幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

よさこい祭り 自由と繁栄の神に捧げる舞 ふたたび

2019-08-08 22:59:55 | ばくちゃんの独り言

※ 8月9より、よさこい祭りが始まりますので、昨年夏投稿記事の再度お届けいたします。

  高知県のランキングに参加しています。応援クリックお願いいたします。

高知の夏の風物詩、「よさこい祭り」。

よさこい祭りは、北海道のよさこいソーラン祭りに飛び火し、全国にその名が知られるようになって、今では、「本家よさこい祭り」を名乗らないといけないようでございますね。(笑)

このよさこい祭り、今年が65回目と、祭りの歴史は近代になってからです。

発端は、お隣の徳島の阿波踊りに対抗したとも言われますし、とにかく暑いので、商店街にお客さんを呼ぶために、商工会議所などで有志が企画したとも言われます。

参加規約もゆるく、本家高知においても、年々参加チームが増えています。

参加ルールはこれだけです。

  • チームあたりの参加人数は150人以下。
  • 鳴子を持って前進する振り付け。
  • 曲のアレンジは自由だが、よさこい鳴子踊りのメロディーを必ず入れる。
  • 地方車は各チーム1台(必須・大きさ等に制限あり)。

実はこのよさこい祭り、日本の祭りにとって、とても重要なファクター(要素)がない、極めて珍しいお祭りなのですね。

祭りにとって、重要なファクターとは何か?

それは、「神」です。

祭りは元来、その年の年初に感謝するお正月から始まって、農作物の豊穣や豊漁や、商売繁盛を神に感謝したり、お盆などでは、先祖への慰霊の念があるものです。

この、祭り=神への感謝の具現化というのは、全世界共通のバロメーターであって、日本は世界中の宗教が紹介されている関係か、お正月には初詣(日本神道)、お彼岸やお盆(仏教)、ハロウィンやクリスマス(キリスト教)など、世界中のお祭りが行われております。

まぁ、ひょっとしたら、日本人は世界でも有数の、お祭り好きの民族なのかも知れません。(笑)

いや、お祭り好きなのは、宗教への造詣が深いということであり、基本的に、神への感謝の思いとか、畏敬の念とか、また逆の意味で親近感が強いという、日本人のメンタリティーがあるのだと思います。

政治のことを、「まつりごと」と呼んだりもしますが、祭りとは、神への感謝や誓いあってのものであるし、元来、祭政一致が原則の日本では、祭りと政治が一体であったということですね。

つまり、神の御心の実現が、本来の政治なのです。

 

このよさこい祭りは、始まりにおいては、暑い夏場のお客さん集めだったかも知れませんが、性別や年齢制限もない、衣装も音楽アレンジも自由と、これら参加規約の特性や、その踊りの多様性を見る限り、結果的に全く別の概念を創出したかも知れません。

それは、この祭りには、「自由と繁栄への願い」が込められているのではないかと思うんです。

だとすれば、極めてオリジナリティーの強い概念ですので、だからこそ短期間で、全国に広がったのかも知れませんね。

高知は本場ですし、昨今では全国でも注目されますので、踊り子さんたちは、高いレベルを目指し、祭り当日まで、それはそれは、熱心に踊りの練習をしております。

それは、市中のいたるところで見ることができます。

これはもう、現代的な「精進」そのものと言えるのではないかと。

またこの最も暑い時節、3日も続けて市中を踊り続けますが、これなども、現代の「苦行修行」そのものではないかとも。

よさこい祭りは、「自由と繁栄の神に捧げる舞」だと、私は思いますね。

舞は、高知県内においては、ライブでテレビ中継されておりますが、これなども、参加チームすべてが紹介されます。

有力チームだけではなく、初参加も含め、すべてのチームが放映されるのです。

そしてコンテストがあって、上位チームは、後夜祭でハレの舞台で踊れるんですね。

これなども、「自由」という概念を、どれだけ重視しているかだと思うんですよ。

つまり機会の平等が、完全に保障されているわけです。

この「機会の平等」こそが、「自由」の最も重要な部分なんです。

機会の平等があって、各々が工夫して、すべてが切磋琢磨して、結果、すばらしい披露ができたものを、皆が称えると。

過去には、「初参加で、一躍トップチームの一員に・・・。」という実例もあって、だからこそ最後まで面白いんですね。

これが、歴代上位チームしか紹介されなかったり、初参加チームは、ヘンテコなハンディがあったりしたら、ちっとも面白くないと思うんです。

本質的な面において、高知の方って、「自由の神の概念」を、心の奥底で感じ取っていると思うんですね。

よさこい祭りを見るたびに、私はそう思うんです。

もしも、日本の政治やマスコミが、この高知の自由の精神、完全なる機会の平等の祭りのスピリットを持っていたならば、政党用件などを持ち込んで、現存する議席数や過去の得票数によって、新たな政治を志す人たちを「諸派」扱いにして報道規制したり、有力な候補者だけを、連日テレビで紹介したりすることは、許されざることとなるはずです。

よさこい祭りの精神、「完全なる、機会の平等を重視する自由の精神」が、日本全国にとどろき渡ることを、祈念してやみません。

そして、高知の民の捧げる舞が、「自由と繁栄の神」への祈りとして届きますことを。

本日は経典『黄金の法』(幸福の科学出版)と、大川隆法幸福の科学グループ総裁と釈量子幸福実現党党首との対談集『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党出版)の抜粋をお届けいたします。

                   (ばく) 

よさこい祭り公式ウェブサイト http://www.cciweb.or.jp/kochi/yosakoiweb/

  高知県のランキングに参加しています。応援クリックお願いいたします。

第64回 よさこい祭り 本祭 初日 高知信用金庫 愛宕競演場 2017 8

映画『世界から希望が消えたなら。』特報【2019年10月18日ロードショー】

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=154

天照大神は、日本神道系では、最高神、あるいは、主宰神のように言われております。というのは、天照大神は、女性でありながらも、初めての女帝の地位、すなわち、高千穂国の女王となったことに起因しているのです。

天御中主命から数えて五代目ぐらいの国王にあたります。

天照大神が初めて女王となったのは、高天原、すなわち、八次元如来界から天御中主命の神示が下ったからです。

「我が国を、美しく、麗しき国となすために、女性に統治させるときがきた。伊邪那岐命という高徳の人がおられるから捜し出せ。その娘が、我が国を取り仕切る方である」と命令されました。

このように、神代の時代は、天上界からの神示を受けて、次期政権担当者が選ばれたのです。

しかも、国王の地位も終身制ではなく、その人の心に邪心や欲心が出てきた場合には、天上界から神示が下って交代させられました。

祭政一致とよく言いますが、当時は、霊能者の数も多く、また、人々から大変な尊敬を受けていたのです。

普通は、最高の霊能者が統治者となり、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っておりました。

高級霊からの神示は的確で、だれひとりとして異論をはさめず、そのため、政治に秩序があったと言えます。

その時代にくらべると、現代の政治家たちは、知名度によって選出され、数のカで支配しており、やはり無秩序の感を免れえません。

真理に対して盲目の人々、権勢欲のみに目がくらんでいる人々による衆愚政治の観があります。

一日も早く、徳治政治への切り換えが、また、人徳ある人の出現による政治の向上が望まれます。

 『黄金の法』(幸福の科学出版)P199~201

 

 

宗教が政治を行うことに関して、「政教分離規定があるから、どうのこうの……」と否定的に捉える人もいます。

憲法の政教分離規定だけを捉えて、そのように言うのは構いませんけれども、それでは、憲法一条の「天皇制」はどうなのでしょうか。

本当に政教分離を言うのであれば、実は、天皇制が成り立たなくなるのです。

そうすると、日本国憲法が最初から崩れてしまうんですよね。(中略)

戦後、歴史の教科書からは消えているかもしれませんが、「天照大神の子孫が天皇家である」ということになっています。

したがって、憲法上、象徴制であろうがなかろうが、天皇家が日本国の中心でなければならないし、天皇制があるために日本は存続しているわけです。

現代のアメリカ民主制的なものの考え方で、そのままストレートに考えたら、天皇制と国民主権とは、合うはずがないではありませんか。全然、合っていないですよ。どうして、それが合いますか。

天皇制というのは、はっきり言えば、王権神授説の考えですよ。(中略)

「神様やその代理人が地上に降りてきて国を治めているのだ」という王権神授説がありますが、君主制などは、みな、そうですよね。

これを打ち破ったのが、フランス革命で、王様たちをギロチンにかけて首を斬っていきました。

そういうフランス革命的なものを民主主義と呼ぶのであれば、天皇制とは合わない。

つまり、最初から、憲法として矛盾する形態になっているんですね。

そのようなものをくっつけてやっているのは、実は、政教一致、祭政一致の考え方が裏にあるからです。

要するに、「天皇家は神々の子孫だから、やはり別格である」という考え方が裏にあるために、天皇制が成っているわけです。(中略)

国民の総意に基づいて天皇制がある一方で、国民主権というものがあります。この部分は、法律論的、憲法論的には、本当はぶつからなければいけないところなのですが、なぜか、訳が分からないまま、うまくくっついています。

その理由は、実は、「宗教と政治が一体化しているのが日本の政治の本質だから」なんですよ。(中略)

この部分を無視して、政教分離だけを言っているわけですから、憲法学者もジャーナリストも、本当はまったく分かっていないのだと私は思います。(中略)

右翼も、「皇室を守る」と言っていますが、「天皇は神々の子孫だと分かっているのか」と言えば、それは、全然、分かっていないのです。そもそも神棚が消えていますのでね。

だから、もう少し根本的に考えなければいけないですね。

『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党出版)P32~39 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。