⇒前回の記事はこちら
立川市の沢稲荷古墳を見た後は、国立市方面へ向かいます。
分かれ道。
右側の坂を下っていくと、根川緑道に出るはずです。
あ、ここだ。
しばらくのあいだ、根川緑道を歩きますよ。
根川緑道は、2017年6月11日に東国を歩く会で歩いたことがあるので、この道をずっと歩いて行くと国立市の青柳に到達することを知っています。
青柳という場所はまさしく次の目的地ですから、この緑道を歩かない手はないですね。
こういうご時世ですが、お散歩をしている方は多いです。
小さいお子さんを連れた家族連れも多いですよ。
カメさん、こんにちは。
甲羅を干すのに良いお日柄ですね。
お散歩に最適の緑道。
3年前に来た時は梅雨に入る直前でしたが天気の良い日でした。
今日のような新緑の季節もまた良いですね。
驚くほど水がきれい。
野球場の横を通ります。
カモさん、ごきげんよう。
そろそろ国立市との境界です。
根川緑道も終わりとなります。
根川貝殻坂橋が見えてきました。
緑道の端から端まで歩いて25分くらいですね。
そういえば、3年前に見かけた猫ちんは見かけなかったな・・・
いったん、多摩川の河川敷まで行って見ます。
※富士山も薄く見えていたのですが、写真だと分かりづらいですね。
そういえば、日野橋って治ったかしら?
呪力ズーム!
昨年10月の台風19号のときに橋がグニャッと曲がってしまい、それ以来ずっと通行止めです。
まだ車は走っていないようです。
掃除の仕事のときも日野橋はよく使っていたのですが、通行止めになってから立日橋を使っていました。
※帰宅後Webで調べたところ、立川市のHPによると応急復旧が終わり5月12日火曜日の午前10時に通行止めを解除するそうですが、その後も橋の修理は続くようです。
では、根川貝殻坂橋へ戻りましょう。
ここはサイクリングコースとして有名で、ひっきりなしに自転車が来ますので気を付けましょうね。
こういう時期でもチャリンコはたくさん走っています。
ちなみに、近世の甲州道中は時期によって多摩川を渡る場所が変わったのですが、この場所が渡河地点だった時期もありました。
説明板。
根川貝殻坂橋を渡りながら根川を見ます。
対岸には「貝殻坂」の標柱が立っていますよ。
この説明を読むと、普通に「貝塚があったんじゃないの?」って思いますよね。
「東京都遺跡地図」を見ると、青柳遺跡という旧石器、縄文中期、平安時代の遺跡になっていますが、包蔵地としての扱いですので、旧石器や縄文土器や平安時代の土師器などが出土することが知られている程度でしょう。
坂の横っちょ、掘ってみようかな?
掘っちゃダメですよ!
なお、この坂を登りかけた瞬間、立川市錦町から国立市青柳に進入します。
国立市青柳には青柳古墳群というのがあり、今日はその中の1基である四軒在家(しけんざけ)1号墳の移築されたものを見に行きますよ。
坂を登り切った場所は青柳面です。
ここから少しの間、青柳面を歩きますよ。
あー、この道も3年前に仲間たちと歩いた道なのでよく覚えています。
少し歩くと左手に青柳稲荷神社が現れました。
由緒書き。
青柳村や石田村について書かれていますが、このように川沿いにある村は水害により村が消滅したり、村ごと引っ越したり、村が分裂してしまったりしました。
列島各地の地図を見るとたまに出てきますが、川の両岸に同じ地名があったり、やたらと飛び地が多かったりした場合は、それは昔の水害や流路の変遷を物語っています。
北側の甲州街道方面へ延びる参道。
200m先に現代の甲州街道が走っていますが、この参道ができたのは当然ながら今の甲州街道が出来てからです。
いま私が歩いてきた道は、道沿いには長屋門があったりすることから分かる通り古い道です。
今の甲州街道ができる前は、この道がメインルートであり、さらに古く中世まで遡ると、ハケの下にメインルートがあった時代もありました。
さて、青柳稲荷神社の境内のすぐ東からは青柳古墳群が展開していますよ。
つづいて、四軒在家1号墳の移築を見に行きましょう。
⇒この続きはこちら
立川市の沢稲荷古墳を見た後は、国立市方面へ向かいます。
分かれ道。
右側の坂を下っていくと、根川緑道に出るはずです。
あ、ここだ。
しばらくのあいだ、根川緑道を歩きますよ。
根川緑道は、2017年6月11日に東国を歩く会で歩いたことがあるので、この道をずっと歩いて行くと国立市の青柳に到達することを知っています。
青柳という場所はまさしく次の目的地ですから、この緑道を歩かない手はないですね。
こういうご時世ですが、お散歩をしている方は多いです。
小さいお子さんを連れた家族連れも多いですよ。
カメさん、こんにちは。
甲羅を干すのに良いお日柄ですね。
お散歩に最適の緑道。
3年前に来た時は梅雨に入る直前でしたが天気の良い日でした。
今日のような新緑の季節もまた良いですね。
驚くほど水がきれい。
野球場の横を通ります。
カモさん、ごきげんよう。
そろそろ国立市との境界です。
根川緑道も終わりとなります。
根川貝殻坂橋が見えてきました。
緑道の端から端まで歩いて25分くらいですね。
そういえば、3年前に見かけた猫ちんは見かけなかったな・・・
いったん、多摩川の河川敷まで行って見ます。
※富士山も薄く見えていたのですが、写真だと分かりづらいですね。
そういえば、日野橋って治ったかしら?
呪力ズーム!
昨年10月の台風19号のときに橋がグニャッと曲がってしまい、それ以来ずっと通行止めです。
まだ車は走っていないようです。
掃除の仕事のときも日野橋はよく使っていたのですが、通行止めになってから立日橋を使っていました。
※帰宅後Webで調べたところ、立川市のHPによると応急復旧が終わり5月12日火曜日の午前10時に通行止めを解除するそうですが、その後も橋の修理は続くようです。
では、根川貝殻坂橋へ戻りましょう。
ここはサイクリングコースとして有名で、ひっきりなしに自転車が来ますので気を付けましょうね。
こういう時期でもチャリンコはたくさん走っています。
ちなみに、近世の甲州道中は時期によって多摩川を渡る場所が変わったのですが、この場所が渡河地点だった時期もありました。
説明板。
根川貝殻坂橋を渡りながら根川を見ます。
対岸には「貝殻坂」の標柱が立っていますよ。
この説明を読むと、普通に「貝塚があったんじゃないの?」って思いますよね。
「東京都遺跡地図」を見ると、青柳遺跡という旧石器、縄文中期、平安時代の遺跡になっていますが、包蔵地としての扱いですので、旧石器や縄文土器や平安時代の土師器などが出土することが知られている程度でしょう。
坂の横っちょ、掘ってみようかな?
掘っちゃダメですよ!
なお、この坂を登りかけた瞬間、立川市錦町から国立市青柳に進入します。
国立市青柳には青柳古墳群というのがあり、今日はその中の1基である四軒在家(しけんざけ)1号墳の移築されたものを見に行きますよ。
坂を登り切った場所は青柳面です。
ここから少しの間、青柳面を歩きますよ。
あー、この道も3年前に仲間たちと歩いた道なのでよく覚えています。
少し歩くと左手に青柳稲荷神社が現れました。
由緒書き。
青柳村や石田村について書かれていますが、このように川沿いにある村は水害により村が消滅したり、村ごと引っ越したり、村が分裂してしまったりしました。
列島各地の地図を見るとたまに出てきますが、川の両岸に同じ地名があったり、やたらと飛び地が多かったりした場合は、それは昔の水害や流路の変遷を物語っています。
北側の甲州街道方面へ延びる参道。
200m先に現代の甲州街道が走っていますが、この参道ができたのは当然ながら今の甲州街道が出来てからです。
いま私が歩いてきた道は、道沿いには長屋門があったりすることから分かる通り古い道です。
今の甲州街道ができる前は、この道がメインルートであり、さらに古く中世まで遡ると、ハケの下にメインルートがあった時代もありました。
さて、青柳稲荷神社の境内のすぐ東からは青柳古墳群が展開していますよ。
つづいて、四軒在家1号墳の移築を見に行きましょう。
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