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南極への道のり2

2012年01月04日 | 南極記

PART2は、砕氷艦しらせでの生活を紹介します…

11/30の出港の日、晴天の素晴らしい天気



しらせの観測隊寝室

2人部屋、結構狭いです。
SORAのベッドは2階でした。ちょうど丸窓があって外をのぞくことができ、
外は寒いので、部屋から窓越しに写真を撮る、なんてこともしてました。

私のデスク

インターネットはできず、メールもひと月当たり3MBまで…
情報があまり入ってこない日々でした。
それでも読売新聞の電子版が配信されていたので、
世の中のことは確認することができましたヨっ。(あまり読みませんでしたが…)

しらせの生活は、さすが海上自衛隊っ。
観測隊員もしらせ乗員と同じリズムで生活します。
規則正しいものでした。通常日課は次の通り…

起床 6:00
朝食 6:00
昼食 11:00
夕食 17:00
ミーティング 18:30(観測隊のみ)
管内清掃 19:00(しらせ乗員のお仕事) ※この時間から部屋からは出られません。
巡検 19:30(しらせのお偉いさんが、清掃状況などを歩き回って確認します)
巡検終了 19:45~20:00 ※晴れて部屋から出ることができます。

巡検終了の艦内アナウンスとともに、明日の日課が伝えられます。
※あくまで、しらせ乗員向けですけどね…
このあとは、ただただ、ダラダラとお酒を酌み交わすだけ…

という感じです。
観測系の隊員は船上でお仕事がありますが、設営系は特になし。
のほほ~んとした約1か月を過ごしました。

船はぐいぐい南下し…

12/4 南緯50度を通過…
このころから、一転して船の動揺(いわゆる揺れ)が激しくなってきました。

このしぶき映像で分かっていただけるでしょうか?
結構いい感じの揺れで、乗り物酔いをしないSORAも酔い止め薬を飲んでしまいました。
道中、特に船酔いはせず、飯も酒もいつも通りの消費でしたけどね…
この日以降、ほとんど揺れない日はありませんでした…

12/5 いわゆる南極圏(南緯55度)突入っ!

おまけに、初氷山も… 記念すべき日です。
なぜって?
実は、南緯55度を越えた時点から「南極手当」がもらえるんです。
詳しい額はわかりませんが、2000円/日ぐらいなのかな~

この日を栄に流氷が現れ始めました…

最初は流氷があったりなかったりでしたが、
前進するごとに、その数、厚さが増していきました。

12/10深夜 船の動揺がピークに…
部屋中のものがあちらこちらに散乱… ファブリーズ置型がのピースが…アララ
って、ありさまでした。
部屋の椅子が縦横無尽に部屋の中を行き来していたので、固定作業に。
この揺れで、廊下まで投げだされてしまったほどでした。
後で聞いたのですが、仰角28度まで傾いたらしい…

12/16早朝(寝起きで気づいたのですが…)
南緯68度付近、いよいよ「しらせ」の本領発揮!
前進不能となった時にいったん後退して、再度前進で氷に突っ込む「ラミング」が始まりました。


SORAと同じJARE53夏隊機械担当のN村氏の映像を借用しています。
船が前後して前進していく様子がわかりますか?
しらせはこのように厚い氷を割り進み、私たちを昭和基地へ連れて行ってくれるのです。

そして、この後すぐに…
ラミングでの前進がはかどらず、数日漂泊する場面も…
今年の南氷洋の氷は厚いらしい…
前進することは可能のようですが、限られた燃料でこれ以上の無理な航行は厳しいらしい…
途中でガソリンスタンドによることもできないので…

そして、12/23の昼食時、
隊長から「本日午後、昭和基地への第1便を飛ばす予定。各自、いつでも行けるよう準備のこと」
と突然の指示があり、あわくって手荷物の段取り。
例年より基地から離れた所からの隊員輸送となりました。

SORAは第2便で昭和基地入りの指示。
しらせ 14:20発で…

これが「しらせヘリ」。
昭和基地までの55マイル(30分位のフライト)運んでくれました。

途中、氷山のつむじを見ながら…

昭和基地Aヘリポートでは…
52次越冬隊員のみなさんのお出迎え!
※ブレブレ画像でゴメンナサイっ!

無事 15:00頃 「昭和基地」に乗り込むことができました。

長々お付き合いありがとうございました。
ようやく、次回からは南極昭和基地の記事に着手です。

ではまた… SORAでした。 

コメント (4)
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