翌18日は、石灰列車の撮影からスタートしている。
恐らく高知から中村行きの普通で多ノ郷へ向かったようだ。
この石灰列車は、夜20時~翌日11時ごろまでしか撮影
できなく、昼間は走らないことから、日の長い時期の朝から
昼までが撮影時間帯の列車で、なんといってもDF50重連が
基本運用であることが最大の特徴の列車だった。
ようはいつ行っても定期重連という、いまでいうDD51のカシオペア
運用のような貨物列車だった。
しかし運用区間は、斗賀野~多ノ郷までの2駅区間と短く撮影場所も
限られていた。車があれば本当にいくらでも撮影できたであろうが
高校生の身、徒歩+列車移動が基本で撮影回数も場所も限られた。

夜明け近くの多ノ郷駅に工場の専用線から出てきたところ。こちらは空返列車だ。
DF50が停車している位置辺りに今は公園+南側ロータリーができている。
そして多ノ郷駅も2面2線の駅へ線路が変更されている。

再掲示。専用線から本線へ合流し、一路斗賀野へ向かう。スルーザーエンジンの重連音は
夜明けの山あいに響き渡った。この多ノ郷界隈も今は変貌を遂げてしまっている。
5792レ DF5018+47 多ノ郷 1981年8月18日
恐らく高知から中村行きの普通で多ノ郷へ向かったようだ。
この石灰列車は、夜20時~翌日11時ごろまでしか撮影
できなく、昼間は走らないことから、日の長い時期の朝から
昼までが撮影時間帯の列車で、なんといってもDF50重連が
基本運用であることが最大の特徴の列車だった。
ようはいつ行っても定期重連という、いまでいうDD51のカシオペア
運用のような貨物列車だった。
しかし運用区間は、斗賀野~多ノ郷までの2駅区間と短く撮影場所も
限られていた。車があれば本当にいくらでも撮影できたであろうが
高校生の身、徒歩+列車移動が基本で撮影回数も場所も限られた。

夜明け近くの多ノ郷駅に工場の専用線から出てきたところ。こちらは空返列車だ。
DF50が停車している位置辺りに今は公園+南側ロータリーができている。
そして多ノ郷駅も2面2線の駅へ線路が変更されている。

再掲示。専用線から本線へ合流し、一路斗賀野へ向かう。スルーザーエンジンの重連音は
夜明けの山あいに響き渡った。この多ノ郷界隈も今は変貌を遂げてしまっている。
5792レ DF5018+47 多ノ郷 1981年8月18日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます