りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 写真だと薄くて見えませんけれども、歌は、「助六にゆかりの雲の紫を弥陀の利剣で鬼は外なり」団洲 と刻まれているとのこと。九世市川団十郎が自作の歌を揮亳したものだそうで、「団洲」とは団十郎の雅名だとの由。歌碑は明治12年(1879)九世市川団十郎が中心となり、日頃から世話になっていた日本橋の須永彦兵衛(通称棒彦)という人を顕彰して彦兵衛の菩提寺仰願寺(清川1-4-6)に建立したとのことですが、大正12年の関東大震災で崩壊してしまいました。しばらくは土中に埋没していたが後に発見され、この地に再造立されたとのことです。

 災害と時を超えた歌碑ということになります。

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 高円寺のインネパ系のお店です。実はほかのお店を目指したのですが、休みだったのか見つからなくて行ったお店です。

 このあたりでは、かなりコスパが高いな印象です。

(参考)グルメカテゴリのインデックス記事

 



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 花川戸公園の中にある碑です。この地には姥ケ池という池があったそうで、隅田川に通じた大池で、明治24年に埋めたてられたとのこと。昭和14年に東京都の旧跡指定されています。

 名称の由来は、浅草寺子院妙音寺所蔵の石枕にまつわる伝説があるそうです。浅茅ケ原の一軒家に娘が旅人を連れ込み、それを石枕でたたき殺していた老婆がいました。ある夜、娘が旅人の身代わりとなり、天井から吊るした大石の下敷きになって死んでしまいます。老婆はそれを嘆き、悪業を悔やみ、池に身を投げて果てたため、里人は姥ケ池と呼んだとか。

 旧跡というのは、重要な遺跡で原形が著しく損なわれているものや著名な伝承地をいうそうです。

 まさに伝承の世界ですね。

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 先日、中野サンプラザのプロジェクションマッピングを観覧に行ってきました。

 いよいよ最後ですね。



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 京葉道路から両国の駅、国技館に伸びている道です。

 歩道には、写真のような力士像がいくつも展示されています。

 そして基部には、力士の手形が押されています。

 残念なのが力士が誰なのかが明確でないのですが、特定のモデルがいるのではないのかもしれません。

 横綱横丁のある一角とこの国技館通り周辺には、多くのちゃんこ屋さんが軒を連ねています。

 川崎、安美、巴潟、霧島、大内、江戸沢などなど。

 次の写真は、江戸沢本店でいただいたちゃんこ鍋の写真です。

 ロケーション的には、国技館通りからは離れますが。

 ちゃんこ鍋は力士が体を作るためのもの。

 栄養満点ですのでおいしいですよね。

 ただ、それなりの量を食べないとでしょうから、一般人は人数があった方がいいでしょうね。

 江戸沢さんは、昭和49年創業。

 当時のレシピを受け継ぎ、現在では壁の穴などを運営する坂井ホールディングさんが運営されています。

 国技館通りにもデザインマンホールが2つ設置されています。

 一つ目は、総武線の南側。国技館通りの隅田川側(西側)にあるマンホール。

 墨田区が愛してやまない葛飾北斎をモチーフにしています。

 もうひとつが国技館前にあるハッケヨイせきトリくんのマンホールです。

 両国と相撲はなかなか縁が切れない街となりましたね。

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(参考)グルメカテゴリのインデックス記事

各地のマンホール: りぞあかぶろぐ (cocolog-nifty.com)



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