昨日は阪神淡路大震災が起こった日でした。
当時私は24歳で実家住まい。
大阪と神戸の中間にある西宮市というところに住んでいました。
その日の朝の様子を例えると…
小さくなった自分が、マッチ箱に入れられて、思い切り振り回されているような感覚でした。
自分では抵抗できない力で左右に思い切り振られているような…
ベッドの上で、布団をかぶって体を丸め、ひたすらそれが終わるのを待つしかありませんでした。
ベッドの頭上には本を並べていたので、それらが降り注いでくるは…
部屋の机は大移動して本棚に突っ込み、本棚のガラスが散乱するは…
移動した机が部屋のドアをふさいで、しばらく部屋に閉じこめられるは…
私の部屋だけでも、まだまだ起こった事態は書ききれないほど。
また、母の部屋は両サイドにタンスが置いてあり、その間で寝ていたのですが、幸いな事に、両方のタンスが同時に倒れて支え合った為、三角形の隙間ができて無傷で済みました。
私が住んでいたエリアは、電気はすぐに復旧しましたが、水道はかなり長い期間止まっていました。
水道管の損傷が軽度なエリアから復旧が始まったので、損傷がひどかったエリアは後回しになったからです。
当時の私の職場は大阪市内で、市内在住の社員は割と普通に通勤していましたが、私を含め、家が神戸寄りの社員は、しばらく通勤どころではありませんでした。
そのうち、なんとか出勤できるようになりましたが、部長が「うちはタンスの上のコケシが倒れただけだったよ〜」と笑って言ったのが、いまだに忘れられません。
空気が読めないを通り越し、悲しくなりましたね。
高校時代のクラスメイトの死を、新聞の被災者リストで知ったり…
給水車に水をもらいに行った母が、途中、作業車がご遺体を引き上げたのを目撃して具合が悪くなり帰ってきたり…
家ではまだ水も出ないので、仕事帰りに途中下車して銭湯に寄って帰ったり…
まだまだそんな生活下だったので、部長の言葉は、嫌な意味で心に響きました。
エリアは違えど、同じ時に同じ災害を経験しても、これだけ温度差があるというか、自分に被害が無い限りは、所詮他人事なんだなぁ…と感じました。
現在では、食器棚やガスコンロ自体に揺れるとロックされる機能がついていたり、タンスの転倒防止グッズやら、防災リュックやら、色んな備えがありますよね。
実際に災害が起こったから開発された災害対策商品もたくさんあると思います。
できれば被災はしたくないけれど、そういう事態があったからこそ、次世代に、より良い対策方法が伝えられるんですよね。
こういう被災体験を伝えていく事で、商品開発だけじゃなく、人々の意識もアップグレードされるといいなと思います😌