日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

中尾山古墳(文武天皇陵)|奈良県明日香村 ~文武天皇が葬られた最終進化系の未来派古墳~

2020-12-06 13:07:09 | 歴史探訪


中尾山古墳は、文武天皇の真陵であることが確定的な終末期の八角墳です。

発見容易
説明板あり
確実な八角墳

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


奈良県高市郡明日香村大字平田



現況


古墳

史跡指定


国指定史跡

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


7世紀末から8世紀初頭(説明板)

墳丘


形状:八角墳
墳丘長:墳丘の対辺間の長さ約19.4m、石敷の対辺間の長さ約29.4m(説明板<1974年の調査結果>)
 それぞれ19.5m、32.5m(2020年の調査結果)
墳高:約4m(説明板<1974年の調査結果>)、5m(2020年の調査結果)
段築:3段
葺石:あり
埴輪:なし

主体部


横口式石槨

出土遺物



周堀



 

3.探訪レポート                         


2020年9月4日(金)



この日の探訪箇所
【午前・大和古墳群】
星塚古墳および大和神社 → 馬口山古墳 → フサギ塚古墳 → 栗塚古墳 → マバカ古墳 → ノムギ古墳 → ヒエ塚古墳 → クラ塚古墳 → 波多子塚古墳 → 西山塚古墳 → 東殿塚古墳 → 西殿塚古墳 → 下池山古墳 → 中山大塚古墳
【午後・飛鳥】
岩屋山古墳 → 吉備姫王墓 → 梅山古墳(欽明陵) → 鬼の雪隠・鬼の俎板 → 小山田古墳 → 野口王墓(天武・持統陵) → 国営飛鳥歴史公園館 → 中尾山古墳(文武陵) → 高松塚壁画館 → 高松塚古墳 → 栗原塚穴古墳(文武陵) → 檜隈廃寺跡 → キトラ古墳壁画体験館 → キトラ古墳


 ⇒前回の記事はこちら

 公園館を出て中尾山古墳へ向かいます。

 公園の中の道は起伏に富んでいて、道に迷いそうになります。

 ツアーの際にはここを案内するわけですから、しっかり道を覚えておかなければ。

 案内図を見ながら、中尾山古墳の場所へ近づいてきました。

 前方に茶色い物体が見えます。



 あれだな。

 はい、こんにちは。



 墳丘は大きくえぐられており、ちょっと残念な佇まいです。
 


 説明板を読んでみましょう。



 墳丘の周りは一周できるようなので歩いてみます。



 あれは露出した石槨の一部かな?





 ちょっとここはヴィジュアル的に弱いなあ。

 ツアーの際に案内するときはどうしようかな・・・

 (つづく)

2020年10月25日(日) クラブツーリズムにて案内


 中尾山古墳に関しては、先月下見に来た時にヴィジュアル的に弱いことが分かったので、古墳の前で八角墳についての説明をチョッロっとして次に行くつもりです。

 中尾山古墳が近づいてきました。

 おや、発掘調査をしているようですよ。

 これはラッキー!



 作業をしている方の邪魔にならないように見学させていただきましょう。



 遺跡めぐりをしていて、偶然こういう光景に巡り合うことはそうあることではなく、ましてやこういうツアーの際に発掘作業の最中だったことは記憶にありません。

 多分ないです。

 墳丘の断面のようなものが見られ、版築によって突き固められているようにも見えますが、この古墳は表面を葺石で葺いていたため、古墳築造後に墳丘に堆積した土なのでしょうか。



 しかし、石が多量にありますが、この辺は位置的には墳丘の葺石ではなく、その裾部分なんですよね。



 説明板に書いてある二重の石敷でしょうか。



 いずれ調査結果が報告さるでしょう。

 作業をしている方の邪魔になると申し訳ないので、そろそろ立ち去りますかね。

 しかし、お客様も喜んでくださっているので結果オーライで良かったです。

 ※後日註:このとき参加してくださったお客様がこの後の違うツアーに来てくださった際に、私たちが見た調査の内容が新聞に載っていたと教えてくれました。そういう情報をいただけるととても嬉しいです。ありがとうございました。

2020年11月22日(日) クラブツーリズムにて案内


 高松塚古墳の次は中尾山古墳へ行きます。

 「前回来た時には発掘調査中だったんですよね」と話しながら歩いていると、前方から多くの大学生らしき若者がやってきて、ちょうど彼らと入れ違いで私たちが古墳の前に到着しました。

 おっと、今日もまだ掘っているところが見れますよ!

 先ほどすれ違った大学生に説明していたんでしょうかね。

 ああ、ちょうど墳丘にシートを被せているところです。



 でも、前回見られなかった墳丘外縁の石敷部分が露出していますよ。

 大きめの石で作った列が弧を描いているような部分が見られます。



 八角墳ですから、弧に見えてもエッヂでしょうか。



 こちらはあきらかにエッヂがあるので八角形の角の部分だと思います。



 石列は墳丘裾をめぐるようなラインだけでなく、墳丘へ向かって整列しているものも確認できます。





 遊歩道の下に石敷と石列が眠っていたんですね。



 ヤバい、案内人の私が夢中になって楽しんでいる・・・

 でも、お客様もそれぞれ熱心に観察して楽しんでいるようです。

 説明板に書いてある二重の石敷の外側は、こうみると微妙に中途半端な感じで終わっているように見えます。



 今回も「あーだこーだ」とお客様と一緒になって楽しみましたが、調査の結果は後日分かることでしょう。

 ※後日註:私たちが訪れた6日後の11月28日とその翌日、現地説明会が行われ、28日だけでも1300名の人びとが参加したそうです。

 

4.補足                             


 お客様から教えていただいた新聞記事の内容を元に概説します。

 現地の説明板に書かれている内容は1974年の発掘調査時に分かったことのようで、そのときに国内で初めて八角墳であったことが確定されました。

 墳丘本体は3段築成ですが、最上段の一部を除いて、大小の石で葺かれていたことが分かり、説明板ではその外側に二重の石敷があったと書いてありますが、それは三重であったことが分かり、それに伴い、全体の大きさは32.5mだったことが分かりました。

 石室(石槨)の側壁に使用した石は、100㎞離れた兵庫県高砂市で取れる「竜山石」で、表面は徹底的に磨かれ、赤色の顔料(水銀朱)が塗布され、調査時に照明を当てたら光輝いたそうです。

 驚くべきこととして、それほど大きな主体部や墳丘でないにもかかわらず、使用した石の総重量は約560トンに及ぶということです。

 こういった新たな考古学的な発見は非常に刺激的ですね。

 

5.参考資料                           


・現地説明板
・新聞報道(毎日、読売など)


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