2024年11月17日
東京には江戸城の遺構が、街中に幾つも残っています。
現在、江戸城の主郭になっていた場所は皇居になっており、天守台や櫓、城門などが現存や復元されています。
しかし、江戸城は全長15kmに及ぶ日本一の巨大城郭でしたので、現在も至る所にその名残を見ることができます。
今では世界の東京都となり高層ビルが立ち並び、さらなる大開発が進んでいますが、江戸の歴史を知ることで今の東京を違った視点で楽しむことができます。
定期的に江戸城の埋もれた遺構を巡っていきます。
まず向かったのは四ツ谷駅。
四ツ谷駅は中央線、総武線、南北線、丸の内線が交わる大変便利な駅。
新宿区と千代田区の境に位置しており、江戸城はこの四谷まで広がっていました。
改札を出ると鉄道や駅周辺の歴史について観覧板があります。
当然江戸城についての内容もあるので、一度ここで知識を深めてから楽しむのも良いかなと思います。
四ツ谷駅から麹町方面の出口を出ると江戸城の遺構を見ることができます。
駅の目の前に現れるのは四谷見附。
立派な石垣が現れます。
見附とは番兵が駐在している城門のこと。
江戸城三十六見附と呼ばれ、江戸城には幾つも堅牢な門が存在していました。
現在でも地名として残っているのは、この四谷見附と赤坂見附です。
それでは四谷見附はどのような役割があったのか。
四谷見附は甲州街道に繋がる門だった為、万が一の際に将軍が甲府に脱出する為の重要な門だったようです。
江戸時代の甲府は幕府管轄領だったので納得です。
四谷見附前の橋からの一枚。
四ツ谷駅のホームと中央線。
首都東京の心臓となる中央線の線路こそ、実は江戸城の貴重な遺構です。
中央線の線路は江戸城の外堀の底部に敷いたので、周りよりも低い位置を走っています。
サイドから見ると四谷見附付近が、今でも城郭の形状をしているのが分かります。
ある意味では、堀のスペースに駅と線路を敷いたことで、他の建築物が建つこともなく宅地造成されるのもなく、堀の形状を現在に残し続けています。
四谷見附から飯田橋方面に向かいますが、土塁の上は整備されていて、歩くことができます。
静かで都会にいることを忘れてしまいそうな素敵な道。
今まさに江戸城の遺構の上を歩いています。
土塁の上から下を覗くと、堀になっているのが分かりやすいです。
市ヶ谷駅付近に来ると水堀になります。
橋からの一枚。
右側には先ほどまで歩いていた、巨大で美しい土塁。
そして、水堀。
東京に来た時は川だと思っていましたが、これは立派な水堀です。
いよいよ目的地の飯田橋駅に到着です。
牛込橋を渡ると牛込見附跡の遺構を見ることができます。
土塁と巨大な石垣。
ここには櫓門があり、それを支える石垣の土台が両側に残っています。
江戸城の外豪の中でも、最も状態よく残っている遺構。
さすが江戸城!と言わんばかりの石垣。
直方体の石材を交差して積んでいくのが、算木積みですが、江戸城の算木積みは他の城では見ることのできない程、綺麗に加工された巨大な石材を使用しています。
隅部以外はある程度加工した石材を使用する、打込接で積まれた石垣。
江戸城は拡張工事も行いつつ強固な城にしたので、完成は三代将軍徳川家光の時。
徳川家康から始まった江戸城の工事はトータル35年程の工事だったので、場所によって石垣技術が異なります。
飯田橋駅の改札側。
こちらは隙間なく積み上げた綺麗な切込接。
一つ石材がポツンと置かれています。
何やら下には文字が刻まれています。
松平阿波守と書かれていて、初代徳島藩主の蜂須賀忠英を指しています。
1639年に蜂須賀氏が天下普請によってここを築城担当した確かな証拠。
当時のメッセージは数百年経過した今、貴重な資料として届けられました。
駅前の道を挟んで二つ土台の石垣が残っていますので、櫓門の想像がつきやすい。
飯田橋駅の2階のテラスからは、さらにハッキリとイメージをもたらしてくれます。
二つ並んだ櫓台の上に、道をまたいで櫓門が建っていました。
天下を納める幕府の城らしく、巨大な城門だったことは、容易く想像できます。
牛込見附は枡形になっていて、敵を迎え打つ防御機能も備わっていました。
飯田橋の総武線ホームから、先ほどの櫓台の足元が見えます。
都内に住んでいる方にすれば何気ない光景かもしれませんが、江戸城の伊吹は何気ない光景の中に感じることができます。
東京の魅力を違った角度から見ることで、今の東京は確実に江戸時代と繋がっていることを感じます。
次は赤坂見附に行きたいと思います。
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