今だから話をしよう。終戦間近、私は一度は死を覚悟した予科練の生き残り。予科練は飛行予科練習生の略称で昭和5年から制度が出来、小学校高等科卒業から採用。予科練の2学年で気力・体力・学力をつくる教育に徹し、教程を終了すると飛行練習生。いよいよ飛行機に乗って練習が始る。予科練は5時前後の起床に始まり、毎日激しい訓練が続く。太平洋戦争中、戦場で活躍した予科練出身の飛行士の多くは昭和17年までに入隊した人たちで、その戦没率は70-80%。本当に恐ろしい死亡率だ。しかし、これもお国の為多くの若者達は国の為家族の為に戦った。しかし私は終戦と同時に特攻機に乗らずに生き残り、たしか俳優の鶴田浩二も特攻隊の生き残りだったと思う。私は、生き残った日本人として、もう惜しくは無い、死ぬ気になって社会の為に生きようと決心し、生きて来た。そして今の現在の自分がいる。
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