車は行ってしまいました。
お、ハザードマップがありますね。
こういうのがあると古代の地形が想像できるのです。
いま私は古墳時代の頃は海だったと考えられる場所にいます。
ここから百舌鳥古墳群を目指して東へ向かいますよ。
周辺の地形を見渡すと完全に真っ平です。
東京に住んでいる方は、江東区とか中央区とかの埋め立て地をイメージしていただければわかると思います。
元々海ですから、真っ平らなわけですね。
ところが、駅を出てすぐに前方が登り坂になっているのが目視できました。
最初に目指す長山古墳はあの微妙に高くなった場所にあるはずです。
あるはずです、というのは正確じゃないですね。
長山古墳はすでに湮滅してしまった古墳なので、今から古墳跡を見に行くのです。
古墳跡のすぐ近くまで来ました。
標高は3m。
でもここまでくれば古墳時代の頃からちゃんと「地面」だった場所になりますよ。
この道のやや右側が前方部の底辺のラインとなります。
左折して墳丘西側の長辺をイメージして歩きます。
事前にWebで調べたところでは、この先に説明板があるはず・・・
ありました!
そして道路が丸くなっているのが分かると思いますが、1600年以上前に作られた墳丘の後円部のラインがこうして形跡をとどめているんですね。
日に当たってだいぶ薄れてしまった説明板を読んでみましょう。
葺石に使用した石材の大きさが百舌鳥古墳群の他の古墳と異なるというのが、この古墳がどのよう人物の墓であったかを解く鍵になりそうです。
ここでついでに昨年(2019年)の1月5日に堺市博物館にて撮ってきた写真も見てみましょう。
前期古墳らしく車輪石も出ています。
関東の人間からすると、車輪石って珍しいんですよね。
実はこれらの展示を見た時から長山古墳とこのあと訪れる乳岡古墳には非常に興味を抱いていたのです。
百舌鳥古墳群というと、日本一、いや世界一巨大な墓である大仙陵古墳を筆頭に、巨大古墳や超大型古墳が何基も築造されていることで著名ですが、その中の特に大きな3基(大仙陵、上石津ミサンザイ、土師ニサンザイ)の中で最初に築造されたのが履中天皇陵と呼ばれている上石津ミサンザイ古墳です。
ただし、上石津ミサンザイ古墳が築造されたのは5世紀になるかならないかの頃で、それを画期として周辺が大王の墓域になったと考えられるのですが、それ以前には大王の家系ではない、在地の有力者(王)がこの周辺を支配していたと考えられ、その王の墓が、この長山古墳と乳岡古墳だと考えられるのです。
なお、さきほど駅にあったハザードマップを見ていただきましたが、私が「今昔マップ」を元に作成した地図を見てください。
この元の地図が造られた明治の終わりには微妙に墳丘が存在していますね。
上の説明でもありましたが、長山古墳が築造された4世紀後半の時点では、古墳のすぐ西側まで海が迫っており、海からの景観を意識して長山古墳と乳岡古墳は築造されています。
そして中期になると、東側の一段上がった場所に大王墓が造られます。
往時の墳丘を想像しながら、円形の道路を歩いてみましょう。
振り返ります。
この先辺りで後円部は終わりかな。
私自身はまだ百舌鳥古墳群に関する知識があまり集積できていないため、長山古墳などの大王墓以前の古墳についてはこれから考察を深めていく予定ですが、やはりこうして現地に来ないと分からないこともありますから今日は来られて本当に嬉しいです。
つづいて、乳岡古墳へ行ってみようと思います。
(つづく)
4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『百舌鳥古墳群の調査9』 堺市教育委員会/編 20161年
・『百舌鳥・古市古墳群 東アジアのなかの巨大古墳群』 一瀬和夫/著 2016年
・「前方後円墳データベース」 奈良女子大学