りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 小津和紙のすぐ近くにあった馬込勘解由の碑。べったら市の由来とあります。

 脇には、寶田恵比寿神という石柱が立っていました。

 寶田恵比寿神というと、日本橋七福神のホームページに載っている神社を思い出します。

 碑では、次のように解説しています。

 徳川家康の江戸城築城のおり、寶田村が城の拡張により、移転のやむなきに至った。譜代の家臣である馬込勘解由が寶田村の鎮守のご本尊を泰安して住民と共に現在地に移転した。

 この大業を成し遂げた功により、勘解由は江戸の筆頭名主となり、年間役料は、二百十両の最高であった。後に三伝馬取締役に出世し徳川家繁栄を祈願された恵比寿神を授けられ、寶田神社に安置し江戸の平安を祈願した。

 ご神体は、鎌倉時代の名匠 運慶の作と伝えられ、以来、尚業の守り神として十月二十日の恵比寿講の前夜に市が開かれるようになった。

 恵比寿講に使う鯛や神棚などと共に、江戸名物の浅漬大根が売られ、売り子が大根についた糀を若い女性の着物に近づけ、「ほら、べったら、べったら、買わないで通ると着物にくっつくよ」と戯れたことからべったら市の名がついた。

 徳川家康公江戸出府四〇一年を過ぎ、ここに馬込勘解由の功績を讃え、碑を建立するものである。

 この馬込家、幕末の頃は小津家とも取引があったようですので、何か関連があるのでしょうか。

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