城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

瑞鳳殿@宮城県

2024-02-17 13:00:00 | その他建築物
2024年2月17日

若林城に行った後、仙台駅近くの松音寺で若林城から移築された大手門を見て、瑞鳳殿に向かいました。

瑞鳳殿とは仙台藩祖の伊達政宗の霊屋。
また伊達家二代目伊達忠宗、三代目伊達綱宗の霊屋もあります。

自転車で周ったので疲れましたが、効率は圧倒的に良いですね。

瑞鳳殿は仙台城の本丸と向かい合うように経ヶ峯に位置します。

麓に自転車を停めて、小高い山を登っていきます。


この地は伊達家の墓所が置かれていたので、限られた人のみが入ることができた禁断の地だったようです。

この地は戦後に伊達家から仙台市に寄贈されました。



まずは二代藩主、伊達忠宗が瑞鳳殿と共に創建した瑞鳳寺が現れます。

城門のような立派な薬医門。
3間一戸の切妻造り、本瓦葺き。
先ほど見た移築された若林城の大手門と同じです。

そう考えると、松音寺に移築されたとされる若林城の城門というのは、信憑性が高いように思えます。



石畳の階段を登って瑞鳳殿に向かいます。
不整形な石板を綺麗に敷き詰められた見事な石工技術。



至る所にある石垣が気になってしまいます。
土砂崩落を防ぐ為に、石垣が積まれています。

この石垣一つ、仙台藩の貴重な遺構です。



受付でお金を支払い先に進むと、華麗な涅槃門(ねはんもん)が現れます。



涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地の状態を意味するようです。



素晴らしい彫刻と煌びやかな装飾。



涅槃門を下から覗くと、麒麟の彫刻が彫られています。

麒麟とは平和な場所にやってくると言われる伝説の生き物。



再建された拝殿。
この拝殿を抜けると本殿があります。



ついに本殿に到着です。
桃山文化の豪華絢爛な建築物。
瑞鳳殿は昭和6年に国宝に指定されたものの、仙台空襲によって全て焼失。

昭和54年に復元されました。



伊達家の竹に雀の家紋も金色に輝き、奥州の王と呼ばれた伊達政宗の霊屋らしい派手な造り。



空襲で本殿が焼失し、発掘調査が行われましたが、その際に伊達政宗の遺骨が出土。

伊達政宗の遺体は楕円形の木製座棺に納められ、石灰を詰めていたことで遺骨の保存状態は良好だったようです。





瑞鳳殿の上には龍瓦があがっています。
焼失する前も、8体の龍が据え付けられていました。



焼失しても青銅製の龍瓦はかろうじで4体は焼け残っていて、保管されてきました。



こちらは感仙殿、善応殿の門。
漆塗りの上品な光沢が目を惹きます。



二つ並んだ霊屋。
こちら二つも仙台空襲で焼失してしまいましたが、その後復元。



感仙殿は二代藩主、伊達忠宗の霊屋です。
伊達政宗の瑞鳳殿に比べると、華頭窓の上あたりがややシンプル。



善応殿は三代藩主、伊達綱宗の霊屋。

江戸時代は転封や改易、お家取り潰しなど様々な弊害がある中で、仙台藩は明治までこの仙台の地を守り続けました。

伊達家は仙台の心なのです。

これだけの歴史的建築物が戦争によって失ったことは残念ですが、復元して歴史を伝え続けているのは素晴らしいこと。

仙台城に行くならば、絶対にセットで周ってもらいたいスポットです。



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寺田屋旅館と伏見の街@京都府

2023-12-12 16:30:00 | その他建築物
2023年12月12日

伏見城跡→御香宮神社に行った後は、伏見桃山駅に向かいました。
しかし、寺田屋旅館が近いと知ったので、急遽向かうことに!

寺田屋旅館は幕末に二つの大きな出来事の舞台となります。

1862年。倒幕を進めようとする薩摩過激派志士と暴発を止めようとする薩摩藩士によって斬り合いが勃発。薩摩藩氏9名が命を落としました。
寺田屋事件や寺田屋騒動と呼ばれています。

もう一つは、1866年。
坂本龍馬が襲撃された事件です。

天皇を中心とした政治、徳川幕府を中心とした政治。
この二つの思想で日本が分裂し、幕末の動乱の時代に突入します。

特にこの京都は日本の中心だったので、事件が多く起きて治安も悪化していきました。



向かうまでの伏見の街が凄く素敵だった。
おそらく土地割は江戸時代の状態であると感じました。

道が直角に曲がったり、狭いところもあったりするので、当時を想像しながら歩くだけで既に楽しい。



街並みはまさに情緒溢れています。

建物が江戸時代もしくは江戸時代風に造られ、街の景観を大切にしているのが伝わります。



伏見は現在、京都市ですが昔から独自の文化や歴史を歩んできたそうです。



伏見の景観はノスタルジックで、どこを撮っても映えます。



さらに伏見は豊臣秀吉が大阪をつなぐ水運を整備したことで発展しました。

豊臣秀吉って本当に凄いと改めて感じます。
圧倒的財力もありましたが、秀吉が整備した城下町はどこも近代的で、多くの人で賑わっていたそうです。

商業が発展しやすい街づくりをしていたとも言えます。



今でも街中を綺麗な川が流れています。



山、川、街並み、商店街。
既に伏見の街が好きになり、ここに住んでみたいと本気で思いました。

それくらい美しい街です。



龍馬通り商店街。
駅前のアーケードから一本入った通り。

このノスタルジックな感じも心に沁みます。

新しそうなお洒落なお店も、外観の雰囲気は統一されています。




御香宮神社からゆっくり歩いて15分ほどで、寺田屋旅館に到着です。



これまた素晴らしい外観。
歴史ある寺田屋旅館は幕末の戊辰戦争の前哨戦、鳥羽・伏見の戦いにて焼失。

その後再建されて今に至ります。





旅館の横には坂本龍馬の銅像や記念碑が据えられています。



当時はこちらの敷地が旅館があった場所のようです。



坂本龍馬の襲撃は、幕府の役人が1866年1月26日の午前3時頃に決行。

坂本龍馬はピストルで応戦しながら裏手から脱出したとされています。



寺田屋旅館には10:00〜15時40分受付まで、400円で入ることができます。

中には坂本龍馬と新撰組局長、近藤勇が飾られグッズなども売っています。



当時の資料などが各部屋に貼られ、伏見の歴史を今に伝えています。

当時、坂本龍馬を支援していた寺田屋の女将・お登勢の資料なども多くあります。























まさに幕末にタイムスリップ。
最高の雰囲気を味わうことができます。

坂本龍馬は現在の高知県、土佐藩の下級武士の末っ子。

倒幕を掲げながら最大の敵同士だった、薩摩藩と長州藩を薩長同盟に繋げた立役者です。

ちなみに、新撰組は会津藩管轄の幕府側。京都の治安維持のために結成された浪士組です。

幕末の歴史の舞台の中心は京都です。
いかに天皇を取り入れるかがポイントだったので、攘夷派と江戸幕府による高度な戦略が繰り広げられました。

その歴史の一部を味わうことのできる伏見の街でした。

さらに、衝撃なのがこの寺田屋旅館、今でも宿泊できるのです。

しかも一泊6500円!

個人的にすごく興味があります。

その他、伏見だけで多くの歴史の足跡があります。しかし、半日で周り切るのはやはり難しいですね。

それだけ魅力が多いエリア。
また時間を作って訪れたいと思います。




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