つぶやき城ー。のブログ

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

青葉神社@宮城県

2024-08-12 10:00:00 | 神社
2024年8月12日

宮城の伊達家ゆかりの地を巡る旅、再び。

関ヶ原の合戦後から幕末まで仙台を納めた伊達家。
その長さ故、ゆかりの地が多く存在します。

今回は御朱印を集める目的もあり、最初は青葉神社にやってきました。

最寄りは北仙台駅。
仙台城や仙台市内からも、やや離れています。



青葉神社は仙台藩祖、伊達政宗を祀る為に創建された神社な為、歴史も販売されている御守り、のぼりの旗まで、全てが伊達政宗オンリーの神社です。

当然、御祭神は伊達政宗。



お盆だからか人もいなく、静寂な境内に蝉の鳴き声が、どこかお盆らしくもあり懐かしくもなります。



手水舎には伊達家の家紋、三引両紋。
伊達家には幾つも家紋があります。

有名なのは竹に雀紋ですが、伊達家が古くから使っている家紋は、この三引両紋です。



龍と伊達政宗の像がお出迎えしてくれます。
伊達政宗は生前から龍を含んだ印などを用いていました。

諸説ありますが、政宗と龍には深い関わりがあります。



青葉神社は1874年に創建。
しかし、1876年に焼失。

1927年に現在の建築物が完成したそうです。



拝殿。
国指定の登録有形文化財です。



こちらは手水舎の隣にある、旧愛姫社鞘堂。
伊達政宗の正室、愛姫はこちらに祀られていたが、現在は本殿で政宗公と一緒になっているそうです。



小さな建築物ながら、細かな箇所まで神社建築物らしさが光る造り。

こちらも登録有形文化財。

今日はお盆だからか、誰もいなく拝殿も閉鎖されていました。

目的の御朱印をもらうことができず(T . T)

ちなみに、伊達政宗が亡くなった5月に毎年開催される仙台青葉まつりでは、青葉神社の神輿が登場。

その他、甲冑の武者行列や豪華絢爛な山鉾、伊達家の家紋にもなっている雀踊りなどで盛り上がる青葉まつりの方が、個人的には仙台七夕祭りより魅力的。

仙台市がお祭り一色の二日間になります。

是非、伊達政宗マニアなら行ってみて欲しい神社です。

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安居神社@大阪府

2023-12-11 18:00:00 | 神社
2023年12月11日

堺で打ち合わせの後、茶臼山に行き最後は安居神社に向かいました。

大阪冬の陣、夏の陣で激戦地となった大阪の天王寺。

至る所に戦いの爪痕が残っています。

冬の陣で徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田幸村が陣を置いた茶臼山→真田幸村縁の安居神社。
これはセットで周るのがマストです。

この天王寺一帯が大坂冬の陣と夏の陣において、大激戦の地だったことは前回書きました。

豊臣が滅亡することになった大坂夏の陣。
そして戦国時代最後の戦。

徳川家康率いる東軍と豊臣秀頼率いる西軍。

人数には諸説ありますが、西軍は圧倒的に兵力で劣っていました。

また、豊臣秀吉が造った難攻不落の大阪城は、冬の陣後に徳川家康によって堀を埋められたことで、防御機能を完全に失っていました。

その中で大活躍をしたのが、冬の陣同様で真田幸村です。

真田幸村は大坂夏の陣で討死しましたが、その最後の地となったのが安居神社とされています。


安居神社は茶臼山の目と鼻の先にあります。
ビルの隙間のような細い路地を抜けると境内に繋がります。

到着が16時40分頃と遅くなりました。
17時までだったのでギリギリでした。



境内には真田幸村の像があります。
まるで時が止まったかのような静けさ。

戦い続けた真田幸村は松の木の下で疲れ切って座っていたそうです。

そして最後を迎えました。



1615年に勃発した大坂夏の陣で、圧倒的不利な西軍の真田幸村は、総大将徳川家康の首のみを狙います。

冬の陣は出城の真田丸で、夏の陣は茶臼山で真田幸村が戦いの最前線に陣を敷いて徳川家康を迎え撃ちました。

三度も徳川本陣を攻撃し、徳川家康は一時退き自刃を決意したと言われています。

しかし、戦というのは勝敗の流れというのがあるもの。

勝利したのは東軍で、その後世界でも珍しい200年以上もの間、戦のない平和な時代が日本に訪れます。



平和で多くの人が行き交う天王寺。

400年以上も前に激戦だったこの地に立ち、昔の情景を想像すると、タイムスリップをしたかのような感覚になります。

真田家の家紋、六連銭。

六文銭は「三途の川の渡し賃」であることから、いついかなるときにおいても死をいとわない不惜身命の決意で望んでいることを示していたともいわれています。

まさに家紋に恥じない戦いをした真田幸村。
そんな知力に優れ、武力に優れ、義理に堅い武将は長い時を経た現代でも我々を魅了し続けている。



安居神社は創建時は不明のようですが、942年には既にあったとされる由緒ある神社です。

世界大戦時の大阪大空襲で全焼するも、戦後に復興。



あと一歩まで徳川家康を追い詰めた戦国最後の名将は、後に日本一の兵(ヒノモトイチノ ツワモノ)と称されます。

真田家は長野県上田の家系。
しかし、この大阪の地で六連銭の家紋や真田という名をよく目にします。

豊臣のために最後まで戦った真田幸村は、それだけ大阪の人々にとってインパクトある存在であると言えます。

先日放送されたNHK歴史探偵の、VR大坂の陣の回は凄くリアルで面白かった。

大河ドラマどうする家康ではまさに終盤の大坂の陣の回となった。

そんなタイミングで来ることができたのは、何かの縁かもと勝手に思ってしまうのです。



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三光神社・心眼寺

2023-03-25 17:00:00 | 神社
2023年3月25日

大阪にて真田幸村に縁がある神社の一つに三光神社がある。
場所は大阪市の天王寺区。玉造駅から300mほど。

三光神社一帯には、大坂冬の陣で真田幸村が構えた出城「真田丸」があったとされる。

まさに冬の陣での目玉となる激戦地なエリア。 


神社の隣には公園があり、子どもたちが無邪気に遊んでいます。

昔はここが激戦地だったんだなと想いながら眺めている中に、平和な姿がリンクしてきて、すごくエモーショナルになりました。


神社には真田六文銭の、のぼりが勇ましく立ち並びます。


真田幸村の銅像もあります。

この三光神社には真田の抜穴跡が存在しています。
大坂冬の陣の際に、真田幸村は至る所に抜け穴を作ったとされています。

真田幸村は個人的に大好きな武将。

大坂夏の陣で討ち取られますが、徳川本陣を攻めて最後まで追い詰めた、勇猛な武将。

冬の陣でも大活躍。
大阪城の弱点でもある大阪城南側のこの地に真田丸を築いて徳川軍を迎え撃つ。

結局、徳川軍は真田丸を攻略できず冬の陣は豊臣側と和睦して終わる。

しかし、その和睦内容の中には真田丸の取り壊しと大阪城の外堀を埋めるという内容があり、大阪城は防御機能を失ってしまいます。

そんな大坂冬の陣の時に造られたという抜け穴。
中には入れませんが、形はそのままですね。

歩いて3分ほどのところに真田丸跡があります。
今は学校になっています。

昔は戦いの砦だった場所は、今では教育の砦となっていました。

その出城跡の前に心眼寺があります。

そこには真田幸村を祀ったお墓があります。




真田六文銭と石碑があり、石碑の下にはお花などが備えられています。

今でも人々の心の中で生き続けているんですね。

真田家の話や、なぜ個人的に真田幸村が好きなのかは、今後少しずつ書いていきたいと思います。



日光東照宮@栃木県

2022-07-24 12:00:00 | 神社
2022年7月24日

日光といえばやはり日光東照宮。
天下を納めた徳川家康を祀った神社で、二代将軍秀忠が建てた建築物。

境内には国宝8棟、重要文化財94棟の建築物が並びます。

まさに国宝の玉手箱。
1999年に世界遺産に登録。


日光東照宮に向かう山道には、各地の大名が競って奉納した灯籠が立ち並びます。

その中で陽明門の下にある灯籠は、伊達政宗が奉納したもの。

今は見た目が他の灯籠と同化していますが、この灯籠はポルトガル製の鉄で造った「南蛮鉄灯籠」です。

昔はピカピカだったらしい。他の灯籠が石や鋳鉄で造られているので、さぞ目立ったことでしょう。

実に伊達政宗らしい振る舞いのように思えます。



よく見ると伊達政宗の兜に光る、三日月が彫られています。

階段を登ると陽明門です!





これぞ日光東照宮。
エグいくらいの裳階(もこし)。※角の段々
そして見事な彫刻。金ピカで豪華絢爛。



本殿も素晴らしい。


中も豪華な作りになっていて、まさに極楽浄土をイメージしたかのような異空間です。

徳川埋蔵金とか噂は色々とありますが、まさにこの建物そのものが、徳川家が残した遺産です。



ちなみに徳川家康のお墓は本殿の裏にあります。
日光東照宮はパワースポットと言われていますが、特にここは強烈なパワーが出ているらしい。

ここには何故か鶴と亀の銅像が置かれています。


そして都市伝説では徳川埋蔵金はここの下にあると言われてます。

徳川家が建てた主要な建物を結ぶと六芒星になるらしい。


この中心に日光東照宮があるみたいです。


皆が知っている歌、かごめかごめは実は埋蔵金のありかを示す歌との噂も。

かごめ=籠目=六芒星


鶴と亀。


詳しくはネットで調べると出てきます。

真実かは当然だが分かりませんが、非常に興味深いですね。