⇒前回の記事はこちら
念願の篠川御所跡と悲願の稲村御所跡を訪れ、つづいてはせっかく須賀川市にいるので、市内の古墳を一つでも見ていこうと思います。
若い頃は旅の準備も用意周到にしていましたが、最近は結構いい加減になっているので、今回のように思い付きで出かけてしまうことも多いです。
でも、意外と予備知識なしで出かけるのも楽しいですよ。
遺跡は2度訪れることをお勧めします。
最初は予備知識なしで出かけて楽しみ、帰宅後、見てきたことを整理してから再度同じ場所へ行って見ると、最初の時とは違って知識もあるので、違った見方ができるし新たな発見も多いし、また疑問に思ったことも解消できたりします。
福島県の古墳については予備知識がほとんどないため、今回は自宅を出る前、本棚から『東北古墳探訪』(相原精次・三橋浩/著)を引っ張り出して雷電號に積載してきました。
『東北古墳探訪』のタイトル通り、東北地方6県と新潟県の古墳についてオールカラーでカタログ的に紹介している本で、マイナーな古墳もたくさん載っており、かなり充実した内容になっています。
こういった種類の本の中には、観光案内に毛が生えた程度の知的好奇心がまったく満足できない類の本もあるのですが、この本は学術的観点からもきちんと考察されており読み応えがあって頼りになりますよ。
ちなみに、古代においては新潟県は東北地方の一部です。
そもそも、出羽国のもととなった領域は、当時は現在の新潟県の延長部分という認識だったのです。
それはそうと、ページをパラパラとめくりながら須賀川市内に面白い古墳はないかなあと探すと、市内和田の蝦夷穴古墳が石室に入れるようなので行って見たいと思います。
稲村御所跡を出て、15分くらい走って古墳があると思われる場所の近辺に着きましたが、古墳が見当たりません。
梨畑のなかにあるそうなので、それらしい場所を探りますが、墳丘が見えないのです。
この景色のどこかにあるはずなんだけどなあ・・・
いやー、参った。
私は城跡めぐりを中心にやっていた頃には自ら「城跡発見エスパー」と称し、遺跡の発見には自信があるのですが、まあ、たまにはこういうこともあります。
事前調査をしないで来ると楽しいですが、こういう失敗をしてしまうのも事実です。
今回は蝦夷穴古墳と縁がなかったということですね。
人生は「縁」です。
諦めてまた該書をめくると、前田川の大塚古墳が墳丘もしっかり残っていて面白そうです。
じゃ、いぐよ。
走り出して少し経つと、道は砂利道になり、段々ヤバそうな場所へ向かっていきます。
行けるだけ行って畑の横のちょっとしたスペースに車を停めさせてもらい、ここからは歩いて探しますよ。
さあ、どこにあるのかなあ?
歩きだしてすぐ、親切にも案内板がありました。
いいねえ。
400mか、近いな。
お、墳丘らしきものが見えたぞ。
間違いない。
墳丘だ。
墳丘を見ると嬉しくなって、いつものように歌を歌いながら近接します。
ハロー。
ちゃんと説明板もある!
横穴式石室が開口していますね。
石室には入ってはいけません!
と言いたげに扉には鍵がかかっています。
でもスミマセン、横の隙間から普通に入って行けるのですが・・・
はい。
おそらく扉は歩行者に対するものではなく、車両が石室に入らないように設置されているものである蓋然性が極めて高い。
ではお邪魔いたします。
天井石。
いいねえ。
全長が8mということで、そこそこ奥行きがある印象です。
高さも2mあるので、窮屈な感じはしませんよ。
奥壁は緑掛かっています。
こうやって天気が良い日は、懐中電灯が無くても見れるからいいですね。
都市部の古墳の石室が開口しているといたずらされたり、人が住みついたりする可能性がありますが(今時ないか?)、こういう辺鄙な場所であればそういう危険性は少ないでしょう。
でも一言お伝えしますが、石室に入ったことによってケガをしたり石が崩落して下敷きになって死んでしまってもそれは自己責任ですからね。
石室を出ます。
古墳の南側の光景。
墳丘は削られているということなので、それらしき形跡が残っています。
周溝はないのかなあ?
なお、この古墳は前述書によると岩背国造の墓という説があるそうです。
国造マニアには堪りませんな。
いやー、それにしても良い古墳が見れて嬉しいです。
今日の朝出発してからこれまでめぐった場所はこんな感じです。
つづいて、泉崎村へ向かいますが、そろそろお腹が空いてきたなあ。
⇒この続きはこちら
念願の篠川御所跡と悲願の稲村御所跡を訪れ、つづいてはせっかく須賀川市にいるので、市内の古墳を一つでも見ていこうと思います。
若い頃は旅の準備も用意周到にしていましたが、最近は結構いい加減になっているので、今回のように思い付きで出かけてしまうことも多いです。
でも、意外と予備知識なしで出かけるのも楽しいですよ。
遺跡は2度訪れることをお勧めします。
最初は予備知識なしで出かけて楽しみ、帰宅後、見てきたことを整理してから再度同じ場所へ行って見ると、最初の時とは違って知識もあるので、違った見方ができるし新たな発見も多いし、また疑問に思ったことも解消できたりします。
福島県の古墳については予備知識がほとんどないため、今回は自宅を出る前、本棚から『東北古墳探訪』(相原精次・三橋浩/著)を引っ張り出して雷電號に積載してきました。
『東北古墳探訪』のタイトル通り、東北地方6県と新潟県の古墳についてオールカラーでカタログ的に紹介している本で、マイナーな古墳もたくさん載っており、かなり充実した内容になっています。
こういった種類の本の中には、観光案内に毛が生えた程度の知的好奇心がまったく満足できない類の本もあるのですが、この本は学術的観点からもきちんと考察されており読み応えがあって頼りになりますよ。
ちなみに、古代においては新潟県は東北地方の一部です。
そもそも、出羽国のもととなった領域は、当時は現在の新潟県の延長部分という認識だったのです。
それはそうと、ページをパラパラとめくりながら須賀川市内に面白い古墳はないかなあと探すと、市内和田の蝦夷穴古墳が石室に入れるようなので行って見たいと思います。
稲村御所跡を出て、15分くらい走って古墳があると思われる場所の近辺に着きましたが、古墳が見当たりません。
梨畑のなかにあるそうなので、それらしい場所を探りますが、墳丘が見えないのです。
この景色のどこかにあるはずなんだけどなあ・・・
いやー、参った。
私は城跡めぐりを中心にやっていた頃には自ら「城跡発見エスパー」と称し、遺跡の発見には自信があるのですが、まあ、たまにはこういうこともあります。
事前調査をしないで来ると楽しいですが、こういう失敗をしてしまうのも事実です。
今回は蝦夷穴古墳と縁がなかったということですね。
人生は「縁」です。
諦めてまた該書をめくると、前田川の大塚古墳が墳丘もしっかり残っていて面白そうです。
じゃ、いぐよ。
走り出して少し経つと、道は砂利道になり、段々ヤバそうな場所へ向かっていきます。
行けるだけ行って畑の横のちょっとしたスペースに車を停めさせてもらい、ここからは歩いて探しますよ。
さあ、どこにあるのかなあ?
歩きだしてすぐ、親切にも案内板がありました。
いいねえ。
400mか、近いな。
お、墳丘らしきものが見えたぞ。
間違いない。
墳丘だ。
墳丘を見ると嬉しくなって、いつものように歌を歌いながら近接します。
ハロー。
ちゃんと説明板もある!
横穴式石室が開口していますね。
石室には入ってはいけません!
と言いたげに扉には鍵がかかっています。
でもスミマセン、横の隙間から普通に入って行けるのですが・・・
はい。
おそらく扉は歩行者に対するものではなく、車両が石室に入らないように設置されているものである蓋然性が極めて高い。
ではお邪魔いたします。
天井石。
いいねえ。
全長が8mということで、そこそこ奥行きがある印象です。
高さも2mあるので、窮屈な感じはしませんよ。
奥壁は緑掛かっています。
こうやって天気が良い日は、懐中電灯が無くても見れるからいいですね。
都市部の古墳の石室が開口しているといたずらされたり、人が住みついたりする可能性がありますが(今時ないか?)、こういう辺鄙な場所であればそういう危険性は少ないでしょう。
でも一言お伝えしますが、石室に入ったことによってケガをしたり石が崩落して下敷きになって死んでしまってもそれは自己責任ですからね。
石室を出ます。
古墳の南側の光景。
墳丘は削られているということなので、それらしき形跡が残っています。
周溝はないのかなあ?
なお、この古墳は前述書によると岩背国造の墓という説があるそうです。
国造マニアには堪りませんな。
いやー、それにしても良い古墳が見れて嬉しいです。
今日の朝出発してからこれまでめぐった場所はこんな感じです。
つづいて、泉崎村へ向かいますが、そろそろお腹が空いてきたなあ。
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稲用さんのタイトルの岩背国造ってとっても興味ありますね。
あと須賀川はかなり気になる地域で私も一度行きました。どうも関係者の親戚筋にもその辺りのお家があったとかあとで聞きました。
記事も福島になっていたんですね。すっかり東京はお祭りばかりで記事が読めてませんが飛びつきセンサーはあるようでこの記事の飛び付いてしまいましたよ。
岩背国造って一体どなたなんでしょうね?
なんか確信に近い何か感じますよ、日本の歴史にとって大事な方のように思いますね。調べてみますね。