2021年9月10日の朝、KANEREの記者が国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)メインエントランスの外で行われた教師のストライキを報道した件で、カクマ警察に逮捕された。
給与の遅延と同一労働に対する賃金の不当な割り当てを理由として、小学校の教師たちは子供たちを家に帰宅させ、教室での教育活動を一時停止した。
KANEREの編集者たちが教師代表からストライキの知らせを受けたのは、金曜日の朝7時ごろのことだった。
一時間後にはカクマ1地域はポスターを掲げ抗議の声を挙げる教師たちであふれ返った。教育実施機関であるルター派世界連盟(LWF)とUNHCRによって自分たちの権利が侵害されていることへの抗議だった。
難民の教師たちのこの抗議デモが事前によく準備されていたのは明らかだ。異なるエリアからグループで到着し、エクアトリア地方出身少年のためのサッカー場に集合し、そろってUNHCR構内へと移動した。
ところが、サッカー場を出発する前に、2,3名のスタッフを乗せたLWFの車両が現場にa現れ、教師たちにストライキに加わらないよう説得しようとした。教師たちによると、現場に来たLWFの主要人物は、オケロというスタッフで、教師たちの長年の不満を無視している人物だという。
「LWFもUNHCRもこれまで教師たちを裏切ってきました。私たちの労働権は1990年代からずっと侵害されているんです」と、ゾーン2の学校の教師HがKANEREに話した。
スローガンや教師たちの不満をイラストで描いたポスターには「教師のキャリアを認め尊敬することを望む」と書かれていた。
教師たちの行進は大規模で、生徒たちまで加わり、次第に支援機関や警察の注意を引くものとなった。デモ集団はエネルギーに満ち、一発触発の状況にみえた。
7時31分には、大規模だが平和なデモ隊がカクマ1のUNHCRの敷地の外に集合した。この時点で2名のKANERE記者が傍らでこの状況を見ており、もう1人が教師にインタビューをしていた。
7時55分、ケニア警察が到着し、瞬く間に状況が緊迫した。
でも参加者の1人が、UNHCRの注意を引くために叫び声をあげたが、取り乱したりはせず、この時点ではまだ平和なデモだった。
8時ごろ、警察が、教師と小学生を含む集団に催涙ガスを放った。人々は散り散りに逃げはじめた。催涙ガスによる痛みで叫ぶ人たちもいたが、多くの教師たちはその場にとどまった。
8時4分、KANERE記者の1人が逮捕され、4名の警官に強制的にパトカーに乗せられた。
この記者は手錠をかけられたまま、パトカーの屋根の上に1時間も拘束された。
9時5分になってもまだ、記者は手錠のまま、ストライキ集団を解散させようと催涙ガスを放ちながらエリア内を走り回るパトカーの上に留め置かれた。
9時10分、記者を乗せたパトカーは警察署に戻り、そこで記者は2時間にわたって尋問を受けた。
記者逮捕の理由は、警察によるとストライキへの参加とのことだが、これは全くもって不当な申し立てである。というのも、記者はストライキを行っていた教師たちの姿を写真に撮り、彼らにインタビューを行っていたにすぎないからだ。
11時12分、報道関係者からストライキが収まりつつあるという電話を受けた警察署長が、記者を解放した。
強制的な逮捕の過程で、記者はシャツを破かれ、カメラや携帯を破損されるなどの被害を受けた。
「カメラが壊されました。カメラのメモリーカードもなくなりました。警察に不服申し立てはしませんでしたが、大事なものがなくなってしまいまいました」と、被害を受けた記者はKANERE顧問スタッフに答えた。
同記者は、警察に催涙ガスを撒かれた集団の中に、学校に通う難民の子どもたちもいたと証言している。
KANERE は引き続き、カクマや他地域の難民キャンプにおける貧弱な報道の自由が改善されるよう、活動していく。
給与の遅延と同一労働に対する賃金の不当な割り当てを理由として、小学校の教師たちは子供たちを家に帰宅させ、教室での教育活動を一時停止した。
KANEREの編集者たちが教師代表からストライキの知らせを受けたのは、金曜日の朝7時ごろのことだった。
一時間後にはカクマ1地域はポスターを掲げ抗議の声を挙げる教師たちであふれ返った。教育実施機関であるルター派世界連盟(LWF)とUNHCRによって自分たちの権利が侵害されていることへの抗議だった。
難民の教師たちのこの抗議デモが事前によく準備されていたのは明らかだ。異なるエリアからグループで到着し、エクアトリア地方出身少年のためのサッカー場に集合し、そろってUNHCR構内へと移動した。
ところが、サッカー場を出発する前に、2,3名のスタッフを乗せたLWFの車両が現場にa現れ、教師たちにストライキに加わらないよう説得しようとした。教師たちによると、現場に来たLWFの主要人物は、オケロというスタッフで、教師たちの長年の不満を無視している人物だという。
「LWFもUNHCRもこれまで教師たちを裏切ってきました。私たちの労働権は1990年代からずっと侵害されているんです」と、ゾーン2の学校の教師HがKANEREに話した。
スローガンや教師たちの不満をイラストで描いたポスターには「教師のキャリアを認め尊敬することを望む」と書かれていた。
教師たちの行進は大規模で、生徒たちまで加わり、次第に支援機関や警察の注意を引くものとなった。デモ集団はエネルギーに満ち、一発触発の状況にみえた。
7時31分には、大規模だが平和なデモ隊がカクマ1のUNHCRの敷地の外に集合した。この時点で2名のKANERE記者が傍らでこの状況を見ており、もう1人が教師にインタビューをしていた。
7時55分、ケニア警察が到着し、瞬く間に状況が緊迫した。
でも参加者の1人が、UNHCRの注意を引くために叫び声をあげたが、取り乱したりはせず、この時点ではまだ平和なデモだった。
8時ごろ、警察が、教師と小学生を含む集団に催涙ガスを放った。人々は散り散りに逃げはじめた。催涙ガスによる痛みで叫ぶ人たちもいたが、多くの教師たちはその場にとどまった。
8時4分、KANERE記者の1人が逮捕され、4名の警官に強制的にパトカーに乗せられた。
この記者は手錠をかけられたまま、パトカーの屋根の上に1時間も拘束された。
9時5分になってもまだ、記者は手錠のまま、ストライキ集団を解散させようと催涙ガスを放ちながらエリア内を走り回るパトカーの上に留め置かれた。
9時10分、記者を乗せたパトカーは警察署に戻り、そこで記者は2時間にわたって尋問を受けた。
記者逮捕の理由は、警察によるとストライキへの参加とのことだが、これは全くもって不当な申し立てである。というのも、記者はストライキを行っていた教師たちの姿を写真に撮り、彼らにインタビューを行っていたにすぎないからだ。
11時12分、報道関係者からストライキが収まりつつあるという電話を受けた警察署長が、記者を解放した。
強制的な逮捕の過程で、記者はシャツを破かれ、カメラや携帯を破損されるなどの被害を受けた。
「カメラが壊されました。カメラのメモリーカードもなくなりました。警察に不服申し立てはしませんでしたが、大事なものがなくなってしまいまいました」と、被害を受けた記者はKANERE顧問スタッフに答えた。
同記者は、警察に催涙ガスを撒かれた集団の中に、学校に通う難民の子どもたちもいたと証言している。
KANERE は引き続き、カクマや他地域の難民キャンプにおける貧弱な報道の自由が改善されるよう、活動していく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます