烏鷺鳩(うろく)

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「東ドイツ 恐竜(化石)切手 1990年」と「世界最大の恐竜展」の思い出(2)

2018-05-05 | 切手


1989年、「ベルリンの壁」が崩壊した。テレビの向こうで、大人達が壁によじ登り、ハンマーのような物を壁に打ち下ろす度に、大きな歓声が上がっていたのを覚えている。
ドイツ民主共和国(DDR)、通称東ドイツでは1990年7月1日まで切手が発行されていた。1990年10月3日の東西ドイツ統一に伴い、10月2日をもって東ドイツの切手は使用が終了。この恐竜化石切手は1990年4月17日に発行されている。


「世界最大の恐竜展」は、冷戦まっただ中の時代に開催された。今考えると、どちらかというと「西側」に所属していたはずの日本において国宝級の化石を展示するというのも、なんだか不思議というか、すごいことだったのかなあ、とも思う。
その辺の事情が、当時のフンボルト大学学長のヘルムート・クライン氏のメッセージにみられるので、是非ご紹介したい。

1973年5月、日本と我が国とに間に国交が樹立し、1981年5月に、ホネッカー第一書記が訪日して以来、両国相互の交流は多方面にわたり深まりつつあります。
フンボルト大学創立175周年の前夜とも言うべきこの年に、当大学の歴史的業績と今日の学術研究の成果を、広く日本に紹介する機会を得ました。また、当大学付属自然史博物館が誇る世界的財産がこのたびはじめてドイツを離れ、外国初公開の地に貴国が選ばれましたことは、私の大きな喜びであります。
科学者アインシュタイン、ハーン、医学者コッホ、哲学者フィヒテ、ヘーゲル、フォイエルバッハ等、歴史に名を残す偉大な学者達が、当フンボルト大学で教鞭を執り、又、1836年から1841年まで、カール・マルクスがここで学んだことは、日本でもよく知られていることでありましょう。現在では、ファシズムと第二次世界大戦という精神的、物質的に困難な時代を乗り越え、ひとつの新しい社会体制の下で社会主義的教育、研究の場として発展、完成されつつあります。
今回のこの企画、開催に当たり御尽力下さいました関係各位に心から敬意を表すると共に、この記念事業が世界平和と学術交流に大きな功績を残すことを願ってやみません。

いわば西側へのアピールの玄関口として日本が選ばれたということだろう。背景にアメリカがいることを意識しての、国家的事業だったわけだ。社会主義国家としての優位性を誇る文章に、時代を感じる。


さて、肝心の恐竜たちについてはどんなことが書いてあるのか。懐かしのパンフレットからの記述をさらにご紹介しよう。現在の説とは違っているところも面白いのではないかと思う。



〈ブラキオサウルス〉
ブラキオサウルスについては、その発見の様子からフンボルト大学自然史博物館で骨格を組み立てるまでが詳細に紹介されている。
発見されたのはタンザニアの「テンダグル」という場所である。1909年から4年がかりで掘り出された。復元骨格のサイズも細かい。
・頭から尾までの長さ   22.65m
・頭までの高さ      11.87m
・肩までの高さ       5.83m
・尾の長さ         7.60m
・一番長い肋骨       2.63m
ここまで計測してあるデータもなかなか見ない。大概は全長と頭までの高さくらいのものだろう。
しかし、どのように生活していたかの説明がなかったのだが、それは表紙が全てを語るということなのだろうか。


他の恐竜たちについても記述があった。



〈ケントルロサウルス〉
ヤリをつけた戦車のような、最も奇妙な形の恐竜。アメリカのステゴサウルスと同じように、首から背中にかけて骨盤が出ているが、背中のまん中から尾の先まではトゲに変わっている。ほかに腰にも1対のトゲが出ている。頭は小さくて細長く、角質の口が付いていた。骨格は長さ4.7m、高さ1.6m。(p.35)

現在では、「腰に1対のトゲ」ではなく、「肩に1対のトゲ」で復元されている。また日本語表記は「ケントロサウルス」が一般的である。


〈ディサロトサウルス〉
鳥盤目鳥脚類。非常に細長い骨でできたきゃしゃな体つきをしている。やはり前足は短く、2本足で立って、えりまきトカゲのように速く走れただろう頭は小さく、角質のくちばしがあったらしい。イギリスのヒプシロフォドンやアメリカのカンプトサウルスと似ている。
骨格は長さ2.35m、高さ1.10m。
東アフリカ・タンザニア国テンダグル産。(p.37)

こちらの復元図もゴジラ型だから、高さに関しては現在では異なる数字が出るかもしれない。


〈ディクレオサウルス〉
ブラキオサウルスと同じ竜脚類の仲間だが、前足の胞が短く、背中が盛り上がっている。筋肉やジン帯を支える背骨や首の骨の突起が二つに割れているのが特徴。頭がい骨や、ほっそりした体つきはアメリカのディプロドクスに似ているが、首は比較的短い。やわらかい水草や小魚も食べたという。
骨格は長さ13.2m、高さ3.2m、東アフリカ・タンザニア国テンダグル産。(p.34)

懐かしい恐竜の姿を御一読頂いたところで、実は決定的に当時と現在で異なる点がある。
それは、なんと、ブラキオサウルスは「ブラキオサウルス」ではなかったというのだ。
どういうことかというと、ブラキオサウルスは1903年にアメリカで発見された竜脚類につけられた名前だった。タンザニアで見つかった方は別種の亜種だったのだ。こちらの化石の方が圧倒的に状態が良かったので、このフンボルト大学の標本の方がブラキオサウルスの代名詞となっていた。
しかし、詳細を調べるにつれ、アメリカで先に発見された物とは異なる点がいくつもある。その結果、タンザニア産の標本は「ジラファティタン(もしくはギラファティタン、巨大なキリンの意味)」という名前がつけられている。


私の思い出のブラキオサウルスは実は「ジラファティタン」だったというのである。ちょっぴり切ない。でも、名前が変わったからといって、あの時の感動が色あせるわけでは決してないのである。



【参考サイト・文献】
・JSPドイツ切手研究会のホームページ http://www.doitsukitte.com/index.html 
・『現代思想 2017年8月臨時増刊号 恐竜 古生物研究最前線』(青土社 2017年8月10日)
・『フンボルト大学創立175周年記念 世界最大の恐竜展』図録[1984年7月7日~10月14日、新宿駅南口イベント広場 特設パビリオン](読売新聞社)