青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



今日のQ&A

Question:
理事長、昨日の長崎2女性殺人事件の被害届を警察が一週間待てと云う事に対し、千葉県警の習志野署の方に事情を聞くと言われましたが、何と言う答えを出したか教えて下さい。

Aanswer:
はじめ習志野署に電話したところ、出た警察官から全てこの問題に対し、県警本部の方に訊ねてくださいと云う事で、県警本部に電話をかけた。一応、今回の被害届を一週間待てという事を聞きたいと電話に出た警察官に訊ねた所、担当者がいないので云う事で話は出来なかったが、とりあえず出た警察官に実際、私の空手の関係者に普通被害者が被害届を出せばすぐに受理するのは当たり前の話しであって、こんな事はあり得ないと言っていましたが、と言ったら当たり前ですという答えが警察官の口からその通りですと言った。又後で警察の担当者から聞きますと云う事で電話切った。中々親切な警察官だった。

Question:
最近またまた少年の犯罪が増えています。その中で思い出すのは12年前に起きた埼玉県北埼玉郡の集団リンチ殺人事件。これは本当にひどい極悪非道な少年犯罪。今でも思い出します。この後、被害者のお母さんの必死に事件の真実を知りたいと訴えていましたが、その後どうしたのかなと気になります。

Aanswer:
この事件は、10年ぐらい前の少年の集団リンチ事件。これは本当にひどい事件で、ここまでひどい事をやるかと内心こいつらをぶっ飛ばしてやろうかと何回思ったか知れない。もし自分の子供だったらあいつ。特にらを必ず半殺しにする。とにかくあの事件を思い出すと、母親の気持ちが良く分かる花を飾った亡くなった子どもの部屋の中で、一人ぽつんと食事をしている母親の姿をテレビで出て居るのを見て、生涯この傷を背負って生きていかなければならない。こんな残酷な事を許して良いのだろうか。再度ここに事件の内容を公開する。

埼玉県北埼玉郡の集団リンチ殺人事件
埼玉県警加須署は14日、同県北川辺町に住む県立高校生に集団で暴行を加え、死なせたとして、17歳から18歳までの少年4人を傷害致死の疑いで緊急逮捕した。

逮捕されたのは、いずれも同町内に住む無職の少年2人=ともに18歳=と、新聞配達アルバイト(17) と、県立高2年生の男子生徒(17)の4人。

調べでは4人は同日未明、県立高1年飯島友樹君(15)を、群馬県板倉町のゲートボール場に連れ出し、角材や素手で殴るけるの暴行を加え、死なせた疑い。友樹君がぐったりしたため、乗用車に乗せて北川辺町内の東部日光線新古河駅まで移動。救急車を呼んだが、すでに死亡していたという。

調べに対し4人は、友樹君が無職少年の一人が所有するバイクを盗んだとの理由で、13日午後10時ごろ、同町内のコンビニエンスストアに呼びだし、ゲートボール場に連れだした上暴行を加えたと供述している。

友樹君と4人は中学時代の先輩後輩の関係。同署では、ほかに共犯者がいる可能性もあるとみて、さらに詳しく調べている。

(朝日新聞1999年5月14日より)



無念の母、真実追う日々 北川辺町の少年リンチ死から1年 /埼玉


「あの子を助けてやれなかったし、かたきも取ってやれない」。積み上げた供述調書の山を見つめ、北川辺町の飯島京子さん(四三)は声を震わせた。涙が床に落ちる。くり返し読んだ調書には、何十枚もの付箋(ふせん)が張り付けてある。あれから、もう一年たった。

(児林もとみ)



○見えない捜査

昨年五月十三日夜、長男の友樹(ゆうき)君(当時一五)は友人とともにバイクを盗んだととがめられ、所有者の少年らから自宅近くのコンビニエンスストアに呼び出された。

そこから小学校体育館、隣町の群馬県板倉町のゲートボール場などを連れ回され、その間、金属バットや角材などで二時間以上にわたって全身を殴られた。十四日未明、救急車が着いた時は息絶えていた。高校に入学したばかりだった。

十五歳から十八歳までの少年八人が傷害致死容疑で逮捕され、一人が書類送検された。調べに対して少年たちは「死ぬとは思わなかった」と口をそろえた。少年法に沿って家裁で審判が行われ、六人が少年院送致、三人が保護観察処分になった。

京子さんは少年たちの身元を警察で知った。だが、捜査がどのように進んでいるのかは分からない。

新聞は少年たちが友樹君に暴行した動機について「(友樹君が)バイクを盗み、うそをついたから」などと報じた。警察で少年たちが供述した内容を一方的に書いていると感じた。少年法によって加害者は保護されるのに、殺された息子は実名でプライバシーを暴かれるのか。悔しかった。

捜査に納得できない点もあった。例えば、医師が作成した死体検案書は死亡推定時刻を「十四日午前一時ごろ」としている。だが、少年たちは調べに対して「午前三時か四時ごろまで生きていた」と主張した。結局、警察は死亡時刻を特定しないまま少年たちを送検した。



○調書読み震え

家裁の少年審判は非公開で、内容は遺族にも知らされることはない。息子はいつ、どこで息を引き取ったのか――このままでは事件の詳しい内容はわからないままになってしまう。

少年法など詳しくは知らなかった京子さんが手探りで動き始めた。「亡くなった場所に線香をあげてやりたい。本当のことを知りたいという一心でした」と振り返る。

弁護士を通じて少年たちの供述調書を取り寄せた。友樹君の遺体を司法解剖した医師を訪ね、死亡時刻を再確認した。解剖鑑定書を家裁から入手し、事件について知る関係者にも直接会った。

供述調書を読んだ京子さんは怒りに震えた。

先輩はすげーぜ。金属バットで殴っている」「チョー気分がよかった。お前も行って殴ってこいよ」と仲間に自慢した少年。友樹君の服を脱がせて「みんなで笑い者にしてやった」と話した少年……。無抵抗で死にかけている息子をおもしろがって殴り続けたとしか思えなかった。

少年らは「救急車を呼ぶと警察が来る」と通報を遅らせてさえいた。「死ぬことはわかっていたはずなのに、なぜ、殺人ではなく、傷害致死容疑なのか」。京子さんは死亡時刻のことも含めて疑問点を警察にぶつけた。警察庁に手紙も出した。

だが、満足がいく答えは返ってこなかった。応対した警察官には「審判が終わってから言われても困る」と言われた。

「遺族が事件の資料を入手できるのは、審判が終わってからなのに」と京子さんは唇をかんだ。



○法の改正訴え

昨年十月、大阪の「少年犯罪被害当事者の会」を知った。集会に出席し、同じように少年の暴力で子供を亡くした遺族たちと交流が始まった。

同じ立場の者にしかわからない苦しみや悔しさを打ち明け、励まし合う。遺族はいずれも、「加害者の人権だけが守られる少年法はおかしい」という気持ちを持っている。心の支えを得た京子さんは同会の活動を通じて「少年法の早期改正を」と訴え始めた。



友樹君の損害賠償についての調停も久喜簡裁で始まった。いずれ民事訴訟を起こすことも考えている。賠償金が欲しいのではない。法廷で、本当のことを相手の少年たちの口から聞きたいのだ。

調停のために役場で戸籍謄本を取り寄せた京子さんは驚く。謄本には友樹君が死亡した事実が記載されていると思っていたのに、コンピューターで処理された謄本は真っ白で、友樹君の名前はどこにも見当たらなかった。

「友樹が生きていたことを、事件を、世間に忘れてほしくない」。そう思った京子さんはいま、インターネットのホームページをつくっている。友樹君の思い出、事件の概要、そして供述調書や警察とのやりとりなども、インターネット上で公開するつもりだ。

この一年でたくましくなったと自分で思う。でも、苦しみは消えない。体重は十キロ近く減った。「子供を殺されたことは現在進行形なんです。ご飯を食べていても、洗濯していても、思い出してしまう」

加害少年たちからの謝罪の言葉は、まだない。

(朝日新聞2000年5月14日より)

現在でも少年再非行最悪32%(11年犯罪白書より)。しかし今回の事件で飯島友樹君を8人で殺した事は間違いない。いくらその当時少年でも皆一人の人間をよってたかって、あれだけ残虐な殺しをやっても、謝罪もない反省もないでは被害者の親からすれば納得出来ないばかりか、この8人は被害者の家族の人生まで全て奪った事を忘れるな。もう10年前の事件だが今でも家族は辛い思いをしながら、生きているに違いない。こういう事を考えるといても立っても居られない位な感情が湧き出てくる。とにかく司法は少年の犯罪に甘すぎる。恐らく少年の犯罪が減らないのは司法の怠慢だ。

国旗は日の丸、国歌は君が代