今日は第3弾で薬物について
13年位前に家庭内暴力や不登校等で計4人の中高校生の相談を頼まれ、最終的には3人は結婚し、1人は未だ不明だが彼女の事だから一生懸命頑張って生活しているだろうと思っている。
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とにかく一番苦しかったのは、4人掛け持ちで相談を受けほとんど寝る暇がなかった。とにかく皆の生活は夜型だし、元々当時から多くの若者と一緒に生活をしていたので、別に朝まで起きていても苦にはならなかった。
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別に彼女たちはそれぞれ個性も違うがそれほどの大差はない。とにかく私の仕事は単純に彼女たちの話し相手。それによって段々話しをするうちに家庭内暴力をする子にしても、時間と共におさまったがとにかく夜は毎日空手を教えなければいけないし、気が付けば朝の5時は当たり前の時間。
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それから2時間位寝て仕事。それに若い連中も一緒にいるから食事や何かで忙しかったが、しかし皆頑張ってくれたから、うまく運用が出来た。
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中には覚せい剤にはまった子が入って来た時は、苦労したがそれでも最終的には覚醒剤をやめ、現在社会人になり頑張っている。思い出せば一番大変だったのは、A子とB子。しかし二人とも愛想が良く普通の女の子よりはるかに大人。今回、その中の一人B子、それに本人が落ち着くまでに6年位かかった。最初は両親と私と3人がかりでB子は帰らないと何時間も都内を捜し歩き、見つけてはまた両親と一緒に探し回る生活。
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いつのまにか彼氏が出来、その彼氏が覚醒剤を使っている人間だったので、私も必死になって覚醒剤を止めるよう説得したが、中々止められないようで、何しろ覚醒剤を止めるには強い精神力が必要だ。私も何回怒ったり殴ったりしたのか分からない。それでも覚醒剤に手を出してしまう。彼女も何回か使った事があると云う話しに怒りが爆発。
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私と彼女の両親と一緒に話し合い。そこにある代議士からストーカーをやられている女性がいるので会ってくれと云う事で会い、それからストーカーをやっている男を排除した。
そのあと彼女の方から私の社会活動を手伝わせてくれと云う事で、今度は彼女をいれた強みもあって大変苦労した。その苦労話を書きたいが、とんでもない時間になるので止めにするが、最終的には2年近くかかった。彼女も彼氏と別れたがその後、彼女も過労で倒れ亡くなった。後、B子も彼女の事が大好きだったので、彼女の死がB子を覚醒剤から離すことが出来た。
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それから以降B子も頑張り結婚した。私は最後に一生懸命頑張れと彼女のお墓に連れて行き、お墓に線香をあげ私にしばらく一人にさせてくれと言ったので、私は車に戻り30分位待っていた。そしたら彼女が戻って来てしばらく車の中で無言。そして家に送り帰りの車でとにかく覚醒剤に関しては、どんなことがあっても手を出してはいけないと、改めて若い連中に警告した。
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今考えて見ると、いくらストーカーで助けてやっても私の活動に参加しなかったら、長生きしたと思う。昼間は仕事それから夜は活動、それも毎日。しかし彼女は愚痴ひとつ言わずいろいろ皆の面倒を見てくれただけに、彼女の死は私にとっては人生最大の損失だと思っている。
「博多を好きになってくれる子に育てたい!~福岡市立博多小学校を視察~」
2011年10月26日(水)
子供達を地域をどんな子に育てたいですか?
と、いう質問に
博多を好きになってくれる子供達に育てたい!
と、おっしゃってくださいました。
平成に入り、博多市内がドーナツ現象により人口が減少してきた為に、平成7年に都市部教育環境整備プロジェクト会議が開催され、冷泉、奈良屋、御供所、大浜の4つの小学校を統合する博多部4校区代表者会議が発足され、平成10年に福岡市立博多小学校が開校しました。横浜でも様々な地域で統廃合が行われていますが、この博多小学校の施設の素晴らしさには目を見張るものがありました。
この小学校には、地域に開かれ、博多の伝統を生かす学校としての特色を持ち、地元へのお祭りの参加により地域文化を継承する"博多っ子"の育成を担っていますので、博多市民のこの学校への想いが強く伝わって来ました。また、学校の一部には、それぞれの4校の歴史を保存展示しており、その中には太平洋戦争時の福岡空襲で焼け残った旧奈良屋小学校の扉等の戦争時お資料等が展示され、歴史や伝統を大切にしている気持ちが伝わってきました。
新校舎もプロポーザルコンペ方式を導入し、地元出身の方が設計しており、コンセプトの"学校はまち•まちは学校"の通りに、道路に面した面はガラス張りで、開放感があり、この学校へ子供を通わせたくなって来ました。
実は、そう考えるのは、やはり親御さん達は同じで、開校当初は2クラスだったのが、現在では4クラスになっており、今度は教室が足らなくなるという問題も生じているとのこと。先生方も、博多ドンタクなどのお祭りへの参加も多く、自然とやる気のある方が集まってきているのではないかと思いました。生徒も、開放感のある建物、想像力を豊かにする施設環境のせいか、壁に飾ってある子供達の絵ものびのびと描かれており、1年生の歌の発表会の練習風景を階段を利用した表現の舞台という場所で見せて貰いましたが、思わず感動して大きな拍手を送ってしまいました。
良いもの(建物)を創ると、人も集まってくるのだな〜と感じてしまいました。
施設の維持管理や光熱費代、外国籍やひとり親の子供達の増加等問題もありますが、学校と地域がしっかりと繋がっているという事はこんなにも心強いのだなあ〜とさらに感じてしまいました。
富士見中学校と吉田中学校の統合という近々の問題も抱えている中で、もっと地域としっかりと話合い、統合していかなければならない事情もキチッと説明し、地域の意見を最大限に取り入れながら"学校はまち•まちは学校"を再確認しながら、新しい学校造りを検討していくヒントを得られたのではないかと思います。
国旗は日の丸、国歌は君が代