今日は、相変わらず多い校内暴力。しかしこの校内暴力が大問題で、必ず加害者と被害者がいると云う事は、暴力を受けているいじめられている子はいると云う事だ。それによって不登校になる子が多くなるのは当たり前だ。私は空手をボランティアで始めたのは34年前。きっかけはその当時、シンナーをやっている子が多くて、これを何とかしなくてはならないと近所の子供達を集め、自分の道場とか集会場などで空手の指導。それから公共の子供文化センター4か所で同じく空手の指導。
生徒数は200名以上になり、やってる内に空手道拳心会の森先生と知り合い、それから拳心会の西谷師範を紹介され、門下として空手の指導に当たる。とにかく西谷師範の指導は厳しい。今の道場生ではおそらくついてはいけないと思う。しかしその厳しい指導によって、多くの空手の大会では優勝した選手は沢山いる。西谷師範は稽古は厳しいが、終わればすごく優しい師範。
特に子供が大好きで師範の人間性に多くの団体が拳心会に加盟。それに師範自身がいくつかの有名な大学で空手を指導した関係でますます拳心会は大きくなり現在に至る。私は別に子供の問題で社会活動を開始。空手道を通して子供達を鍛え、間違っても悪い道に入らないように指導。とにかく私は子供が好きな事が一番。それから私を頼って多くの青年達も集まり組織をつくり子供のいじめ問題に突入する。長い事この活動をやっていると、やはり人を助ける為には色々な力をもっていないと絶対に助ける事が出来ない事もある。決して簡単な事ではない。
場合によっては命に係わる時もある。今子供の問題で数多くの団体があるが、力を持って子供達を守るのは、そんなにいないと思う。しかし問題を解決する一番の近道は、力で子供を守ってやる事が助けを求めている子供にとっては一番の救いになる。今いじめられている子供達は、相談する行き場がなく、まだまだ泣いてる子が沢山いる事を忘れてもらいたくない。だからと云って私だけの団体が出来る事ではなく、大勢の団体がお互いに協力しながら、子供達を守って行くのが、一番必要ではないかと思っている。以前は北海道や九州を除いて全国を回って来たが今は川崎を中心に活動をしている。今私の活動している川崎ブロックは私の活動に協力をしてくれる現役教師や元教師の情報網を持っているので学校内で起きた事件は直ぐに入って来る。
それに各区には我々の仲間がいるので、学校内で起きた事件は素早く私の耳に入り、直ぐに教育委員会に連絡。それから行動開始。今回そういう訳で多摩区の南菅中学校でおきた篠原真矢君の自殺には十分な情報が入っていたので、翌日学校の教頭に会いいじめの原因の究明に走る。今回の真矢の死は友人を助けようとしたが学校の教師達のいじめに対する認識不足の為、真矢君は孤立しついには自殺をしてしまった。詳しい話は後日また書きますが、とにかく友達を多く持っていて、そして評判も良く、この家族も皆しっかりしている。理想的な家族構成だ。
それに優しい両親。この家族を地獄に落とした学校を憎む。私はこれからも真矢君の死を無駄にしたくない。これからもますますいじめ防止活動をガンガンやりたいと思っています。ここで再度皆さんにもう一度、篠原真矢君のいじめの問題に死をかけて訴えた事に対し、学校も一緒に考えていこうではないか。
いじめ 教訓生かせず
川崎 中3自殺の学校、以前にも問題
川崎市多摩区の市立中学校三年の男子生徒=当時(14)=が自宅で七日、友人をいじめから救えなかったと悔やむ遺書を残して自殺した事件で、生徒が通っていた中学校では数年前にもいじめが問題化していたことが二十一日、分かった。学校や市教育委員会が「いじめ撲滅」を掲げて再発防止に取り組んできた現場で、なぜ教訓が生かされないのか。(川崎支局・北条香子)
複数の関係者によると2004年に、当時一年の男子生徒が、同級生たちに眼鏡を隠されたり、下着を切り刻まれるなど悪質ないじめを受け、二年生に進級した05年に不登校になった。三年生の06年秋、学校に戻ったが、卒業式には出席できなかったという。
市教委と学校は同年秋、校内に「いじめ撲滅対策委員会」を設置「教職員のいじめに対する認識が薄い」と判断し、どうしたらいじめの兆候に気づき、芽を摘むことができるかを議論。定期的に教員が生徒と二者面談することを決めた。
市教委や学校側は、教師が生徒の悩みを聞き出す体制をつくってきたという自負さえあったという。
いじめ、遺書で名指しの4人が認める 川崎の中3自殺2010年6月24日
川崎市の市立中学校3年の男子生徒(14)が「友達へのいじめを止められなかった」という趣旨の遺書を残して自殺した問題で、遺書に実名が書かれていた同じ学校の4人の生徒が学校側の調査に対し、自殺した生徒やその友人に言葉や暴力によるいじめを続けていたことを認めていたことがわかった。
同校の校長は、自殺した生徒は、昨年から仲の良い別の生徒がいじめられており、それをかばったことで、自分にも矛先が向けられるようになった、と説明している。
男子生徒は今月7日、自宅のトイレで倒れているのが見つかった。硫化水素を発生させ、自殺したとみられている。トイレには遺書が残されており「俺(おれ)は友人(実名)を護(まも)れなかった。友人をいじめた4人(実名)を許すつもりはない」「俺自身と友人をいじめたやつが悪い」などと書かれていた。)
市教委や学校側は、教師が生徒の悩みを聞き出す体制をつくってきたという自負さえあったという。
皆さんこんにちは。私は、川崎市に住む「篠原」と申します。
昨年6月、中学3年生になる息子の「真矢」が、自宅で硫化水素ガスを発生させて亡くなりました。真矢の死から約1年半。もう二度と真矢には会えないという現実を突きつけられ、今は、亡くなった直後よりも辛い日々をすごしています。
◇◆◇将来の夢は警察官◇◆◇
真矢は、シャイで不器用な子でしたが、芯のしっかりした、正義感の強い男の子でした。遺書にも書いていましたが「困っている人を助け、人の役に立ち優しくしたい」という目標を持っていた子で、亡くなる直前は、将来警察官になりたいと、母親に話していたそうです。
未来に、そんな希望を膨らませていた真矢が、なぜ自らの命を絶たなければならなかったのか――?
真矢が死を決意するまでの心の葛藤と、心理状態を克明に分析し、真相を解明してくださったのは、真矢の死後、川崎市の教育委員会から派遣された2名の先生方でした。今でも、毎月7日の月命日には、おふたり揃(そろ)って我が家に足を運んで、私たちと一緒に真矢を語ってくださいます。本当にありがたいことです。
今日は、そのおふたりが心血を注いで解明してくださった事実に基づいて、この1年半を振り返り、お話したいと思います。お手元の資料をご覧いただきながら、お話をお聞きくだされば幸いです。
◇◆◇友人を守ろうとして「いじめ」の対象に◇◆◇
生徒たちの証言によると、真矢へのいじめが始まったのは、2年生の秋頃だと思われます。発端は、小学校時代から仲の良かった友達(仮にF君とさせていただきます)が、加害生徒4人から心無い言葉の暴力によるいじめを、度々受けていたことから始まります。それを見過ごすことが出来なかった真矢が、いじめを止めさせようとして、加害生徒に接近したところ、今度は、自らが標的とされてしまいました。
加害生徒4人は、真矢に対して叩く、蹴る、名前を呼び振り向きざまにビンタする、4人で羽がい絞めにしてズボンや下着を下ろすなど、思春期の男の子に対して屈辱的ともいえるいじめを繰り返してきました。
3年生に進級することで、4人の加害生徒たちは、それぞれ別々のクラスになり、真矢に対するいじめはほとんど無くなりました。しかし依然としてF君や、他の生徒に対するいじめは、行われていたようです。その光景を見かねた真矢は、5月のある日、4人の加害生徒のうち1人の教科書を、カッターナイフでズタズタに切り裂いてしまうという、報復攻撃に出ました。
真矢がやってしまったことは、その後すぐに分かったのですが、当時の担任教師からは、「真矢君が友達の教科書をはさみで切ってしまいました。原因は分かりませんが、積もるものがあったようです。教科書は弁償してください。」と電話連絡が入っただけでした。真矢の死後、警察が介入してこの事件を調べたところ、教科書は、はさみではなくカッターを使って、特に相手の名前のところを中心にズタズタに切り裂かれており、使い物にならないほどの被害だったそうです。相手に対し、想像を絶するほどの憎しみを抱えていたのだろうと、警察から聞きました。
しかし私たちは、その教科書を、いまだに見せてもらっていません。せめてあのとき、ズタズタになった教科書を私たちが見ていれば、対処の仕方も変わったのだろうと思うと、悔やんでも悔やみきれません。
真矢からは、日ごろから相手のことが嫌いだと聞いていたので、「憎いのは分かるが、やり方が間違っている。そんなに憎い相手なら、正々堂々と目の前で訴えればいい。」と諭(さと)したのですが、真矢からは、私たち両親は何も分かっていない「偽善者」だと言い放たれました。
調査報告書では、誰にやられたか分からない恐怖というものを、相手に植え付けたかったのではないかと分析していました。だからこそ、たとえ卑怯だと言われても名乗り出るわけには、いかなかったのだと。親として、真矢の本心を汲み取ってやることもできず、この事件を機に、私たちは真矢の信頼を完全に失ってしまったのだと思います。
◇◆◇お粗末な学校側の対応◇◆◇
誰にも伝わらない想いを抱えた、真矢の苦悩はいかばかりだったか。大きな絶望と孤独を感じたことでしょう。そして修学旅行から帰宅した翌日の6月7日、真矢は事前に準備した薬品を自らの手で混ぜ、硫化水素ガスを発生させて死んでいきました。「たとえ死人となっても、彼ら4人は絶対に許さない!」と遺書を残して――。
事件後間もなく、学校側は市教委の2人の先生をはじめとする、全10名程度で構成された調査委員会を立ち上げました。また同時に私たちも、支援してくださる方々と一緒に、何があったのかを知りたくて、いくどとなく学校と対話する機会を持つことにしました。しかし、そこで目にした学校の対応は、実にお粗末なものでした。
「悪いことをしたとしても、その子たちにも人権があるので、他の生徒たちの目の前では叱れない」
「調査委員会の結果報告が出るまでは、何があったか具体的には話せない」
「被害にあっている生徒と、加害生徒たちを、今さら引き離すことは無理」
…と、到底、死者が出たとは思えない、他人事のような対応に、愕然(がくぜん)としたものでした。そんな教師たちとの不毛なやり取りが1ヶ月ほど続き、絶望の末、私たちはついに学校との対話を打ち切りました。
しかし、このまま引き下がれない私たちは、調査委員会への遺族の参加・同席を強く求めました。もちろんこれは却下(きゃっか)されたのですが、その交換条件として、週に一度、調査委員会の進捗(しんちょく)状況を聞かせてもらうよう、学校長に詰め寄り、その場でこれを約束させました。そして、この報告のため、毎週我が家を訪れてくださったのが、先にご紹介した教育委員会の2人の先生だったのです。
◇◆◇根気強い聞き取りでわかって来たこと◇◆◇
このおふたりは、昼夜を問わず、寝る間も惜しんで、真矢の友達だった生徒たちへ、根気強く聞き取りを行ってくださいました。当初、極度の大人不信になっていた彼らも、おふたりの情熱に心を開いて、ポツリポツリと真実を話し始めたそうです。
真矢はどんな人格の子だったのか?何を目指していたのか?加害生徒たちの言動は?そして具体的に誰がどんな被害を受けていたのかなど…。
また、真矢が書き残した詩やメモの数々。好きだった歌や物語。自殺直前の言動などから、真矢の心の揺れを丁寧に解明していただきました。そこには、親である私たちでさえ知らない、我が子の強い正義感、崇高(すうこう)な理想、そして優しさがありました。
多くの生徒たちから、話を聞いてくれたのは、この教育委員会のおふたりだけではありません。事件当初から関わっていただいた、少年課の刑事さんも、私たちの思いを汲み、真実を追究してくださいました。事件後、書類送検された「パンツおろし事件」では、いつ、どの教室で、誰が、どうやって真矢に手を下したか。また誰が目撃し、どの教師が注意をしたのかまで、全ての情報収集に当たってくれました。
そのおかげで、これを事件として立件することができ、加害生徒4人に対して、結果的には半年間の保護観察処分という裁定がくだりました。これとて、私たちから事件にして欲しいと頼んだわけではなく、警察の方から「被害届を出して家裁に送り、彼らに反省する機会を与えましょう!」と、アドバイスをされたからです。
3月初旬、加害生徒たちの保護観察処分が新聞報道された時に「お父さん、良かったね…」と、電話の向こうで男泣きをしてくれたのは、この事件の担当刑事さんでした。
◇◆◇毎月訪れるクラスメイトたち◇◆◇
私たちは、真矢という大切な宝物を失いはしましたが、その真矢が、作り、育んでくれた様々な方々の「ご縁」というものに、ずっと支えられて、今日まで生きてくることが出来ました。今も、真矢が守りたかったF君のご両親とは、家族ぐるみでお付き合いさせていただいていますし、小学校時代から、ずっと真矢を応援してくださった少年野球の関係者、また部活の仲間やそのご両親からも、いつも温かい言葉をいただいています。
そして何より、毎月7日の月命日には、真矢とともに学んだ仲間たちが、部屋に入りきらないほどの人数で我が家に押しかけてきます。何をするわけでもないのですが、朝早くから、夜遅くまで、みんなで他愛のない話をし、真矢と同じ空間で同じ時間を、ゆったりと過ごしてくれています。
今では笑顔の絶えない子どもたちですが、当時はいつも厳しい表情でした。でも真実を明らかにするために、警察や調査委員会に何度も足を運び、一所懸命話をしてくれました。本当に有り難かったです。そんな彼らも、高校に進学したときには、それぞれの学校の制服を着て我が家を訪れ、嬉しそうに私たちに披露(ひろう)してくれました。
こうして毎月会える彼らの成長ぶりが、私たちにとっては何よりのプレゼントであり、そして真矢にとっても、何よりの供養となっているはずです。
◇◆◇子どもの〈死〉について真実を知らされない苦しみ◇◆◇
息子を亡くした私たちが、こうして心穏やかに日々を過ごすことができるのも、真矢の想いを含め、事件の全容を明らかにしてくださった教育委員会のおふたり、少年課の刑事さん、支えてくださった仲間、そして子どもたちの笑顔のおかげです。
私たち遺族は、けっして無謀な要求をしているわけでは、ありません。愛する我が子が何を憂(うれ)い、なぜ死なねばならなかったのか?ただ事実を明らかにしたいだけなのです。
事件が起こると、自らの保身のため、関係者は口を塞(ふさ)ぎ、事実を隠そうとします。ある日突然、我が子に死なれているのに、その真相さえ知らされない。その痛みや苦しみが、なぜ理解できないのでしょうか?どう説明すればわかってもらえるのでしょうか?
我が子の死を、誰かの責任とし、誰かを吊(つ)るし上げるために、真相究明をしたいと言っているのではありません。我が子に死なれた責任の重さというのは、遺族となった両親が、誰より重く受け止めています。しかし、命を救えなかったという点では、遺族を含め、教師、クラスメイトなど、関わった全ての人たちに、大なり小なり、それぞれ責任があると、私は思っています。
全ての人たちが、各々の立場で責任を受け止め、自分たちに何が出来て、どう行動すべきだったのかを真剣に考え、そして反省し、その上で次の命を守り、育むため、行動を起こさなければなりません。
また、加害生徒に対しても、自分たちがやってしまったことの愚かさに気づかせ、事件と向き合わせた上で、徹底的に考えさせること。そして、心からの反省を促し、被害に遭った人たちへ謝罪させてあげること――。彼らには「罰」を与えるのではなく、愛をもって「反省する機会」を与えてあげなくてはなりません。本気で彼らを救ってあげるには、大人も真正面から、本気で彼らと向き合うことが大切であり、それこそが大人としての務めではないでしょうか。
◇◆◇残された者の責務、託されたバトン◇◆◇
亡くなった子が何を思い、何に絶望し、そして何をどう変えたかったのかは、強い信念と志(こころざし)さえあれば、必ず明らかにすることができます。そして、それを解明するのは、間違いなく、残された者の責務です。
私たちは、こうして皆さんに明らかにして頂けたのですから、他のご遺族に対しても、出来ない理由は絶対に無いと信じています。責任をとりたくないというだけで逃げるのは、遺族や、亡くなった子に対する侮辱行為です。
お願いです――。遺族となってしまった者たちに、我が子を失った悲しみ以上の辛さを、どうか背負わせないでください。この世に絶望し、亡くなっていった子どもたちに報いるためには、その子らが、もう一度生まれてみたいと思えるような世界を、残された者たちが作っていくしかないのです。
自分たちに何が出来るのか……まだ何も見えてはおりませんが、遺族としての経験と想いを語りついでいくことが、真矢から託された使命だと考えます。
将来、別の世界で真矢と会えたときに、もう一度笑って話せる日がくることを楽しみにして、真矢から託されたバトンを、私たちも、次の世代に託していきたいと思います。
なお、今日のお話の参考資料として、お手元には「事件経過」、現場に残されていた「遺書」、そして、机の引き出しの奥に隠してあった多くの友人にあてた「遺言」を付けさせていただきました。ぜひ目を通してくださればと思います。
最後になりますが、本日は私のつたない発言に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。ご清聴に感謝申し上げ、私の話を終わらせて頂きます。
〔遺書〕
お父さん、お母さん、お兄さん、婆さん、先立つことをどうかお許しください。
俺は「困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。
でも、現実は人に迷惑ばかりかけて、Fのことも護れなかった…
それに俺には思い出が多すぎました。
こんな俺が、人並みに生きて、友達を作って、人生を過ごしていく…そんな事があっていいはずないんです。
俺がいて不幸になる人は大勢いる。それと同時に俺が死んで喜ぶ人も大勢いるはずです。
でも俺は F をいじめた、 B、 C、 D、 E を決して許すつもりはありません。
奴等は、例え死人となっても必ず復讐します。
でも、この十四年間楽しいこともたくさんありました。
春は桜が出会いを運び
夏は花火が夜空に消えて
秋は紅葉が空を染め上げ
冬は白雪が乾いた心を潤す
季節が過ぎていく中で色々ありました。それが全ての想い出となって心に残っています。
家族のみんなにはお願いがあります。
1つは、自分達をどうか責めないでください。
俺が死ぬのは家族のせいじゃありません。俺自身と、 F をいじめた連中が悪いんです。
大丈夫。
ある日は日の光となり、ある時は雨となって、あなた達の心の中で生きています。
だから哀しまずに、俺の死を糧として、全力で生きていって下さい。
2つは、俺の臓器が無事だったら、それを売ってお金にしたり、お婆ちゃんや爺ちゃんの治療に使って下さい。
それが俺に出来る唯一の罪滅ぼしだから…
それと、爺ちゃんには優しくしてあげて下さい。過去には色々あったと思いますが、それでも大事な家族です。
大切にしてあげて下さい。
そして赤、青のバッティンググローブは形見として下さい。
今まで本当にありがとう
そしてさようなら
君がため 尽くす心は 水の泡
消えにし後は 澄み渡る空
国旗は日の丸、国歌は君が代