2023年4月26日
ロケーションバッチリです。
なんと!
途中、軍艦島の隣にある高島に上陸。
この時代から、ちゃんと測量も行なっていたんですね。
そして、再びクルーズ船に乗ると軍艦島が見えてきました。
左側の山の麓にある建物が有名な30号棟。
元々はひょっこりと飛び出した丘のみが島だったらしいです。
高台にある大きな建物は三菱のお偉いさんが住んでいたようです。
大量の窓の跡があるのが、当時の小学校と中学校です。
この絶壁も見事なもの。
島の裏側。この角度から見たロケーションが軍艦島と呼ばれる所以のスポット。
分かりづらいですが、ど真ん中の山の上に見える小さな建築物が神社です。
長崎県にある軍艦島。
正式な名称は端島(はしま)です。
日本近代化の遺構として世界文化遺産に登録された人工の島です。
長崎駅近くの港からクルーズ船が出ていて、約40分ほどで軍艦島に到着します。
本日は風が強かったため、クルーズ船が軒並み運休。
しかし、一つの会社のみ運行していたので、飛び込みで乗船しました。
軍艦島は長崎港から18km沖合に位置する人工の島。
1890年から炭鉱の採掘の為に、三菱が作った島で地下1000mまで掘り進められていた。
1916年には日本初となる鉄筋コンクリートの高層アパートが造られました。
最盛期には5000人も住んでいて、東京の9倍の人口密度を誇り世界一だったそう。
1974年の閉山まで、日本の産業を支えた象徴的な島です。
長崎港は栄えています。
そこから出発です。
ロケーションバッチリです。
波が規定内であれば上陸可能らしいのですが、こればかりは天に祈るしかありません。
風が強いので半分上陸は諦めモード。
なんと!
たまたま整備中のイージス艦2隻と遭遇!
これだけでも十分価値あるツアーになりました。
途中、軍艦島の隣にある高島に上陸。
ここで軍艦島の資料館を観覧できます。
昔の道具も展示されているのですが、現代と変わらず驚きました。キリなんか今と何も変わりません。
この時代から、ちゃんと測量も行なっていたんですね。
そして、再びクルーズ船に乗ると軍艦島が見えてきました。
快晴の先に見える姿は確かに軍艦に見えます。
近づくにつれて胸の高鳴りがハッキリと自分でも分かりました。
これが胸の鼓動。
残念ながらこの日は波が高いため上陸はできず。
しかし、軍艦島をクルーズ船で一周してもらうことに。
左側の山の麓にある建物が有名な30号棟。
元々はひょっこりと飛び出した丘のみが島だったらしいです。
そこから人工的に拡張してこのサイズの島になったようです。
高台にある大きな建物は三菱のお偉いさんが住んでいたようです。
大量の窓の跡があるのが、当時の小学校と中学校です。
昭和8年にこの規模の学校はすごすぎる。
先進的すぎます。
その隣には高層の病院まで建てられています。
昭和初期に鉄筋コンクリートでこの規模の高層建築物が建ち並ぶ圧巻な姿を見て、感動しかありません。
この絶壁も見事なもの。
波が高い場所なので、この巨大な壁になったんですね。
島の裏側。この角度から見たロケーションが軍艦島と呼ばれる所以のスポット。
当時、暇にはパチンコやプール、映画館など娯楽施設も充実。
テレビも10%ほどしか家庭に無かった時代に、ほぼ全ての家庭にあったらしいので驚きです。
本当に先進的な島だったことが伺えます。
分かりづらいですが、ど真ん中の山の上に見える小さな建築物が神社です。
お祭りも行われていて、当時の島民の心の拠り所だったに違いありません。
1974年から人は住んでいませんが、今でもこの島を守り続けているその佇まいに、すごくエモーショナルになってしまいます。
再び30号棟。
ちなみに、この30号棟が一番古い建物で1916年に造られました。
大正4年に7階建てのこんな立派な建築物を造っていたのに驚かされます。
これが日本最古の鉄筋コンクリートアパート。
今でボロボロの廃墟ですが、100年以上経過しているのに、この原形を留めていること自体、凄いことなのです。
現代の建築物も100年を想定して造られていますが、大正時代の建物が何の手入れもされず潮風に当たりながらまだ残っているのです。
日本の技術って凄いと思い知らされます。
壁が剥がれて鉄筋が剥き出しになっているのですが、現代と何も変わらない構造。
我々が生活しているあらゆる建物の礎。
それがこの小さな島から始まったというのは感慨深いものがあります。
軍艦島の建物は日々劣化して建物が崩れてきています。
もし自分が次に行くときはもう姿が変わっている可能性もあります。
今ある景色は今しか見れないもの。
そう考えると今日という日が如何に貴重で大切な日だったかを思い知らされます。
今日という日は今日しか味わえない。
軍艦島を見て、すごく大切なことを思い知らされました。