烏鷺鳩(うろく)

切手・鉱物・文学。好きな事楽しい事についてのブログ

沖縄切手:沖縄返還から46年

2018-05-15 | 切手


沖縄切手、または琉球切手をご存じだろうか?
本土復帰の1972年まで、アメリカの統治下にあった沖縄で発行されていた切手のことである。


沖縄の地に咲き誇るデイゴやサンダンカ、月下美人。沖縄の海に生息するハマクマノミやジュゴン、ウミガメ、貝。沖縄の島で歌うノグチゲラ。
海に浮かぶ島々に沈もうとする夕日。
沖縄の人々に大切に守られてきたイザイホウやハーリーといった祭。
機織りや農業にいそしむ人々の姿。
風に漂う三線の音色。


温かみを感じさせるタッチの絵と鮮やかな色遣い。そういった、いつまでも眺めていたくなるような絵の描かれた、大変魅力的な切手である。


この「沖縄切手」がいかに独特で世界でも類を見ない切手であるか、『沖縄切手のふるさと』という本に説明されているので、是非ご一読頂こう。

本土復帰前の話である。沖縄の切手――というと「アメリカの切手を使っているんだろう」とか「いや、日本の切手をそのまま使っているんだよ」という人に出会って、びっくりしたことがある。独立国でもない、植民地でもない地区が、独自の切手を発行したということは、あまり例のないことなので、関心のうすい人にとっては、そのような返事が出てきたのも当然かもしれない。
戦争などで、その国の一部が占領された場合、占領軍はその国の切手の上に自分の国の国名を加刷して使うのが普通である。日本もマレーや蘭領インドを占領して、大日本郵便などという文字をその上に加刷して住民に使わせたことがある。
しかし、沖縄の場合はちょっと事情が違っていた。1945年、太平洋戦争末期に沖縄を攻略したアメリカ軍は、ほとんどの地区で日本の切手を使用させていた。そして1947年になって、宮古、八重山、沖縄、奄美大島の各民政府で、それぞれの郵政の最高責任者である通信部長(もちろん日本人である)の認め印を押して使うことになったのである。
日本の切手の上に、アメリカの文字がベッタリと加刷されなかったことは、幸いなことであったといえるだろう。(『沖縄切手のふるさと』p.9)


1972年4月20日に発行された、切手趣味週間の「ユシビン」に至るまで、沖縄の人々が切手をデザインしていた。

この本には、その当時の様々な苦労や逸話が載せられている。慣れない切手印刷に手こずったり、アメリカとの軋轢に悩まされたり、ご苦労は相当のものだったらしい。
切手のデザインだけではない。当時も今以上に米兵による犯罪に苦しめられていた沖縄の人々についてもページが割かれている。第2次大戦後から本土復帰までの歴史についても詳しく述べられていて、大変勉強になった。


5月15日は本土復帰から46年にあたる。
のどかな、南国の魅力的な風土を描いた切手の背景には、沖縄の人々の様々な苦労があったのだなあと、改めて感じた次第である。
せめて今日くらいは、美しい切手に込められた沖縄の人々の思いや誇りに、心を寄せてみたいと思うのである。



【引用文献】
・『沖縄切手のふるさと』 月刊 青い海 編集部 編 (高倉出版会 1973年3月30日)

マダガスカル 恐竜切手 小型シート 1997年 (3)

2018-05-14 | 切手


隕石の落下と大規模噴火。
いずれも恐竜を絶滅させた要因とする説がある。

恐竜が絶滅したのは、約6600万年前、白亜紀の終わりである。
これまで、絶滅の原因については様々な説が立てられてきた。
〈生物学的要因〉
●ホルモン異常
●種族としての老衰
●哺乳類が恐竜の卵を食べ尽くした
●森林の減少
●植物が有毒になった      等

〈物理的要因〉
●気候が急激に変化
●海退による恐竜の生息域の減少
●引力の変動
●超新星爆発による電磁波と宇宙線の被爆
                等

こうした要因は陸上の生物の絶滅を説明できる一方、水中の生物の絶滅を説明できない、など色々と反論が可能であるため、有力な説とは言えない。

数ある説の中で、今や恐竜の絶滅要因の一番有力となっているのが、小惑星の衝突説である。


K/Pg境界線(かつてK/T境界線)と呼ばれる層に、有孔虫という海中に生息していた微小生物の化石が大量に見つかった。有孔虫が一度に、あるいは短い期間に、大量に死んだということである。

Alvarez達の研究者グループがこの境界線付近を調べたところ、通常の30倍という非常に高い濃度のイリジウムが検出された。
通常、イリジウムは地球上ではわずかな量しか検出できない物質である。地球外、つまり宇宙から飛散してこない限り、通常の30倍の濃度のイリジウムが検出されることはない。
このことから、Luis Alvarez達の研究者グループが、小惑星衝突の可能性を提唱した。
その後、世界各国、100カ所以上で「イリジウム異常」が報告されるようになる。

さらに、「衝撃石英」や「マイクロテクタイト」という、隕石衝突の衝撃によって形成されるガラス質の物質が、モンタナのK/Pg境界を示す層で発見される。

決定的な証拠は、メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブという町でみつかった、直径180kmにもなる巨大なお椀状の地下構造である。
ボーリングコアによって、そこから衝撃石英が発見された。

以上のことから、6600万年前に、小惑星が衝突したということが分かったのだ。


ただし、これで恐竜の絶滅が全て説明されるわけではない。衝突により一瞬で死に絶えたのか、それとも、徐々に滅んでいったのか、検証のしようがないのである。

K/Pg境界をはさんで起こったイベントとして、デカン高原の大陸洪水玄武岩があげられる。
大陸洪水玄武岩と大量絶滅の起こった時期を調べると、対応関係があることが分かったのだ。
ペルム紀と三畳紀の境界で起こった大量絶滅にも、この大陸洪水玄武岩の大規模な噴火が関係していた可能性があるのだ。そしてこれが白亜期末にも起こっている。

ということは、大陸洪水玄武岩の噴火と、小惑星の衝突が、それこそ何千万年に1回の確率で同時期に起こったことによって、恐竜や水陸の大型爬虫類などの大量絶滅につながったのではないだろうか、と考えられるのである。


ところが、恐竜絶滅に関しては、分かっているようで分かっていない、というのが本当のところらしい。

K/Pg境界で大量絶滅が起こったことは事実であり、恐らくその要因は、K/Pg境界で起こった何等かのイベントである。しかし、絶滅の原因となったイベントの候補を除外できなければ、絶滅の原因を絞り込むことはできない。それでは、K/Pg境界で起こったことについて、何も新しいことがわかっていないのと同じことである。複合要因仮説はあまりに大雑把で、何も説明できていないのと同じことになってしまうのだ。皮肉なことに、複合要因仮説はおそらく正しいのだろう。K/Pg境界で特異的に、独特な組み合わせのイベントが同時に起こり、それによって特異的な大量絶滅が引き起こされたのかもしれない。しかし、ここまで説明してきたように、複合要因仮説は検証が不可能であり、科学的な仮設としての条件を満たしていないのである。(『恐竜学入門』p.341)

科学的理論の仮説というのは「仮説が検証可能であること」(p.336)、「仮説はそのイベントで起こったすべての事象を説明できていなければならない」(p.338)というのが必須条件なのだ。


小惑星衝突説を打ち出した研究グループの、W. アルヴァレズ(Alvarez)とF. アサロが、1990年に「日経サイエンス」誌に寄稿している。この中で、3200万年周で太陽の周りを回っている、彗星「ネメシス」の接近による大量絶滅の可能性も示唆されており、大変興味深い記事だった。
2004年に採録された文章の一部をご紹介しよう。

カタストロフィズムのすすめ
完全な決着を見てはいないが、KT境界(※当時の呼称)の絶滅問題は多くのことを教えてくれている。18世紀後半から19世紀初期にかけては、地球の研究が初めて科学として歩み始めた時期であった。この時期は、突発的な大事件が地球進化に重要な役割を果たしたとするカタストロフィストと、すべての地史はゆっくりとした通常の変化で説明されるとするユニフォーミタリアンとの長い戦いの時期でもあった。
・・・
カタストロフィーは進化を考える際にも重要な役割を果たしている。6500万円前(※当時の計算による)、偶然の衝突が、地球上の生命の半数を抹殺したとすると、適者生存は進化の唯一の推進力にはならないのである。生き残るためには、種はよく適応しているだけでなく、幸運でなくてはならないのだ。
・・・
KT境界の絶滅を生き延びたのは、第三紀初期の哺乳類たちであり、この中に私達の祖先がいた。恐竜たちが地球上に君臨していたころの哺乳類は、小さくて取るに足らない存在であった。温血の代謝機構、小型の身体、個体数の多さなどが、衝突による厳しい状況に耐えるのに有利だったのだろうか。あるいは、ただ単に幸運だっただけなのかもしれない。
巨大な爬虫類が消失したことにより、哺乳類はついには人類へと進む爆発的な進化を開始した。6500万年前のミステリーの謎解きが進むにつれて、私達が考える人間の存在自体が、恐竜を破滅に導いた衝突の結果であることを意識するようになってきた。(「地球を支配した恐竜と巨大生物たち」 p.100)



化石は不完全な状態で発見されることが多い。ただでさえ、その生物がどういう状況で最期を迎えたのかというのを研究するだけでも大変なことなのだ。
なんだか、今回の切手シートを調べてみるにつれ、恐竜研究の難しい側面を次々目にしたような気がする。新しい種の発見からその学名取り消し、そして恐竜絶滅の要因を検証することの難しさ。恐竜の絶滅というテーマだけでも大きすぎて手に負えないくらいだ。今回はほんとにざっくりとした紹介しかできなかった。でも、そんな難しい問題も含めて、恐竜について思いをはせるのは尽きない楽しみなのかもしれない。



【参考文献】
・『恐竜学入門』 Fastovsky, Weishampel 著、真鍋真 監訳、藤原慎一・松本涼子 訳 (東京化学同人、2015年1月30日) 
・「別冊日経サイエンス145 地球を支配した恐竜と巨大生物たち」 (日経サイエンス 2004年6月17日)

マダガスカル 恐竜切手 小型シート 1997年 (2)

2018-05-13 | 切手


まずは左のコリトサウルスについて見てみよう。
ランベオサウリナエ類というグループに属する、植物食恐竜である。このグループでは、ランベオサウルスやパラサウロロフスといった恐竜も含まれている。特徴的なのは、バラエティーに富んだ「とさか」のような突起である。

この突起、ただかっこいいから発達しただけではない。内部構造は非常に複雑であり、空気が通り抜けることで音が出るという、共鳴構造になっていたのだ。

空洞のとさか状の突起をもっていた仲間については、水中で生活していたか、鋭い嗅覚をもっていたのではないかと考えられたこともあった。しかし、最近の研究によって、とさか状の突起の内部に細かく区切られた空洞が反響室の役割をし、まるで中生代の“アルペンホルン”のように大きな低周波音を生み出すことができたのではないかと考えられるようになってきた。この見解をもとに、現在ではとさか状の突起の役割については、種内競争と性選択が主だったのではないかと考えられている。種、性別、あるいは集団における社会的地位といった情報を伝えるため、とさか状の突起は視覚的にも(反響室としての機能があった場合)聴覚的にも特殊でなくてはならなかっただろう。こうして、成熟した成体同士で条件に合致したペアだけが出会い、交配を成功させることができるのだ。(『恐竜学入門』p.133)

共鳴音が出せるということはそれを聞き分ける良い耳を持っていたということが考えられるようである。さらに、とさかの形状が多様化しているということから、それを見分けられる良い目を持っていた、ということが仮説として述べられている。

「音」というのは化石に残らない。白亜紀の地球にはどんな音、そして「声」が響き渡っていたのだろう。ホルンのような低い音が、色々な音階や抑揚をもってこだましていたのかもしれない。


続いて、隣のストゥルティオミムス(※『恐竜学入門』における表記)はどんな恐竜だったのだろうか。

ストルティオミムスはオルニトミムス科としては典型的な体つきをしている。すなわち小型でスレンダーな頭部、大きな眼とくちばし状の口である。尾の骨は固まっておりディノニクスや一部の小型恐竜のようにバランスをとるのに使っていたと思われる。特徴的な細長い腕を持つがナマケモノに似たつくりをしており頭上の枝を手繰りよせる役割をしていたのではと思われている。事実第二指と第三指はほぼ同じ長さでこの2本を独立して動かすことはできず何かを掴むということには適さなかった。

ストルティオミムス及びオルニトミムス科の食性についてははっきりとした結論は出ていない。

そのくちばし状の口器から雑食性であるとも考えられるが、ガリミムスやオルニトミムスでは頭部化石の研究からくちばしに小さなスリットを多数持つことがわかっており、フラミンゴのような濾過食ではなかったかという意見もある。ただ水中の藍藻類や小動物だけでは、ストルティオミムスにとって十分な量を確保できなかったのではないかという反論もある(小型恐竜といってもそれらの水鳥よりははるかに大きかった)。また胃石の化石や頭の真横に着いた眼、前述の細く長く物をフックのように引き寄せるのに使われたと思われる手などから植物食、または植物食の傾向が強い雑食だったというのが現在の主流である。

オルニトミムス科の特徴である長く力強い後ろ脚をもっており最高速度は時速60〜80キロメートルに達した。


確かに、姿もフラミンゴみたいにスレンダーだ。
最近は、「植物食」か「肉食」かという恐竜の食性による二分法が危うくなってきているようだ。そりゃそうだ、原生の動物たちを見たって、植物か肉か、なんていう単純な食生活をおくってるものだけじゃない。だけど、食べた証拠、つまり排泄物の化石からしか実際の食性はわからないから、難しいところなのかもしれない。




さあ、お待ちかねのトロオドンである。
トロオドンといえば「ディノサウロイド」(恐竜人間)を思い浮かべる方も多いに違いない。元祖「頭の良い恐竜」である。もし、恐竜が6500万年前に滅んでいなかったら、トロオドンから(トロオドン科の恐竜から、といった方が正しいか)進化した「ディノサウロイド」という種族が、大きな文明を築いて繁栄していただろうという仮説である。
体の割に大きな脳を持っていたこと、そして目が前に付いていた、つまり立体視ができていた、というのが根拠である。

「どうしてそんなことが分かるの?」という疑問が沸いたのは私だけではあるまい。だって、トロオドンとして記載されている化石は「1本の歯」だけなのだから。

どうやら近縁種のステノニコサウルスの骨格から、想像して復元したらしいのだ。「恐竜人間」の模型はさらにそこから想像したものだったのだ。あの宇宙人みたいな目のでっかいやつである。子どもの頃、『科学』という子ども向けの雑誌に載っていた恐竜人間が、妙におっかなかったという覚えがある。なんか、支配されそうな怖さを感じたものだ。

そんなトロオドンなのだが、どうやらその学名が抹消されてしまうらしい。
結局のところ、ステノニコサウルスという名前に吸収されるということだ。ただし、「トロオドン科」という科名としては残るという。

まったく、頭の良い恐竜だけあって、学名記載から学名抹消までの経緯が複雑すぎてついていけない。というわけで、詳細をばっさり省いたことをご容赦頂きたい。


ところで、この切手、恐竜たちの「背景」についても、ちょっと思いをはせてみる価値がありそうなのだ。

幻のトロオドンが見つめる先は? 次回へと続く。



【参考サイト・文献】
・ウィキペディア 「ストルティオミムス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9
・GET AWAY TRIKE ! ※トロオドンの発見から現在の疑問名扱いに至るまでが詳しく述べられている。
https://blogs.yahoo.co.jp/rboz_05/38507230.html 
・『恐竜学入門』 Fastovsky, Weishampel 著、真鍋真 監訳、藤原慎一・松本涼子 訳 (東京化学同人、2015年1月30日)

マダガスカル 恐竜切手 小型シート 1997年 (1)

2018-05-12 | 切手


大規模な噴火をしている火山の麓。
2匹のデイノニクスがテノントサウルスに襲いかかっている。鋭いかぎ爪がテノントサウルスの体に突き刺さり、流血している。生きながらエサとなっているのだ。
手前の草陰でコリトサウルスが身を潜めている。ストゥルティオミムスは別の獲物を探しに出たのだろうか。全てをトロオドンが冷徹に見つめている。
彼らのこうした日常を打ち破るように、空から脅威が迫っている。隕石が長い光の尾を引いて落下しているのだ。


1997年にマダガスカルで発行された、恐竜たちの生き生きとした姿を描いた小型切手シートである。
マダガスカルの通貨は「アリアリ(Ariary)」。額面は2500アリアリである。2004年12月31日までマダガスカルフランとの併用であったため、アリアリの上に12500FMG(マダガスカルフラン)も記載されている。
こちらは「スタンプショウ2018」の、ロータスフィラテリックセンターさんのブースで発掘した。


それでは、マダガスカル共和国(Repoblikan'i Madagasikara)について。

マダガスカル共和国(Madagascar)、通称マダガスカルは、アフリカ大陸の南東海岸部から沖へ約400キロメートル離れた西インド洋にあるマダガスカル島及び周辺の島々からなる島国である。
・・・
先史時代に存在した超大陸ゴンドワナは今からおよそ1億3500万年前に分裂し、「マダガスカル=南極=インド」陸塊と「アフリカ=南アメリカ」陸塊とに分かれた。その後マダガスカルは、およそ8800万年前ごろにインド亜大陸や南極大陸と分裂し、島に残された動植物は比較的孤立した状態で進化した。(ウィキペディア)


ワオキツネザルとバオバブで有名な島国である。ワオキツネザルも原始的なタイプのサルだ。8800万年前に大陸と切り離されたこの島の現生固有種の動物たちも、大変興味深い存在だ。実は私の「いつか行ってみたい国ランキング」1位の国である。


1枚のシートに5種類もの恐竜が描かれている。豪華海鮮丼のような切手である。それでは、それぞれの具材、じゃなかった、恐竜たちに注目していこう。



「植物食恐竜を肉食恐竜が襲う」という図は、昔からよく描かれてきた想像図である。恐竜と言えば、こんな風に戦っていたんだ、というむしろ当たり前の姿かもしれない。
この切手の図案も、そんな当たり前の想像図かというと、そうでもなかったのだ!

デイノニクス(Deinonychus)の歯が、大型の鳥脚類であるテノントサウルス(Tenontosaurus)と共に見つかったことから、前者が後者を食べていたことが示されていた。しかし、両者の大きさの違いを考えると、デイノニクスが集団で狩りでもしていない限り、大きな獲物を仕留めるのは到底無理な話である。これを受けて、恐竜が集団で狩りをしていたという説が、映画『ジュラシック・パーク』シリーズによって猛烈に広められていった。(『恐竜学入門』p.188)

実際に発見された化石の情報を元にした図案だったのだ。案外、恐竜同士が戦っていた証拠って少ないのかもしれない。化石に残された歯形だとか、化石に刺さってる歯だとか。プロトケラトプスとヴェロキラプトルの格闘している姿のままの化石なんていうのは、奇跡に近い発見だったのだろう。
ちなみに、デイノニクスは「恐竜内温説」(恐竜温血動物説)のきっかけとなった恐竜である。
1969年、イエール大学の古生物学者・J. H. オストロムがデイノニクスの学名記載をした。その彼の論文が、その後の恐竜学を一変することとなったのである。
彼は、デイノニクスの骨格を調べるうちに、「その骨格デザインは高い運動性能以外の機能があるとは思い当たらない」(『恐竜学入門』p.298)、と結論づけた。それまで恐竜はワニのように外温性(いわゆる冷血動物)であると思われており、それが一般常識だったのだから、オストロムの論文は画期的、革命的なものだったのである。

テノントサウルスはイグアノドンティア類というグループに属する。
彼らは、植物の多様化と関係が深いと言われている。

鳥脚類の多様性の進化は裸子植物と被子植物の多様性と平行しているように見えるのだが、おそらくこれは偶然ではなく、恐竜と植物が(あたかも二人舞踊の“パ・パ・ドゥ”のように)ある種のパートナー関係を結んでいたせいかもしれない。すなわち、裸子植物は捕食から逃れる方向に発達し、そして鳥脚類はますます効率的に栄養素を抽出する方向に発達した、ということだ。(『恐竜学入門』p.138)


というわけで、まだまだ具材、じゃなかった、注目すべき恐竜たちが残っているので、次回へと続く。



【参考サイト・文献】
・ウィキペディア「マダガスカル」 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB 
・『恐竜学入門』 Fastovsky, Weishampel 著、真鍋真 監訳、藤原慎一・松本涼子 訳 (東京化学同人、2015年1月30日)

休日の切手剥がし

2018-05-06 | 切手
ゴールデンウィーク後半、関東地方は好天に恵まれた。
からっとした爽やかな風。初夏を思わせる日ざし。咲き乱れる花々。目にまぶしい新緑の青。鳥の歌声・・・。


「そうだ、切手剥がそう」。


というわけで、せっかくの連休なので、先日の「スタンプショウ2018」にて、ごっそりつかみ取ってきた使用済み切手を、延々と剥がし続けることにした。
空気が乾いているので切手の乾きも良さそうだ。


まず、トレーにぬるま湯をはる。人肌くらいの温度、ぬる燗ちょっと低めくらいの温度である。あまり熱すぎても良くないらしい。



切手を投入。
念のため、「書留」とか「速達」の赤いインクの印字部分は切り取った方が良い。
まずは分類した普通切手のうち、年代の古そうな物から始めることにする。その方があとで整理しやすいとふんだ。


5分くらいで剥がしてみる。
と、まずい。くしゃくしゃにしてしまった・・・。失敗である。
せっかくの年代物が若干損なわれてしまった。軽くショックを受ける。
以前に剥がした時はどうしたっけなあ、と、インターネットにて情報収集する。All Aboutの特集を見てみると、なんと、20分ほど水に浸しておけ、と書いてある。
短気は損気、である。


気を取り直して、次の切手を投入。



15分経ったところで自然に剥がれてくる切手が出てくるので、回収する。くるっと縁が内側に丸まって、封筒や葉書の切れ端からずれてくるので、そこが回収時である。



タオルに並べて軽くはさみ、水分を吸収する。
このまま少し放置する。表が若干乾いたところで、裏返しにすると良いことが分かった。残った糊によってタオルにくっつき、繊維が切手の裏側に張り付いてしまうのだ。ご注意あれ。


こうして失敗を重ねながら、だんだんとコツがつかめてきた。
裏側が乾いたら、きれいな紙、コピー用紙などにのせてさらに完全に乾かす。
ここまで、実に1日半。



念のため一晩おいたが、この陽気だと半日でも大丈夫だったかもしれない。
しかし、ストックブックには他の切手もいるから、完全に乾燥するにこしたことはない。念には念を入れる。
乾かすついでに、大体の発行年毎に分類しておいた。




ついにストックブックへ!!長い道のりであった。
一番古い物で、普通切手の「第3次動植物国宝切手」(1962~1963年発行)の「ソメイヨシノ」と「タンチョウヅル」を発見した。1967年の「ホトトギス」、「コブハクチョウ」、「カブトムシ」などがいたのも嬉しい。
1980年シリーズの「梵鐘」が懐かしい。私の子どもの頃、封筒には必ずといっていいほど「梵鐘」が付いていた。
これだけ並ぶと圧巻である。一つずつ打ち鳴らせば、私の煩悩の大半も吹き飛ぶかと思われるほどの数である。



「平成切手」の1994年も懐かしい。
鳥や花々がたくさん並んで賑やかである。「ヤマセミ」の大群である。意外にもキジバトが少なかったようだ。
普通切手も面白い。


ちなみにこの後、記念切手、ふるさと切手も剥がし続けた。まる2日、こうした作業を続けたわけだ。


こうして私は、実に数百枚の切手にまみれるというゴールデンウィークを満喫したわけである。



【参考サイト】
・All About 「切手のはがし方、キレイにはがすなら“水はがし”で」 
https://allabout.co.jp/gm/gc/468719/