保渡田薬師塚古墳は、保渡田古墳群の首長墓としては最後に築造された前方後円墳で、築造途中に榛名山の噴火に見舞われたもののそれを乗り越えて完成した古墳です。
発見容易
本物の刳抜式舟形石棺が見られる
説明板あり
お勧め度:
*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
群馬県高崎市保渡田町1872
現況
西光寺境内
史跡指定
国指定史跡
名称:
指定日:昭和60年9月3日
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
5世紀末から6世紀初頭の間
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:105m
段築:3段
葺石:あり(下段は無し)
埴輪:あり
主体部
竪穴系(凝灰岩製刳抜式舟形石棺)
出土遺物
周溝:
墳丘:
主体部:
3.探訪レポート
2020年11月7日(土)クラブツーリズム
個人での探訪とクラツーの仕事での探訪を合わせると、保渡田古墳群にやってくるのは今日でもう10度目ですが、ようやく初めて薬師塚古墳を探訪します。
実はいつも見学している「かみつけの里博物館」が運悪く臨時休館となってしまったため、その代替として薬師塚古墳探訪をセッティングしたわけです。
私個人的にはずっと行きたいと思いつつ行けなかった古墳ですので良い機会なのですが、お客様的には、やはりかみつけの里博物館の見学ができないのは痛いと思います。
ただ、そうは言っても私の力ではどうすることもできませんので、薬師塚古墳へ行ってみましょう。
薬師塚古墳は西光寺の境内にあります。
ツアーの際にいつも訪れている八幡塚古墳からは歩いて5分なのですが、たったこれだけの時間を確保できないほど、毎回ツアーは時間カツカツでやっているのです。
もし毎回のツアーに組み込むとしたら、全員お連れするのは無理ですから、たまにやる「別動隊作戦」を取るしかないでしょう。
つまり、体力と速力に自信がある方のみ私が率いて見てきて他の方はどこかで待機していただくという荒業ですが、若干不公平感があるため、しょっちゅう使うわけにはいきませんね。
まあともかく、今日は薬師塚へ行きますよ。
あの赤いお堂がある場所が薬師塚の後円部墳頂になります。
西光寺へお邪魔いたします。
本堂。
お、この扁額はカッコいいですね。
説明板があるので読んでみましょう。
では墳丘に登りますよ。
薬師堂の脇に覆屋があり、その中に刳抜式の舟形石棺があります。
今回はかみつけの里博物館がやっていないということで、いつも見学する八幡塚古墳の主体部の見学もできないのです。
あそこにも本物の石棺が置いてありますが、それを見れないということでこちらで留飲を下げてください。
でも、石棺マニアであればこちらの方が生々しくて喜んでくれるかもしれない。
前方部側はご覧の通り草茫々。
墳丘から八幡塚古墳を見ます。
ということで、今回のお客様には大変申し訳なかったのですが、以上が代替箇所である薬師塚古墳になります。
その薬師塚古墳の売りは墳丘ではなく、本物の舟形石棺ですね。
現状を見ると、八幡塚や井出二子山のように整備はされておらず、お寺の境内にひっそりと墳丘が残っているわけですが、説明板にもあった通り、往時は二重の周溝を備えた墳丘長105mの前方後円墳でした。
ただし、薬師塚はその築造途中に榛名山の噴火に見舞われてしまい、それにもめげず、何とか完成させたものの前2基より若干見劣りがする古墳になったようです。
例えば、墳丘に立て並べた埴輪は、八幡塚の復元で見られるようなビシーッと隙間なく並べられたものではなく、間隔を開けて立てられており、また葺石は下段には葺かれていませんでした。
下段の葺石を省略するのは後期古墳で見られる現象で、簡単に言うとコスト削減効果があります。
さらに、薬師塚には中島がないんですよね。
しかしそれでも完成までこぎつけたというのは、地元の人びとの噴火によって破壊された故郷に対する復興への強い思いを感じます。
さて、以上で本日の探訪箇所はすべてめぐりましたので新宿へ戻りましょう。
4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『山麓の開発王 井出二子山古墳の世界』 かみつけの里博物館/編 2009年