りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 続いて訪れたのが、今戸神社・この時は、2月中旬だったのですが、寒桜が咲いていました。

 今戸神社は招き猫発祥の地を名乗っていますが、やや疑問符なようで。

 今戸焼の地元というのもあるのでしょうけど。

 沖田総司終焉の地ともありますが、千駄ヶ谷にも逝去の地というのがあるそうで。

 なんでも、今戸神社の松本良順宅で療養した後、千駄ヶ谷に転療し、そこで逝去されたとのこと。

 当時、江戸にいなかった永倉新八が松本宅にて亡くなったとしたところから、今戸神社説が起こりましたが、その後、転療の記録が出てきたため、千駄ヶ谷説の方が有力になっているそうです。

 今戸神社の塀は、紀元2600年に作られたもののようです。紀元というのは、皇紀とも呼ばれ神武天皇が即位した年を起点とするもの。

 今年は、紀元2684年。紀元2700年まで、あと16年ですね。

 年数を表す起点などは、本来、科学的根拠など不要なもの。実際、キリスト暦もそうですよね。イスラム暦をはじめとして、世界には様々な暦があるわけですから、世界基準なんて言い草はどうでしょうね。自国の起点を大切にする方が、国際社会の中でもより適切なような気がしますけど。

 西暦と称し、世界標準とか言いながら、キリスト暦を推奨する皆様は、キリスト教に入信でもされるんですかね。

 そんなことはさておき、神社本庁あたりで、2700年の行事でもやらないですかね。神武天皇を祀った神社で、やっていただけるでしょうか。

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 暑くなってきたので、晴雨兼用傘を買いました。

 以前は、デニム傘を日傘替わりに使っていましたが、やはりこちらの方が性能がいいようで。

 日傘の利用がないときには、以前買った軽い傘(確か50gだか60gというやつです)の方を持ち歩いていますが。

 



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 ベランダガーデニング記事の順番を一回、飛ばしてしまっているので、順番的には中途挿入になりますが。

 15日にマンデビラを買ってきて植えました。

 この時点でもつぼみがついていましたので、すでに大きくなっています。

 すでに山芋がグリーンカーテンとして、伸びているのですが、補助的に伸びてもらえればなと。

 ほかの鉢の様子ですが、美女なでしこは、盛りがすぎ、種を収穫しました。

 結構、種は取れましたが、かなりの種が自然にばらまかれたようで、下の鉢に芽を出しているものもいます。

 しばらくほっておこうかな。

 夏越えが厳しいかもしれませんが。

 マツバギクは、下に植えたものも含めて、断続的に花が咲いています。

 パセリは、花芽のようなものが伸びている状態です。

 そして、これは先月の写真ですが、オリーブの木に花が咲きました。

 今では、小さいですが、実のようなものもあります。

 大きくなってくれるとうれしいのですけど。

 ネギは、ネギボウズがそろそろ種ができているかな。

 今年植えたネギは細かいながら、順調です。

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 三軒茶屋の餃子人気店。食べログ餃子百名店2023に選出されています。

 飲みに行くとダメですね。写真もあまり良いものがなく、外観も撮り忘れました。

 見出し画像 手前右のみそもやしも人気のようです。

(参考)グルメカテゴリのインデックス記事

 



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 横綱(よこづな)町公園ではなく、横網(よこあみ)町公園です。国技館がちかいものだから、つい横綱と読みたくなってしまいます。

 この場所は、陸軍被服本廠があった場所で、大正11年(紀元2582キリスト暦1922)に陸軍被服本廠が赤羽台に移転したことに伴い、当時の東京市が買収。公園として整備していたもの。

 その工事は大正12年(紀元2583キリスト暦1923)7月から開始となったが、その最中の9月1日に関東大震災が発生。

 昼食準備で火を使う正午直前の地震だったこと。北陸地方を台風が通過中で、関東地方も強風に見舞われていたこと等も重なり、大規模火災となったとのこと。

 陸軍被服本廠跡地には、4万人近い人が避難してきたが、避難の際、持ち出した家財道具などに火が移り、巨大な火災旋風が発生。

 3万8000人近くが犠牲となったとの由。震災後、遺体はその場で火葬され、3mにも達したとのこと。

 写真は、東京都慰霊堂。建築家 伊藤忠太氏の設計で、昭和5年(紀元2590キリスト暦1930)完成。納骨堂には、関東大震災の犠牲者5万8000人の遺骨が納められたとのこと。

 その後、第2次世界大戦末期に行われたジェノサイドのひとつ、東京大空襲の身元不明者の遺骨も合祀されたとの由。

 静かな中に、惨禍の記憶を引き継ぐ公園です。

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